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高校時代落ちこぼれた私が留学して分かったこと


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:石瀬 木里(ライティング・ゼミ集中コース)
 
 
人生が終わった。
 
もう何もかも、どうでもよかった。ただ駅まで二度と通ることのない道を、一歩一歩確実に踏みしめて歩いた。「別にこんなものか、意外と何とも思わないものなのか」そう思っていたはずなのに、気が付けば涙が頬を伝っていた。手で拭ったはずなのに、また頬が濡れていた。「ハンカチを持ってくればよかった」そんな思いが頭をよぎれば、「でもハンカチが必要になるなんて夢にも思わなかった」と、また涙が溢れだす。人前で泣いている、この状況をどうにかしたくて、目の下を何度も拭う。それでも止まらない。また、何度も何度も拭う。それでも、止まる気配はない。もう何でもいい。涙か鼻水かも分からない液体でグチョグチョに湿ったマスクの気持ち悪さから解放されたい。ただ、その一心だった。夢の通学路になるはずだった帰り道が、やけに長く感じた。孤独感と敗北感に押し潰されそうだった。
 
高校受験に落ちた。不合格だった。中学1年生の頃から夢見た第一志望校だった。文化祭にも足を運んだ。1年かけて準備をする、名物の体育祭が楽しみだった。模試の度に、ワクワクした気持ちで高校名を書いた。なんとしても行きたかった。中学1年生の時からテストの度に猛勉強した。入試に必要な内申は、学年で1番をとった。中学3年生の夏休みは、300時間も机に張り付いて勉強した。模試では幾度となく、S判定を取った。行けると信じていた。塾の先生、学校の先生や友達、家族も信じてくれていた。でも、行けなかった。合格の2文字は3文字に変わっていた。間違いだと思った。何度見返しても、穴が開くほど見つめても、合格に書き変わることはなかった。悲しみか悔しさかも分からない、変な感情だった。ただ、絶望することしか出来なかった。
 
それから月日は流れ、高校2年生になろうとしていた。高校生になって、新しい友達が出来た。新しい部活に入った。新しく英会話も習い始めた。でも、勉強の歩みだけは、中学3年生の合格発表のあの日から一歩も進んでいなかった。「不合格」たったそれだけの3文字に、自信もやる気も奪われて、どこかに隠されてしまったまま、私は見つけることが出来ずにいた。「私はどうせ努力しても何もできない人間だ」そう自分に言い訳して、出来るだけ勉強を避けた。眠くもないくせに、授業中は寝た。起きていたところで、上の空だった。テスト勉強は、一夜漬けだった。全くやらないで0点を取る勇気も自分には、なかった。ただ、もう一度勉強に挑戦して、大学受験に失敗することが怖かった。もう一度受験に失敗するために勉強するなんて嫌だと本気で思っていた。
 
授業態度が悪かったから、担任の先生からは嫌われていた。テストの点数もクラスの下から数えてTOP3に入る程だったから、クラスの子からも小馬鹿にされていた。しかし、当時の私を最も嫌っていたのは、自分だった。両親に心配をかけていても尚、勉強を頑張れない自分が嫌いだった。勉強をサボったところで楽しくもないのに、意味もなくサボり続ける自分が嫌いだった。中途半端で何も頑張れない自分が嫌だった。変わりたかった。変わるきっかけが欲しかった。何でもいいから、もう一度努力したかった。いつの間にか頑張らないことに飽きていた。
 
変わるきっかけは突然だった。高校2年生の春、学校の修学旅行で初めて渡米した。初めて訪れる英語圏の国だった。2週間の間、アメリカの高校生のお家にホストファミリーとして迎えてもらい、アメリカの生活を疑似体験することが出来た。「本当に英語を話して暮らしている人がいる!」ただ、それだけの事実に今までにない感動を覚えた。中学の授業から温めてきた英文法を組み立てて話せば、相手から返事が返ってきた。学校の教科書には載っていない表現だった。全く異なる国で生まれ育ち、異なるものを食べて、異なるこ授業を受けて、異なる考えを持つ同年代の高校生との出会い。彼らが何をどう感じて考えるか知りたくて、必死に英語を話した。2回に1回は聞き返された。全く伝わらないし、伝わっても発音が違うから返答が聞き取れない。それなのに気がつけば、英語を話すことに夢中になっている自分がいた。自分の常識が常識じゃない世界の虜になっていた。オセロで黒が一気に白にひっくり返るような、そんな感覚だった。単純に、もっと英語を話せるようになりたいと思った。もっと色々な世界を知りたい! 勉強したい! そう強く思った。
 
「これだ!」「絶対にこれだ!」「今だ!」「今やらなくては!」気がつけば、心がそう叫んでいた。「勉強したい」たった1年ぶりなのに、ひどく懐かしい気分だった。そして、日本に帰国する2日前、夜も深まって日付も変わった頃、ホストファミリーのベッドの中で決心した! 「高校生のうちに留学しよう!」と。
 
「留学から帰れば大学受験まで半年しかない」「クラスや部活の友達と一緒に卒業できない」不安は挙げればキリがなかったが、決めたら突き進む性格の私は、とにかく前だけを向き、準備を続けた。両親から猛反対されても、粘り強く説得し続けた。大学留学ではダメだった。理由はない。ただ、「”今”行かなくては」と一種の義務感に駆られていた。そしてついには、独りでNPOの留学支援団体の説明会を回り始めた私に、両親も折れた。高校3年生の夏、アメリカのインディアナ州に1年間留学した。
 
楽しいことよりも大変なことの方が多かった。学校に日本人は私しかいなかった。英語の世界で生き抜くために、本気で勉強した。努力した。また、頑張れる自分に出会うことが出来た。そして、色々な人とも出会った。大統領選挙の投票について顔を近づけて喧嘩する同級生がいた。授業中にピーナッツバターの大きなボトルから食べ始める子もいた。自分が想像もしたことがないくらい色々な人と出会って、分かった。
 
「世界は広い」
 
皆それぞれに夢を持ち、それぞれの生き方に自信を持っている。そこに正解不正解も優劣の差もない。ただ、そこにあるのは、それぞれの道だ。高校受験に落ちた当時の私は、ゴールだと信じていた場所まで慎重に歩んでいたはずの平均台の上から真っ逆さまに落ちても尚、見えなくなったゴールを目で追うように空を拝んでいた。でも、首が疲れて上を見ることを止めてみると、前には道があることに気がついた。左右を向いても、後ろを見ても道があった。きっと、どの道を進んでも正解だ。自分の力で正解にすれば良い。そんなことを教えてもらったアメリカ留学だった。
 
だから私は、今日も勉強している。自分が進む道を正解にするために。
 
 
 
 
***

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2021-05-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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