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【そろばん塾でそろばんを取り上げられた事件】


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:和泉あんころ(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
いつものようにそろばん塾に行ったら、机の上に準備したそろばんを取り上げられた。一緒に通っていたいじめっ子に、とかではなく、そこの先生に、だ。
「今日からそろばんは使用禁止」
と突然告げられた。
 
え? そろばんを習いにきているのにそろばんの使用を禁止するの?
 
わたしは理解できなかった。
 
珠算2級に合格してすぐのことだった。
 
通っていた塾の先生は、当時は気づかなかったが、今思い返してみると非常に指導熱心な、強い信念の持ち主だった。
 
「読み書きそろばん」という言葉があるように、当時はそろばんを習い事にしている子が多く、わたしも小学3年生からそろばん塾に通い始めた。飽き性なわたしにしてはめずらしく、それから中学3年まで続けたのだ。しかも週に4回も。よく通ったなぁと我ながら思う。
 
「先生、そろばん無しでどうやって計算するんですか?」
と尋ねると、先生は
「これからは暗算だ」
と答えた。
 
珠算2級の次は、当然のように1級を目指すものだと思っていた。しかし、先生は1級は受けなくていい、これからはひたすら暗算の訓練をして、暗算の検定試験を目指すようにと言われた。
 
「昔はそろばんさえ出来れば、就職に困らない時代もあった。だが、コンピューターが発達し、時代も変わった。これからはそろばんなんて持ち歩かない。だから、暗算なんだ。そろばんは必要ない」
 
なんと! そろばん塾の先生自ら「そろばんは必要ない」と言い切ったのだ。それからわたしは、桁数の多い読み上げ算の練習以外は、一切そろばんに触れることなく暗算の練習に励むことになる。
 
時は少し遡るが、小学4年生の頃、先生から「そろばんの大会に出場しないか」と勧められた。一緒に通っていた友達は絶対に出ないと頑なに断ったが、わたしは単純におもしろそうだと思った。普段は小さな教室の中で同じメンバーで練習をしているだけだが、大会に参加すれば、多くの知らない人達と勝負できるのだ。負けず嫌いで競争が大好きなわたしは、すぐに出場を決めた。
 
そろばんの大会は「競技会」と呼ばれ、広い会場には各塾からの参加者が集まっていた。制限時間内に問題をたくさん解けた、得点が高い人から順位が決まる。
 
普段の練習でもたまにスピードを競う練習はしていたが、これだけの人が集まると緊張感も違った。今回は本番なのだ。試験開始の合図が鳴ると、一斉にそろばんを弾く音が会場に響き渡る。はじめての経験だった。
 
競技会では、種目別競技として「読み上げ算」があった。通常の紙に書かれた問題を解くのではなく、次々と読み上げられる数字を計算していく競技だ。合計10問で構成され、スピードもゆっくりで問題が易しい1問目から徐々に難易度があがっていく。
 
紙の問題を解く総合競技では、下から数えた方が早いような成績しか残せないわたしだが、読み上げ算だけは手応えがあった。わたしの塾では、毎回のように読み上げ算を練習する。いつもの先生の読み上げスピードに比べて、競技会はゆっくり過ぎて調子が狂うほどだったのだ。
 
競技会を終えてから、先生は
「他のそろばん塾では読み上げ算の練習をしてくる生徒はあまりいないかもしれないね」
と話してくれた。
 
「種目別だから」とハナから力を抜いていたり、競技会でしか読み上げ算をやらない子は最初から諦めている可能性もあるという。
「読み上げ算の練習をするためには、それを読める先生が必要だからね」と先生は少し得意気にも見えた。わたしは恵まれた環境でそろばんを習わせてもらっているんだな、と少し誇らしい気持ちになった。
 
翌年の競技会。種目別競技では、一般部門から出場していた大学生と、小学校5年生のわたしふたりが同率1位となった。みんなの注目する中、決勝戦が行われることになった。先に間違えたほうが負け。ミスは許されない。今まで以上に緊張感が走った。
 
読み上げ算がはじまる。
 
指が震えて、そろばんが上手く弾けない。間違えた珠を慌てて元に戻しながら、問題を聞き漏らさぬよう耳を集中させる。
 
1問目、2問目と正解が続く。緊張も続く。競技が進むにつれて読み上げ算のスピードや桁数は上がっていく。
 
ついに相手の大学生がついていけなくなったようで、悔しそうに頭を抱える姿が横目に入った。ここで油断してはいけない。わたしが正解しないと、また振り出しに戻るだけだ。慎重にそろばんの珠を弾く。
 
こたえを採点してもらう。
「正解」
会場に響き渡る正解の声で、わたしの優勝が決まった。やったぁ! 種目別競技とはいえ、イチバンになれたのだ。
 
わたしはこのとき以上の緊張を……心臓が飛び出しそうなくらいの感覚や指の震えを
以来、味わったことがない。
大事な試験や面接でも落ち着いていられるのは、過去にもっと緊張した場面を経験しているからかもしれない。
 
その後、塾の先生からそろばんを取り上げられたわたしは、暗算の試験で段位まで取得した。
 
現在、わたしはもう十何数年もそろばんに触れてはいない。でも、例えば入試での数学の試験や、スーパーの買い物で割引の計算をするときなどは、無意識に頭の中でそろばんを弾いている。そろばんは持っていなくても、わたしの頭の中では珠の音が鳴っているのだ。
 
わたしが通っていたそろばんの先生は、先見の明があったのかもしれない。
後日、塾を卒業したあとに聞いた話だが、先生は当初、自分の親からそろばん塾を引き継いだ際、あまりにやる気のない生徒たちに激怒し、全員を退塾にしたそうだ。
 
そして、やる気のある生徒を募り、そろばん塾をゼロからスタートし直したのだとか。わたしが通いはじめたのはその後のことなので、全く知らなかった。
 
先生のそろばんを愛している情熱も伝わったが、時代の流れを見据え、そろばんに固執せずに早くからパソコン学習も取り入れていた。わたしがそろばんを辞めるかどうかあたりの時には、そろばん塾なのに漢字検定も受験できるようになっていた。「これからは資格がものを言う時代やからな!」と先生の声が聞こえてきそうだ。
 
高校時代に引っ越しをして、わたしはもうずっと塾にも行っていないし、そろばんの先生にも会っていない。
 
あのそろばん塾はまだ存在しているのだろうか。先生は今はどんな時代を見据えて経営されていらっしゃるのか、はたまた今は別の何か新しいことをはじめてみえるのか……検討もつかない。
 
久しぶりに思い出話でもしに、会いに行ってみようかな、と思う。
 
 
 
 
***

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2021-05-25 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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