値切る時のあの常套句を言ってはいけない理由
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:新田賢二(ライティング・ゼミ平日コース)
*この記事は実話を元にしたフィクションです
「これ買っちゃお! ねぇ、いつも買ってるんだから、ちょっとオマケしてよ!」
真由美40歳。
私は数日前からウインドウショッピングで狙っていた洋服が欲しくて欲しくて堪らなくなっていたので、思い切って買うことにした。
でも、今月はちょっと色々と使い過ぎていて、夫に注意されたばかり。
ちょっとでもいいからマケてくれたら、夫に言い訳できるよなぁって、そんな軽い気持ちで、オマケをせがんだのだ。
販売員は、満面の笑みで表情一つ変えずにこう言った。
「これはこれは大変失礼致しました。いつもお買い上げありがとうございます。私はまだすべてのお客様のお顔とお名前が一致しませんので。お客様、もしかしてポイントカードは銀色の方ですか? もし宜しければ私をお客様のファッション専属アドバイザーにご指名いただけませんか?全力でサポートさせていただきます!」
ゲッ! バレてる?
私はそう直感した。
そう、私がこの店でいつも買っているなんて言うのは嘘八百。たまたま職場と家の間にこのショッピングモールがあって、いつも仕事帰りにココのスパーマーケットで食材を買って帰るだけ。洋服は、見ると欲しくなっちゃう病に侵されるから、なるべく見ないようにしている。だから、この洋服屋に立ち寄ったのは、数日前が超久しぶりのことだったと思う。前にこの店で買ったことがあるかどうか思い出せないぐらいのはず。つまり、ポイントカード一枚持っていないし、しかも何色か聞くってことは、お客様のグレードによってポイントカードの色を変えているってことなのかしら?!
結局、値切ることには失敗し、でも店員さんの販売力に負け、高いまんまでいつの間にか買うことになっちゃった。そこで、「ポイントカードはなくしちゃったみたい。あーあ、結構貯まっていたのにな」なぁ~んて軽い嘘をまた言ってしまった。だって悔しかったから。
すると販売員はまた満面の笑みで表情一つ変えずにこう答えた。
「また、一から貯めなおしましょう! 私が専属アドバイザーに就任させていただきますから! 奥様を今より10歳若返らせますよ。宜しくお願い致します!」だってさ。
軽い嘘を重ねても、この販売員は、それとなく話題を切り替えて、私を嫌な気にさせることなくポジティブな話題に変えて、進むべき方向性を与えてくれる、そんな気がした。だから、この販売員に惹かれていった。
それからは、毎週末、必ずその販売員が出勤している日を狙って顔を出すことにした。買う買わないは別として、あの販売員に会うためにだ。結局話していると不思議に買っちゃうんだけどね。
さて、それから2年ぐらい経った頃だろうか、私はいつの間にか、その店の販売員になっていた。私のファッション専属アドバイザー(あの販売員ね)が私を店長に紹介してくれたのが始まりだった。ちょうど販売員が足りなくて募集を掛けようと思っていたらしく、とんとん拍子に話が進み、私はいつの間にかその店の店員になってしまった。
買う立場から、売る立場へと転換してみて初めて分かったことがあった。
それは、毎日ご来店されて、毎日何かしらのものをお買い上げされる方や、毎週ご来店されてお買い上げされる方が相当数いるってことだった。中には数人だが、毎週3万、5万、10万とお買上されるVIP客がいるのだ。こんな街のブティックで、そんな買い方をされるお客様が居るってことに正直、驚いた。
月のお買上延べ人数を1000人とするなら、700人はごくたまに来るフリー客。残りの300人は、毎週毎週ご来店される常連客。常連客の中の30人はVIP客。逆にお買上金額は、フリー客が全体の3割で、常連客が7割を占めるのだ。
つまり、販売員になってみて分かったのは、「店側が認知している“いつも買う人”ってのは、少なくとも毎週ご来店されて毎週買う常連客のこと」だったのだ。
そんな常連客を相手するのに必要なのは、お客様の顔と名前と趣味好みを覚えること、更には彼女たちがお買上された商品を覚えることであった。毎週毎週ご来店されるのだから、ただ単に「いらっしゃいませ~、あ、それお安くなってますよぉ~、どうぞご試着なさってくださいねぇ」なんていうありきたりの接客では当然常連客は冷めてしまう。お洒落番長になるための知恵と技を小出ししながら、ありとあらゆる手を使って、常連客達を喜ばせ楽しませるのだ。
ちなみに常連客は自ら「いつも買ってるからマケてよ」なんて、はしたない言葉は絶対に言わない。「マケてくれるから買う」のではない。そんな店側の態度は常連客のプライドを逆に傷つけてしまう。そんな姑息な手段ではなく、もっとお洒落を楽しむための正当なサービスを提供し続けなければ、常連客のハートを掴むことは出来ないのだ。
VIP客は店長が押さえ、常連客は、先輩販売員が押さえている。だから、私たち下っ端販売員は、フリー客の中から常連客を作り出す努力が必要になる。フリー客をただ相手しているだけでは、この仕事の醍醐味を味わうことができないけれど、常連客は一日にして成らず。フリー客を捕まえながら、常連客に育て上げていかなければならないのだ。
そんなある日、店頭で洋服を畳んでいると、通りすがりのフリー客がスーッと寄ってきて一枚のカットソーをじっと見た。その後、店内を一周し終わった後に、最初に見たカットソーに戻って、私を見てこう言ったのだ。
「これ買っちゃお! ねぇ、いつも買ってるんだから、ちょっとオマケしてよ!」
私は、スーッと血の気が引いていくような、逆に顔に血が集まり火照るような不思議な感覚に襲われる。
あ、これ、数年前の私だ、と気づいたからだ。
「いつも買っているからマケてよ」なんて嘘八百だってことは、フリー客のあなたより私たち販売員の方が知っている。
値切る時、「いつも買っているから」という人に限って、実は「いつも買っていない」ということを自分から言っているようなものなのだ。
「いつも買っているからマケてよ」を言ってはいけない。
聞いてるこっちが恥ずかしくなるんだから。
私は、満面の笑みで表情一つ変えずにこう言った。
「これはこれは大変失礼致しました。いつもお買い上げありがとうございます。私はまだすべてのお客様のお顔とお名前が一致しませんので。お客様、もしかしてポイントカードは銀色の方ですか? もし宜しければ私をお客様のファッション専属アドバイザーにご指名いただけませんか?全力でサポートさせていただきます!」と。
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