不揃いな大根サラダ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:石瀬 木里(ライティング・ゼミ集中コース)
「テンチョッ、ソレヤルノ、アシタニスッカー?」
またかと思った。
そう店長に提案するネパール人スタッフのメリナの言葉に、私は全身を強張らせた。
店長には悟られまい。それだけを意識して、必死に平常心を保とうとした。
私は、都内の焼き肉店でアルバイトをしている。
昨年の秋、コロナウイルスの影響で新しいアルバイト先が中々見つからずに焦っていた。焦っては夜中に狂気に駆られたように血眼になって、求人広告を探していた。
そんな時、「一緒に働いてみませんか?」という外国人スタッフが写真に写りこみ、楽しそうに両手でピースしている写真が目に飛び込んできた。
時給1,250円。最寄駅から徒歩数分。見るからにアットホームな雰囲気。
時給も飲食店にしては高いし、何より「楽しそう」と直感した。
応募しない理由などなかった。
面接は1週間後だった。
50代くらいと思しき、細身で白髪交じりの男性は「店長」と自分の肩書を名乗った。
何を話したかは、あまり覚えていないが、結果は採用だった。
働き始めてみると、本当に外国人スタッフばかりだった。
2人の中国人に、ネパール人が4人。日本人スタッフは、自分を含めて3人だけだった。
やたら敬語を知っている1人のネパール人が仕事を全て教えてくれた。
「これくらいだけダイコンとってイタダイテー、かたち、ととのえてイタダイテ―、おさらにおいてイタダイテー」
あまりに職人じみた手つきに、妙に感動したことを覚えている。
大きなタッパーの中で水に浸されている大根を一つかみすると、屋台のおじさんがたこ焼きをひっくりかえすような職人の手つきで、大根の向きと形をあっという間に揃え、お皿に盛りつけながら、そう説明してくれた。
なんとも、言葉巧な大根サラダの手順説明である。
日本に来て、ここで働いてから、これだけの日本語を習得したそうだから、なんとも驚きだ。
完璧とはいえないまでも実に達者な日本語だ。
バイトでシフトが被る日が多くなるにつれ、彼女と仕事のやり方以外にも様々な会話をした。
日に日に、彼女とシフトが被る日が楽しみになっていくのを実感した。
他のスタッフとの距離も順調に縮まっていった。
しかし、私は1人だけ、どうしても苦手なネパール人スタッフがいた。
メリナだ。(ここで断っておくが、この名前だけは仮で置いている。)
彼女は何かと面倒なことを私に押し付けてきた。
焼肉屋の汚れた洗い物の始末に、次の予約のテーブルセット、さらにはトイレ掃除まで彼女と2人で働く日は私の担当だった。
店長が私に気を遣って、彼女にテーブルセットをするよう伝えてくれる日もあったが、結局彼女から手伝うように言われるので、1人でやることと大差はなかった。
でも、もう私も大人だ。
わざわざ表立って、彼女が苦手なことを態度に出す必要はない。
たかがアルバイトだ。
そう、いつも自分に言い聞かせていた。
「テンチョッ、ソレヤルノ、アシタニスッカー?」
明日分の大根サラダが足りなそうだから、作らなきゃという店長の提案に対し、キッチンに入っていたメリナは言った。
そう、彼女は面倒くさいだけなのだ。
以前見かけた、彼女が作った大根サラダは形も不揃いなまま、お皿に盛られていた。
面倒なことは、やりたくないだけなのだろうと確信する。
その日も私がホールなのに洗い物をして、テーブルセットもしていたことも重なり、ただ、やりたくないだけの断り文句にうんざりした。
やっぱり苦手だと思った。
その日のバイト終わり、焼肉の匂いが満遍なく染み付いた制服を脱いで、お気に入りのパステルカラーのニットに袖を通していると、隣で着替えているメリナに話しかけられた。
「フリコミ、ギンコー、イクカー?」
その後別のバイトも控えていたので、時間がなかった。
それに予定も聞かずに、いきなり言われても困る。
そして正直なところ、アルバイトの業務時間外で、彼女と極力関わりたくなかった。
だから、断った。
「エキノトチュー、ジカン、カカンナイデース!」
その後も何度か断ってみたものの、彼女も一歩も引かない。
いよいよアルバイトに本気で遅れるのではないかという気持ちが勝り、素早く手伝って早くバイトに行こうと、銀行についていくことにした。
銀行は、私の最寄り駅とは真反対だった。
一瞬呆れたが、早く終わらせたかったので、敢えてそのことには触れなかった。
銀行につくと、彼女はキャッシュカードを取り出した。
どうやら、キャッシュカードから自分のお金をネパールの誰かに送りたいらしい。
彼女に代わって、私がATMの画面を操作した。
ボタンの設定は何も間違っていないのに、何故か彼女のカードは受け付けられなかった。
私も違う設定を試し、何度か挑戦してみたが、上手くいかない。
バイトの時間もあったし、諦めようかとも思ったが、メリナの見たことのないくらい真剣な表情に今度は私が諦められなくなっていた。
しかし、タイムリミットは確実に迫っていた。
あまりに必死な形相の彼女に、私はつい興味が湧いて、誰に振り込んでいるのか聞いてみた。
「ネパールのユージンのシンセキ。コンド、シュジュツスルゥ」
頭の中に鳴りやむことのないゴングが響き渡ったようだった。
ずっと、彼女を自己中心的な人だと決めつけていた。
でも自己中だと決めつけていた彼女は、自分のパートで稼いだお金を母国の友人の旦那さんのために送りたくて、鬼の形相でATMにかじりつくように、何度も何度も挑戦していた。
全く知らない彼女の一面だった。
言われてみれば当たり前だ。
たった週に数時間、一緒にシフトに入っているだけなのに。
彼女のバイト中の一面しか見たことがないのに。
勝手に彼女を決めつけ、苦手意識を持ち、嫌っていた。
そんな数時間で、彼女を本当の意味で理解できるわけがない。
穴があったら、入りたい。
無ければ、掘ってでも入りたいくらいだ。
そのくらい、自分という人間の愚かさを呪いたくなった。
その日は結局、お金を送ることは出来なかった。
おそらく、彼女の持っていたキャッシュカードは日本対応で海外のキャッシュ口座には振り込めなかったのだろう。
店を出てからの別れ際、彼女とは反対方面に進もうとする私を見て彼女は言った。
「ソッチ、イクノデスカ?」
駅が反対方面であることを伝えると、彼女は申し訳なさそうに言った。
「シリマセンデシタ。アタシ、イツモ、コッチツカッテタ」
そうなのだろう。
おそらく彼女は本当に知らなかったのだろう。
異国の駅がどれだけあるかなんて分からなくて当然じゃないか。
思えば、振り込みを手伝ってほしいと誘った時から、早く振り込んであげたい一心だったのではないか。
異国の言葉だ。
言い回しが上手くくみ取られない大変さは彼女の身に染みているのではないか。
もしかしたら、アルバイト中もそうなのかもしれない。
きっとそうだ、彼女はきっと色々な部分が不器用で、人の誤解を招いているだけなのかもしれない。
ふと、彼女の作った大根サラダが頭をよぎる。
あれこれ思案を巡らせるうちに思った。
私はいったい何をそんなに、彼女に期待し続けていたのだろうか?
彼女にそんなに期待できるほど、私は彼女に何かを与えられていただろうか?
なぜ、そんなに彼女を毛嫌いしていたのだろうか?
考えれば考えるほど、自分をちっぽけな自分に感じた。
自分を、メリナの作る不揃いな大根サラダの中に投げ込み、葬り去りたい気分だった。
***
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