コーヒー淹れる過程を愛せるか
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記事:仲 弥生(ライティング・ゼミ集中コース)
「コーヒーって、淹れているときが一番優雅な気持ちになれるよね」
これは私の人生を変えた夫の一言である。
私はコーヒーを淹れる作業が嫌いだった。
5歳の頃から母親に「義務」としてやらされていたからだ。
母は味にうるさい人で、「薄い」「濃い」「渋い」といっては合格点をなかなか出してくれなかった。薄すぎる時なんかは、「淹れ直して」と言われたものだ。
私は銭湯で飲むコーヒー牛乳は好きだったが、コーヒーの味は全くわからなかったので、美味しく淹れるなんてそもそも無理な話なのだ。と、大人になってから思い出しては嫌な気持ちになった。
母親の「弥生、コーヒーを淹れて」がどのくらい憂鬱かは、「勉強しなさい」とか「宿題やったの?」がどのくらい憂鬱だったかを想像してもらえばいい。
私は後者の言葉は一度も言われたことがないが、その面倒くささはほぼ同じだと思う。
だけど、味がわかる母のことは私の誇りでもあった。
インスタントは嫌い、豆は飲む直前にミルで挽く、煎りの浅いコーヒーが好き、ドリップ式やサイフォン式が好き。そういう母は、なんとなく本物志向な感じがしてかっこ良かった。そして、まだ子どもなのに豆からコーヒーを淹れることができる自分も誇らしかった。
そのうち私も大人になって、コーヒーを飲むようになった。
コーヒーはやはり豆から、という母譲りのこだわりは強くて、家でもオフィスでもドリップするようになった。
それでも幼少期の「コーヒーを淹れることは面倒くさいこと」というイメージが強くて、どうせ自分用でもあるし、どうやって簡単に淹れるかを常に求めていた。
味的にまずインスタントという選択肢がなかった。やはり抽出するのと、豆そのものをすりつぶした粉をお湯に溶くのでは味が全然違うからだ。
そこで試したのがカップにセットするタイプのドリップパックだ。ドリッパーもフィルターも不要で、お湯だけあればOKだ。しかしこれは割高なのと、味が選べないことがネックだった。
次に試したのが、そのドリップパックのフィルターだけで売っている「簡単ドリップ」だ。これなら好きな豆を選べるし、ドリップパックのお手軽さも備えている。しかし、小さいフィルターに豆をこぼさないようにいれるのは案外難しく、カップに豆がこぼれたりして余計に煩雑だった。そもそもカップにセットするドリップパックは抽出途中でフィルターがコーヒー液に浸ってしまうため、クリアな味にならない。お手軽でもなく、味もいまいちなため、づぐに使わなくなってしまった。
結局、一番シンプルで扱いやすく、コスパも良いのがドリッパーとフィルターを使うことだった。しかしなぜかそれでも安定して美味しく抽出できなかった。
いま思えば「面倒くさい」と思って淹れていたからじゃないかと思うのだ。
夫が冒頭のセリフを言いながらコーヒーを淹れていたのは、私がコーヒーを飲むようになって10年以上過ぎたころだ。
私はカミナリに打たれたような目が覚めるような思いだった。
コーヒーを淹れるのが優雅だなんて一度も思ったことがない。
確かに飲むときよりも淹れているときの方が香りがいいし、その後コーヒーを飲むことを想像するととても優雅な気持ちになれるかもしれない。
30年間ずっと嫌いだった作業を一瞬で肯定できた衝撃の瞬間だった。
そして私は「過程」を楽しめる夫を心から尊敬した。
それと同時に、私が何事にも「過程」を楽しめていないことに気づいた。
私はいつだって「結果」だけ欲しくて、どんな「過程」も大切にしてこなかった。
それはつまり、私が「生き方」を楽しめてないことを表していた。
その日から、私はコーヒーを淹れることが苦痛ではなくなった。
むしろ何度でも淹れたいと思うようになっていった。
さらには、もっと美味しく淹れたいという思いからコーヒーインストラクターの講座も受講した。
きちんと習ったのもあるが、面倒くさくないコーヒーはいつも美味しく入った。
母が亡くなる前には、頼まれなくてもおいしいコーヒーを何度も淹れてあげられた。
「過程」を楽しむことで、明らかに私の人生は豊かになった。
そうだ、コーヒーを淹れることは人生とも言える。
どの豆を選ぶか、どのくらいの粗さで豆を挽くか、お湯の温度、お湯を注ぐスピードで味がまったく違う。豆になるまでの工程でも、クリアな味になったり、豊かな味になったりする。
そして最後の抽出液は落とさずに捨てるのがポイント。これを落としてしまうとしたがピリピリするような渋みが出てしまうからだ。
まさにコーヒーは因果応報。人生そのものだ。
何を選んで、どのように過ごすかは自由だし、あっさりしてても雑味があっても、その人らしい味わいがあるのだ。ときには調子に乗ってしまい、苦い思いをすることもある。
コーヒーを淹れる過程を楽しめるようになった私は、人生そのものも楽しめるようになってきている。もはや過程を愛せるなら、どんな味のコーヒーとなっても構わないではないか。
***
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