スカーレット
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:棚橋 愛(ライティング・ゼミ日曜コース)
通勤のときはいつも、何かしらの音楽をイヤホンで聞きながら過ごしているが、今日は久し振りにスピッツを聞きたくなった。寒い冬の日に合う「フェイクファー」というアルバムを。
アルバムの最後の曲はシングルでもリリースされた「スカーレット」。
イントロのギターのフレーズが流れてくると、私はいつも大学の同級生、Kのことを思い出す。
Kには当時、アルバイトで知り合った年下の彼女がいた。
いつも仲が良くて呼吸も合っている二人だったが、数か月後にあっけなくその関係にはピリオドが打たれる。ある日突然、彼女のほうから「他に好きな人ができた」と告げられて一方的に別れを切り出されたのだ。
彼にとってそれはまさに青天の霹靂。天国から一気に地獄へ突き落されたような気分を味わうことになったKは、げっそりとやつれてしまった。
不憫に思った私たちはKを元気づけようとして飲み会やボーリング、ドライブなどに誘い出した。そんな仲間のアプローチが功を奏し、彼は順調に元の姿を取り戻すようになった。
ある日、授業が終わって家に帰ろうとしたところ、偶然Kに出くわした。私の顔を見るなり彼は「ちょうどよかった!カラオケ行きたいなと思ってるんやけど、行かへん?」と声をかけてきた。私はその日、バイトも特別な用事もなかったので、迷うことなくOKと答えた。そして二人でいそいそとカラオケボックスへ向かった。
交互に好きな歌を熱唱し、それなりに楽しんだところでKが「あのさぁ、最後に1曲、歌ってほしいのがあるねん」と言ってリモコンでスピッツの「スカーレット」を予約した。
なんでここでスカーレット? と少し疑問に感じつつも私はKに「頼むわ」と差し出されたマイクを握り、歌い始めた。
最初のうちは一緒に口ずさんだり、曲に合わせて体を左右にゆらゆらと動かしたりしていたKだったが、しばらくして異変が起こった。その場で膝を抱えてうずくまり、動かなくなってしまったのだ。
「大丈夫?どうした?」と歌うのを止めて近寄ったが、Kは顔を伏せたまま「ええから、そのまま歌ってや」と消え入りそうな声で訴えかけた。
うろたえながら最後まで歌いきったが、Kはまだそこでうずくまっていた。仕方がないのでフロントに30分延長を願い出て、私もそのまま静かに見守ることにした。
数分後、Kはゆっくりと顔を上げた。目は真っ赤に腫れあがり、床の一点をずっと見つめていた。
「ホンマに大丈夫?」私は改めて声をかけた。
Kは視線の先を変えることなく「ごめん」と謝った。そして泣いた理由を説明し始めた。
「スカーレット」は元カノとカラオケに行くときは必ず歌っていたのだという。思い出の曲を別人に歌ってもらったら気持ちも切り替わるのではないかと期待していたが、切り替わるどころか逆にバラ色の日々が脳内に再現されてしまったようだ。
そんな簡単に吹っ切れる訳ないやろ、ドラマや映画の世界じゃあるまいし。私はKを呆れ顔で眺めていたが、それと同時にあの手この手で立ち直ろうと必死にもがく姿に動揺した。まだ人生経験も少ない二十歳そこそこの若者たちは、逆境を自力で乗り越えるための術はまだ十分身に着けていなかった。だからその逆境に立ち向かおうとしている仲間を目の当たりにしたことは衝撃だった。
「大丈夫?」以外に何と声をかければよいかもわからないまま、30分経った。
とりあえず私たちはカラオケボックスから出て、まだ顔が腫れているKを地下鉄の改札まで送り届け、私も自宅へ向かうために別の改札へ向かった。
そんな出来事を経て、いつの間にかKはすっかり心の傷も癒えたようで、大学卒業後は誰もが知ってる会社に就職した。新しい彼女ができて、別れて、また出会い……の繰り返しを経て、遂に人生の伴侶と呼べる女の子と出会い、結婚した。
そこから数年後、仲間の一人から「久し振りにみんなで飲もうや」と声がかかり、私たちは居酒屋に集まった。そこにはもちろんKもいた。
少し懐かしいJ-POPが流れ続ける居酒屋の中で、Kはハイボールを飲みながら近況を話し出した。二人目の子供ができたのを機にひと回り大きな車に買い替えたとか、仕事で中国に出張して言葉の壁にぶつかったとか、生命保険をどうするか悩んでいるとか。
しばらくすると、店内のBGMがスピッツの「空も飛べるはず」に変わった。
「懐かしいな~」と三杯目のハイボールを注文しようとしていたKがボソッと呟いた。そしてこう続ける。
「スピッツってさぁ、俺らの青春の象徴とちゃう?」と。
「その気持ちわかるわ。就活の面接行くときいつもスピッツ聞いてリラックスしてたで、俺」「ウチは初めてバイトしてもらったお給料でスピッツのライブ行ったで」といった声が飛び交う。
そして誰かが「Kも思い出の曲あるんか?」と尋ねた。私は彼が「スカーレット」と返すのを期待したが、その期待は裏切られた。
「まぁ、いろいろあるわ。どれもええ曲やもんな」とだけ答え、運ばれてきた三杯目のハイボールを飲み始めた。
「何やねん、ここはスカーレットって答えとくべきやろ、忘れたんかあのカラオケのことを!」とKにクレームをつけようかとも思ったが、彼が決別した過去を蒸し返す必要はないと考え、そのままスルーすることにした。
代わりに「アンタ、飲みすぎなや。ベロベロに酔って家に帰られへんようになるで」とたしなめた。
「大丈夫や。俺は自分の限界をちゃんとわかってるんや」と彼は自信満々に答えた。
そんな調子に乗っているKにまた呆れた。でも微笑ましくもあった。
私の心がじわじわと暖かくなるのを感じた。
だから、「スカーレット」を聴くといつも心の中に小さくて暖かい灯がともるような気持ちになるのだ。
今日は風が冷たいけれど、心の中はポカポカだ。これで仕事のパフォーマンスも上がると良いのだけれど。
***
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