オジサンは悪くない
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:Hisanari Yonebayashi(ライティング・ゼミ平日コース)
帰宅ラッシュアワーの少し前、夕日が眩しく感じる電車の中だった。
車内はほどほどに混んでいた。
出入り口付近に女子高生が二人、周りを気にすることも無く大きな声で話をしている。
制服姿でスカート丈は短く、ナイロンのスクールバックにはキーホルダーやらマスコットがジャラジャラといくつもぶら下がっていた。
二人とも手鏡を見ながら長い茶髪を櫛でといて、男子校の文化祭に行った時の話で盛り上がっていた。
「お目当ての男子が女装してステージに立って、めっちゃ可愛かった」という内容だった。
それほど面白くも無い話なのだが、そこは箸が転んでもおかしい年頃なのだろう、お互いの一言一言で大爆笑!
「もう止めて! 呼吸困難になっちゃう!」
と、大騒ぎ。
僕は少し離れた所にいたので、さほどでもなかったが近くにいる人たちにとってはうるさい存在だったろう。
二人の近くに立ち、文庫本を読んでいたオジサンは時々顔を上げると、女子高生をにらみ、大きくため息をついていた。
引き続き本は読んでいるのだが、眉間に寄せられた深いしわに何かが起こると予感させるものがあった。
下げた眼鏡フレームの上から本を読む姿に老眼の進みを思わせた。
年齢は60歳を超えたくらいだろうか。
白いワイシャツの袖は何度か折り返えされ、胸ポケットにはピンクのラインマーカーと三色ボールペンが刺さっていた。
ちょっとサイズが大きめのズボンはベルトで締め上げられ、ベルトの先端がブラブラと揺れている。
もう、女子高生をにらみつけるのは何度目だろうか。
ついにオジサンは彼女たちに聞こえるように、大きめの舌打ちをした。
「チッ」
なんと!
どこ吹く風である。
女子高生はオジサンに一瞥くらわすと、会話を続けた。
これは何かが起きる……。
開いた本などにはもう見向きもせず、一重瞼を二重にして眼鏡の上から女子高生をにらみつけているオジサンが暴発するのも時間の問題だろう。
「おい! うるせーぞ!」
しばらくすると低い声が聞こえてきた。
女子高生の笑い声が止まり、一瞬車内が静まり返った。
「どーした? 何があった?」と、車内を見まわす人。
「関わっちゃいけない」と、全く無関心な人。
反応は大きく二つに分かれた。
「あー、すみませんねー。ごめんなさい! しつれ―しましたぁ」
女子高生の全く気持ちのこもっていない謝罪が聞こえてきた。
さらに、ふてくされた謝罪の後も少しは声が小さくなったが二人の会話は続いていた。
恐るべし女子高生!
まもなく電車は駅に着き女子高生二人は降りた。
そして、ドアが閉まる寸前に一人がホームから電車に向かって叫んだ。
「うっせーのはテメエだよ! ジロジロ見やがってこのエロオヤジ! きゃっはっはっは」
この声に反応して乗客の頭が一斉に声の方に向かってひねられた。
そして怒りがじっとりと滲んだオジサンは顔を下げ、最強の上目遣いで睨みを効かせてとっさに一言。
「んんー、エロくねーよ!」
プシーーーーーー!
ドアが閉まった……。
試合終了。
僕の頭の中で終わりのゴングが「カンカンカーン」と大きく鳴り響いた。
車内は静寂に包まれた。
電車が動き出すまでの何秒かは咳払い一つ許さぬ息苦しい緊張感があった。
そして発車。
モーター音、車輪と線路が擦れる音、車掌の持つマイクが拾う雑音が車内を日常に戻そうとしていた。
ホームで踊るように笑う女子高生が窓越しに見えた。
大きく口は開いているが、騒々しかったあの笑い声はもう聞こえない。
その姿はあっという間に小さくなっていく。
車内はというと電車中の乗客の視線が声を発したオジサンを探している。
「エロオヤジ? えーっと、誰だ? エロオヤジ。えーエロオヤジ、エロオヤジ」
「あ! おのオジサンか! いやぁ……。うーん、確かになにかやりそうだよなぁ」
残念ながら女子高生の完全勝利である。
車内全体は不思議な納得モードに包まれていた。
あのオジサンは「エロくねーよ」と言った。
別にエロくは無いけど、エロいことをやりそうな雰囲気がないこともない。
そんな空気感が握り棒、つり革を通してジンワリと乗客全員を包み込みながら電車は次の駅に向かって行った。
世間は残酷だ。車内でうるさい女子高生を注意したオジサンは道徳的には正しい。
でも、エロいことをしそうに見えなくもない。
やがて、乗客は入れ替わり、うるさかった女子高生も、その女子高生に向かって正々堂々と公共の交通機関の中では静かにするように注意した正義のオジサンの存在も完全に消え失せていくのだろう。
怒っていたオジサンはいつのまにやらシートに座り電車に合わせてユラユラと揺れていた。
読んでいた文庫本は閉じられ、その代わりにポッカリと口を開け平和そうに寝ていた。まるで勝者の様に。
なんてことだ! 鋼の様なメンタルをしている……。
女子高生の完全勝利かと思っていたが、試合後の審議を経て逆転勝利の裁定が下ったような雰囲気さえ漂わせている。
僕は生まれて初めてオジサンの寝顔に感動した。
そして、身体の奥底から自分でも良く理解できない活力が湧き上がってくるのを感じた。
そうだ、人はこうしてたくさんの不条理を乗り越えて生きていくのだ。
「オジサンは悪くない! 明日も頑張ろう!」
僕はオジサンの寝顔に、そして自分に、心でそうつぶやきながら軽やかに電車を降りた。
***
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