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雨の日の思い出は物悲しい、だけど


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:田辺なつほ(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
2020年4月1日(水)、社会人1日目、私はずぶ濡れになっていた。
 
原因は、雨。それも大雨。私の社会人生活は、大雨で幕を開けた。
 
雨の思い出というのは、その日の重要度が高ければ高いほど、物悲しい思い出になる。
遠足、入学式、卒業式、結婚式。イベントそのものよりも「その日は雨が降ってて」という事実が色濃く残る。グレーのTシャツが水で濡れて、色が濃くなるように。
だけど、雨は記憶の栞だ。雨が降った社会人生活初日を、私は鮮明に覚えている。
 
とはいえ、なぜ私はずぶ濡れになったのか。
 
ことの始まりは4月1日からではなく、4日前の3月28日に起こった。
新型コロナウイルスの世界侵食が徐々に騒がれ始めた時期。(あれからもう1年経つとは!)
4月1日に東京本社で内定式が開催される、とのメールが3月28日に届いた。そのとき私は、既に配属先である名古屋に引っ越していた。
 
え、4日後に東京?
 
私は目を見開いた。完全に油断していた。何人かの友達から「入社式がオンラインになった」「1週間延期になった」との話を聞いたから、なぜかそれは自分にも適用されていると思い込んでいた。
 
さらにメールをスクロールすると、入社式後の1ヶ月間は東京本社で行われる研修の予定が書かれていた。
その間の生活は会社が手配したマンスリーマンションで過ごすことになります、と。
 
え、マンスリーマンションで生活? 1ヶ月、30日間?
 
私の頭に、映画「24」ばりのカウントダウンBGMが鳴った。
 
入社式までたった4日間。私は特大サイズのキャリーケースに1ヶ月間の生活を詰めた。
30日という長期滞在は人生初。さらに、旅行ではない。生活しなければならないのだ。
家具家電はマンスリーマンションに備え付けだったものの、それに伴う生活消耗品は自分で用意してください、とのことだった。
洗濯のための、衣類洗剤・柔軟剤。
料理のための、片手鍋・箸・お皿・コップ。
入浴のための、タオル・シャンプー・リンス・ボディソープ・スポンジ・洗顔。
その他にヘアーアイロン、メイク道具、充電器、歯ブラシ。
毎日の洋服、下着、靴下、ストッキング。
着回しを考えたってトップス、ボトムは7着ずつ持っていった。下着は第3軍まで出動していた。
生活を詰め込んだキャリーケースは、タイヤ付の漬物石のようだった。
万が一、私が勢い余ってぶん投げたら怪我だけでは済まされないような凶器になった。
 
そして4月1日、入社式当日、雨が降っていた。
前入りして泊まっていたホテルから、タイヤ付漬物石を持って初出社。片手で漬物石、片手で傘。同じホテルに泊まっていた同期もタイヤ付漬物石を引いていた。話しながら歩いていると、私達の目の前に階段が広がった。
 
え、登るの?
 
私と同期はほとんど話したことがなかったのに、階段を前に顔を見合わせた。同じことを思っているのが苦笑いから伝わってきた。私たちは仕方なく傘を閉じて、漬物石を持ち上げた。腕がちぎれるくらい重かった。
階段を登り終えたときには、整えた髪の毛も、パリッと着こなしたはずのスーツもずぶ濡れ。
もし、雨の1粒1粒がポイントとして貯まるなら一気に1万ポイントを手に入れた。
 
次のずぶ濡れは、帰り道でのこと。
特大キャリーケースは電車の中で完全に異物だった。食道に刺さる魚の骨のようだった。
電車が駅に着くたび人が増えたのに、漬物石は屈強だった。私の肩身は狭かった。
マンスリーマンションの最寄り駅は川崎駅で、出口の多さに涙が出そうだった。
近くの改札から地上に出たものの、マンスリーマンションとは逆の出口にいることに気づいたときには涙が出た。
 
雨の中、ゴロゴロゴロゴロ、コンクリートをひっかくような音と一緒に歩いた。折り畳み傘は、正面からビュッと風が吹くたびに裏返った。100円均一で300円商品だった折り畳み傘。裏返れば、立ち止まって傘を閉じ、そしてまた開いた。その頃には、もう濡れていることが気にならなかった。雨ポイントがざくざく貯まった。
 
やっとの思いでマンスリーマンションに着いたときには、満身創痍だった。
整えた髪の毛も、パリッと着こなしたはずのスーツも、そして心も、ずぶ濡れだった。
部屋側に向かって投げ脱いだヒールがコトリ、と音を立てて倒れた。わけもなく、涙がでた。
「社会人……辛すぎる……」
 
こうして私の社会人生活は幕を開けた。
 
ハイヒールの中まで浸水したあの感覚も、風が吹いて傘が裏返った虚しさも、タイヤ付漬物石の重さも、私は今でもパッと思い出すことができる。雨が、この2020年4月1日というページの栞になっていて簡単に開くことができるからだ。雨が降っていなかったら、こんなにも記憶に残らなかったかもしれない。
20年後、自分のこどもに、「社会人1日目何してたの?」と聞かれたときに、「入社式だったよ」としか答えられなかったと思う。
 
そして、時々、栞の挟まったこの日を思い出す。
上司に怒られた日、うまく仕事を進められなかった日、「ご協議ください」を「ご競技ください」と打ってしまった日。
あの日貯めた雨ポイントを、自分に使っている。「そういえば、私の社会人生活はずぶ濡れで始まったじゃんか。」
 
雨が降ってる思い出は、心の非常口だ。有事のときに思い出す。有事のときに心の支えになる。
普段はいい思い出として機能してないかもしれないけど、ほんとうに苦しい時にその力を発揮する。
私はあの日を超えてきた。あの日をちゃんと登ってきた。雨が降ってるといい思い出じゃないけど、そんな雨の日を私は超えてきた。あなたも、きっといくつかの雨の日を超えてきた。
満身創痍で、ずぶ濡れになって、涙がこぼれて、ざあざあという音だけが響くあの日が、今の私を立たせている。
雨の日の思い出は物悲しい。だけど、雨の日を超えたあなたは逞しい。
 
 
 
 
***

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2021-05-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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