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あなたの大切な人を見送るための知恵


*この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

 
 
記事:後藤美由紀(チーム天狼院)
 

「これは下顎呼吸ですか?」
枕元のナースコールを呼び、看護師に聞くとその年配の看護師は注意深く母の顔を見た。「そうですね」と答えるとバイタル測定のための機器を持ち込むため足早に病室を出た。背中越しに「父を呼びますか?」と聞くと振り向きもせず「はいお願いします」と答えた。心臓が高鳴り、私は震える手で携帯を握り、父を呼び出した。
 
 母は一か月半前にこの安房地域医療センターに老人施設から救急搬送された。食べたものが気管に入って高熱を出す誤嚥性肺炎、菌が全身に回る菌血症を併発し、4年間患ったパーキンソン病も末期と診断された。もういつ亡くなってもおかしくないとのことで一週間後個室に移り、特別面会が許されたのが三週間と5日前だった。
 
 母と面会が許されるまでの間で近所の葬儀屋3軒を回って場所を決め、どのような式にするのか入念に打ち合わせをし、遺影の写真も用意した。
 
 面会が許されてからは私と妹と二人で日中は付きっきりで過ごした。夜は簡易ベッドを病室に置いてもらい交代で泊まった。声掛けとマッサージ、あらゆる手を尽くして母を介護した。
 
意識不明だった母が目を開け、「おはよう」と返事をするようになり、目覚ましい勢いで回復が始まった。手足が動かせるようになった。朝は家にいた頃のようにテレビのニュースを聞いた。日中は背中を30度まで上げて新聞を見たり、塗り絵をした。YouTubeの桜の花見画像も楽しんだ。孫の卒業式もオンライン配信で見た。口からの食事はとれず、点滴一本で命をつないでいたが大好きなおせんべいやお汁粉を口に含みしゃぶることが楽しみだった。
 
 お医者さんも「この回復は医療の力を超えたものです」とおっしゃる程だったが、看護師さん、リハビリ訓練士さん、言語聴覚士さん、口腔ケアの担当者さん、一流のチーム医療の連携も奇跡をしっかりと支えていた。
 
 人生最後の約一か月の間、こんなにも穏やかでゆったりとした日々があるのだろうか。晩冬から早春、季節もちょうど移ろう時期だった。タンポポ、つくし、ミモザ、最後には母の大好きな桜も咲き始め、写真で見せることが出来た。これがこのままずっと続くのではないかと錯覚してしまうような落ち着いた生活だった。「痛いところない? 心配なことない?」の質問にいつも母は静かに首を振った。
 
 介護福祉士をして6年目の私はこれまで数えきれないほどの方の看取りをしてきた。亡くなる前の人はいくつかの共通の兆候がある。個人差もあるが二週間くらい前から起こる変化があり、顔色も人相も変化がある。いわゆる死相というものもその一つ。便が大量に出たり、全身がこれから死に向かって体を浄化して準備をしていき、またあるときは体が全力で人を生かそうと後押しすることもある。最後は痛みなく静かに眠るように去っていくのが理想なのだ。人間の体というのは最後の着地までどのように辿るのかがプログラミングされているのだなと感心する。
 
 その前段階として、朝日と共に起き、夕陽が沈むのと共に眠るような規則正しい生活。愛する人と語りあい、ふれあいながら過ごすこと。清潔を保ち、適度に体を動かすことなどが看取りの時期をより充実したものにする。
 
 父と妹にはそれとなく警告していたが母もゆっくりとひとつひとつの兆候を経てきていた。それでも家族は最後まで望みを捨てられない、いや捨ててはいけないのだと思う。母のことを母が自分で思っている以上に愛して信じて側にいてくれる存在が母の命を長らえたのだと思うから。それが家族であり、チーム医療の皆さんだった。
 
 母は亡くなる当日もいつも通りに早朝に目覚め、血圧が低かったがお昼からは足のリハビリも出来た。家の前のフリージアの写真を見て喜び、背中も30度まで上げて娘たちと共に過ごした。私達は母の前で、前から一緒に作ろうと約束していたクラフトバンドの巾着作りを始めていた。日常の一コマがそこにあった。
 
 そして呼吸の小さな変化、私が今まで立ち会った中でも最も静かで穏やかな下顎呼吸に気づき、冒頭のようにコールを押して看護師を呼んだのだ。
 
 下顎呼吸というのは、努力呼吸とも言い、亡くなる数時間前に変化する呼吸のあり方で、下顎を使って息を吸っている、口をパクパクさせるような呼吸である。ハッハッハッと呼吸も短くなるのでちょっと気をつけて見ていれば誰でもわかる変化である。
 
 心の準備はある程度していたが、まさかこんなに早くお別れのサインが来るとは! と動転した。しかも変化があまりに穏やかで見落としそうだった。ほどなく父が飛んできた。そしてこんな時には誰も来ることはないだろうと思っていたのに、いつも通りに言語聴覚士さんがいらして母の口の中をきれいに掃除して下さった。嬉しかった。その後さらに呼吸が弱まり無呼吸も続くようになった。看護師さんもモニターの変化を逐一知らせて下さった。私達は母の手を握り、体をさすった。感謝と愛とあらゆる賛辞を母に送った。母の顔はこれまで見たことがないほど平安だった。穏やかだった。痛みも苦しみも感じられなかった。気品にあふれ、美しかった。そのような時間を1時間半ほど過ごして母の地上での生涯は終わった。臨終の顔は微笑んでいるようにも見えた。
 
 私達はここで終わりではない。亡くなったら、すぐに葬儀屋さんに電話をするようにと伝えられる。看護師さんが母の体をきれいにしたり着替えたりの準備をして下さるが、長くても2時間後位には搬送に来てもらわなければならないのだ。母が入院して個室に入るまでの間に全て準備しておいて良かったと心の底から思った。
 
 大切な人を見送るために、知っておいて損をしない事柄、知恵がある。あのとき葬儀の準備をしておかなかったら、最後のとき下顎呼吸に気づかなかったら、どうなっていただろうかと思うとぞっとする。何とかなったとは思うが、準備していたこと、知っていたことで母をより良く見送れた心の余裕につながった。安堵の気持ちと共に家族と振り返り、慰めあっている。
 
 愛する人を見送るための知恵をつけましょう。あなたが後悔しないために。
 
 
 
 
 
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2021-03-31 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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