干物屋さんでご馳走様
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:珠弥(ライティング・ゼミ日曜コース)
「どうぞ、これも食べて」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら、店の中にある唯一の席に座り始める両親を目の当たりにして、私は思わず困惑した。古びているけど丁寧に使われている木材の机上に、沢山の種類の干物が並ぶ。炙られたばかりの名も分からぬ魚達は、どれも美味しそうな湯気を出している。
「これは鮭、これは味醂で味付けしたアジ、こっちは……」
店主のお爺ちゃんは解説と共に、どんどん机の上に干物を並べていく。商品棚から取り出しては、店の奥で、家族4人分の魚が焼かれていく。流石に私は焦り始める。
気持ちとしては『千と千尋の神隠し』の冒頭を見ている時のようだ。寧ろ食べるように勧めてきたのは店主で、両親は食べたところで豚に変身しないことは分かりきっているけれど。
「これで白いご飯が出てきたらもう定食ですね」
「コンビニで買ってきたら? なんてね」
父と店主が冗談めかしたことを言い合って笑っている。こちらは無銭飲食だと怒られないか、あるいは食べ終わってから料金を請求されてしまわないか、最大限に警戒しているというのに。お店の隅で、立ちすくんだまま、私はこっそり眉を八の字に寄せていた。
ほんの数分前に私達は入店したばかりであり、まだ注文すらしていないはずだった。何より、私の認識が間違っていなければ、ここは飲食店ではなく干物屋さんのはず。お土産を買い込んで、お昼ご飯には海鮮丼でも探しにまたドライブするつもりだった。それなのに、こんな状況になるとは……旅先で険悪な思い出なんて、作りたくない。
年に一度、家族で休みを合わせて旅行に行くことが、我が家では定例化していた。といっても、私が社会人になってからだ。普段家族全員で食卓を囲う機会も減っていたこと、愛犬はドライブが好きなこと、両方の理由もあって、1泊2泊前後の旅行が我が家での連休の楽しみ方になっていた。
“犬も泊まれるペンション、それから、とても美味しい干物屋さんが伊東にある。“
父親が、会社の人から教えてもらった情報から、今回の旅行先は伊東に決まった。中庭をドッグランとして開放してくれているペンションで、他の宿泊客の犬と戯れたり、美味しい料理を食べて、海を眺めたり。犬も家族も満喫した翌日、当初の目的の一つでもあった干物屋さんに立ち寄ろうと車を出した。
伊東駅から出て目の前の、オレンジビーチ沿いにあるという情報を頼りに、父が車を走らせる。場所は分かりやすかったが、困ったことに “海沿いの干物屋さん”は2軒並んでいた。どちらが教えてもらえた店舗か確認をする間もなく、父が一旦車を停める。駐車して早々、店主のお爺さんが迎え入れてくれ、そのまま両親を店内に案内してしまった。
お昼前の出来事であった。
高校生の時だ。遠足で行ったとある下町で、押し売りに近い形で屋台の焼きそばを買ったことがある。当時の私は、屋台の焼きそばを食べると高確率で翌日の胃腸に影響していた。なるべく避けたい気持ちとは反対に、友人は進んで試食と称された一口を食べていた。
「700円だよ」
間髪入れずに、その店主は私と友人に右手を差し出してお代を迫ってきた。友人はあまり気にせず、快諾している傍らで、一人断ることもできなくなってしまった私は、渋々買い上げた記憶がある。もしかしたら悪気はなかったのかもしれない。それでも、少なくとも似たような場面で、思わず警戒してしまう程度には、私にとってしょっぱい思い出として記憶されていた。
座らないのか、と不思議そうな目で家族達が腰掛けた席から、私を見てくる。
私は愛犬のリードをぎゅっと握りしめて、お店の出入り口の際の所までじりじりと後退り、立ち竦んでいた。リードの先の愛犬は、私よりも店の奥に入り、お座りをしている。
「犬も一緒に入っていいよ、はいどうぞ」
私の緊張を感じ取ったのか、店主がそう声をかけながら、床に何かを置く。犬用の食器に綺麗な水が入れられていた。愛犬は、何食わぬ顔で、食器に鼻を近付け、そのまま水を飲み出した。
完全にくつろいだ愛犬の様子を見て、私の中に張られていた緊張の糸が弛んだようだった。安堵のため息を吐いて、私は愛犬の目の前にある席に座った。
椅子を引く時、後ろにある棚が視界に入った。色褪せた青色の写真立てがいくつか飾られている。同じく色褪せた写真には、ぴんと耳を立てた、賢そうな老犬の姿があった。
犬を家族のように大切にしていた人が、酷いことするはずない。私は疑心暗鬼を捨てて、漸くスッキリした気持ちで箸を手に取った。一口、食べると思わず頬がほころぶ。
「美味しい」
私の胸中を知ってか知らずか、向かいに座っていた弟がゲラゲラと笑い出す。少しだけ嬉しそうに笑いながら、店主が私の小皿に魚を1品ずつ乗せていく。私も、数分前までの悩みが嘘のように消えて、ついつい笑い出してしまった。
「とても美味しかったです。ごちそうさまでした」
結局、家族全員でそこそこの量の干物をいただいた。新鮮な美味しさを味わったことと、楽しい思い出補正もかかり、結果として食べた倍以上の量を、お土産として買い込んだ。私は父に頼み込んで、味醂で味付けをしたというアジが気に入って、少し多めに買ってもらった。店主は、入店時と同じように、帰りもお店の外まで見送りをしてくれた。
「また伊東に遊びにおいで!」
後日分かったことだが、どうやら父が勧められたという干物屋は、このお店の隣だったらしい。報告を受けた家族は皆声を上げて笑った。私達はまた来年も、あの店主がいる干物屋の方に行くつもりであることが、口にしなくても伝わった瞬間だった。
穴場にしておきたい気持ちもあるが、伊東観光へ行く予定のある人には、こっそりあの干物屋さんを教えてあげたい。
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