メディアグランプリ

母の国際交流


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記事;岡 智子(ライティングゼミ日曜コース)
 
 
70歳を過ぎてから、母は英語を習っていた。といっても、高齢者対象の自治体主催のカルチャーセンターのようなところで月に2回程度、英語の歌を歌ったり、簡単な会話を学んでいた。なぜ、英語を勉強しようと思い始めたのか、ちゃんと聞いたことはなかったが、おそらく、外国人と英語で話がしてみたかったのだと思う。50代後半で父が亡くなった後、私と母は何度か海外旅行に出かけていた。
 
カナダに行ったのは、母が73歳の時だった。カナディアンロッキーに5日間滞在した後に、バンクーバーで、あるB&B(Bed&Breakfast)に泊まった。日本の民宿のようなシステムがある、と言うと、泊まってみたい、と言い出したのは母だった。
 
私が予約をしたバンクーバー市内のB&Bは、歴史を感じさせる古いビクトリア朝の建物で、夕方に到着すると、大きな暖炉のあるリビングで、滞在客たちが新聞や雑誌を読み、それぞれの時間を過ごしていた。マネージャーの女性が出てきて、予約の確認と部屋の準備を待つ間、私と母も、そのリビングルームのソファに腰を掛けていた。
しばらくすると、母が、
「あのおじさん、新聞を読みながら、私たちのことチラチラ見てるわよ」
と私に囁いた。初めて泊まるB&Bで、ちゃんと予約がとれているだろうか、とか、ベッドは2つある部屋だろうか、などいろいろなことが気になって、滞在客を観察する余裕がなかった私はびっくりした。言われたほうにゆっくりと、何気なく目をやると、60代くらいの夫婦の夫の方が、難しそうな顔で新聞を読みながら、確かに私たちをチラチラみているように感じた。こんなところに泊まりに来る日本人の母娘が珍しかったのかもしれない。
 
宿のドアを開けると、夜のリビングルームでは、数人の滞在客がおしゃべりをしていた。昨晩の夫婦もいた。B&Bらしくて楽しそうだな、とは思ったが、英語のできない母が気まずい想いをするだろうと思い、そのまま部屋に戻ることにした。部屋に戻るには、リビングルームの脇を抜けていかなくてはならない。黙って通り過ぎるのもなんだし、と思い、誰にともなく
「おやすみなさい」
と言って、母と部屋に戻ろうとした時に、母が
「しばらくここにいてもいいかしら?」
と言い出した。
「えっ、ここにいる、って、どうせ言葉わからないでしょ」
「大丈夫よ、なんか楽しそうじゃない」
母はもうソファに腰かけていた。
 
B&Bに泊まる人は、多かれ少なかれ、人との触れ合いを求めているのだろう。その場は、確かに楽しかった。私たちは、すぐに会話の輪に入ることができた。会話と言っても、どこから来たとか、今日はどこに行った、何を食べた、といったたわいのない話だ。
最初に話しかけてくれたのは、前の晩に難しい顔をして、新聞を読んでいた例の男性だった。前の晩からは想像できないような優しい笑顔だった。
どこから来たのか? 日本のどこから来たのか? 母子なのか? など、いろいろと気にかけてくれた。母はというと、ニコニコして皆の話を聞いている。
「せっかく英語を勉強しているんだから、何か話してみれば?」
と言っても、話そうとしない。母にスポットライトをあてようと思って、私が、母が京都出身であることを言うと、皆は、「オー、Kyoto!」と反応してくれた。母は自分のことが話題に上り、嬉しかったようだが、
「そう、キョート、キョート」
とニコニコ繰り返すだけだった。その後も、母は自分からは英語を話さなかった。私は会話がひと段落したところで、母にかいつまんで説明をして、皆は私が母に伝え終わるのを根気よく待ってくれた。途中で私が疲れて、母への通訳をサボると
「ちゃんとお母さんに説明してあげて」
と促されることもあった。とても温かい時間だった。話をしているうちに、例の夫婦が、明朝発つことがわかった。
 
部屋に戻って、母はあるものを私に見せて
「明日、これをあのご夫婦にあげようと思うの」
と言った。それは着物の生地で作ったコースターだった。旅先で知り合った人や、お世話になった人にあげたいと思って作って持ってきたものだった。私はそんな物を用意していたことに驚いた。
「いいね、きっと喜んでくれるよ」
私は笑顔で答えた。
 
翌朝、その夫婦の出発の時間を見計らって、母はお手製のコースターを夫婦に渡した。母が作ったものだと説明すると、二人はとても喜んでくれた。妻は母をハグした。その時の母の嬉しそうな顔を今でもはっきり覚えている。
 
せっかく習った英語を話すことはなかったが、あの日、母は、母なりに楽しんだのだろうと思うと、今でも心がほっこりする。
 
あの夫婦は、母が贈ったコースターを使ってくれただろうか。
 
 
 
 
***

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2021-05-29 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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