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「あえて小骨は抜かないでみる」~速水御舟と再起のはなし~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:青天目起江(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
あなたは立ち直りが早い方だろうか。
私はぐずぐずしてしまう方だ。小さなことをずっと引っ張ってしまう。
挙句の果てに、かなりのダメージを受けているのに、要らない自尊心からか、
全然気にしてないよ、とか、もう乗り越えた、とか自分に嘘をつく悪い癖がある。
 
生きていくことは、作ることだ。
どう生きるか、学校の勉強、仕事、子育て、老後、生きることすべてが「作る」ことだ。
あなたは自分の作ったものに、批判を受けて、時間を空けずにまた取り掛かれるだろうか。
空けないでとりかかれるのなら、それに越したことはないし、すごいなと思ってしまう。
でも「再起」ってやっぱり難しいのではないだろうか。
 
「君の書くシナリオは、ジェットコースターみたいだね」
大学3年のドラマのシナリオを書く授業で、プロの脚本家の先生からこう言われた。
講師は二人、大学の教授とプロの先生。脚本家の先生は、NHKの朝ドラも手掛けたことのある方だった。
夏休み中に原稿用紙60枚のシナリオを1本書き上げ、各先生が選んで良いと思った1本を
授業で取り上げるというものだった。
あいにく私の作品を選んでくれた教授は、急な用事で当日は休みということになった。
その時点で、嫌な予感はした。
書いたあらすじも、何となくタブー扱いされる身体障害者が出てくるものだった。
当時私は市営の屋内プールの監視員のアルバイトをしていて、
そのプールには50代ぐらいの片足が義足の男性が泳ぎに来ていた。
そこから着想を得た筋だった。
授業で習った「起承転結」で描いたものだった。
振り返ってみると、お涙頂戴のような筋で、恥ずかしいし、先生が厳しく言われたのも納得だなと思う。
「こんなあらすじ、よく思いつけるね」というようなことも言われた。
女子大で、自分と同い年の子たちが20人ほどのクラスだった。
その中で、悔しがったり、悲しんだりすることができなかった。
苦笑いしながら、机の、拳の骨を見ていた。
今思えば、先生の評価に納得できなかったのなら、授業が終わった後にでも、
先生に向かっていけばよかったと思う。
たとえ、「なんだ、この生徒めんどくさいな」と思われても。
 
それさえもしなかった自分自身に、私は幻滅したんだと思う。
書くことは地元でもできると自分に言い訳をして、地元に戻って、就職をした。
人生に「たられば」を言っても仕方がないのはわかっている。
でも、その道で結果を残す人は、若い頃から、批判をもろともせず、
いや、その痛みを真っ正面から受けて、考え、修正し、それでも自分のスタイルというものを貫いて、継続してきたのだろう。
 
でも、
だからといって、一度諦めたら、その道をもう一度目指すことはやめた方がいいのだろうか?
あの時からずっと、ふとした瞬間に、先生に言われたあのセリフを思い出す。
自分にとってどうでもいいことだったら、忘れているだろう。
それが、思い出す度に、痛むのだから、まだどうでもいいことではないである。
喉ではなく、小骨は心にまだ刺さっている。
 
もう一度自分に、シナリオや物語を書くことに、再び向かわせてくれたきっかけは、
画家の「速水御舟」だ。
速水御舟を知ったのは、NHKの「日曜美術館」だった。
月曜日から金曜日まで働いた後の、毎週末、遅い朝ごはんを食べながら、日曜美術館を見て、心の栄養を補っていた。
2009年、山種美術館で御舟の特別展が開催されるので、特集されたのだ。
 
自分が彼のどこに惹かれたのか。
それは、一度大きな批判を受けて遠ざかっていたものに、再度挑んだことだった。
大きく批判を受けても、あなたはすぐに立ち直れるだろうか。
批判を受けた、自分の大切なライフワークにすぐに手をつけられるだろうか。
もちろん、受けた批判を黙って呑み込んで、前に進む習慣が大事とはわかっているし、
それをできてしまう人は、凄い。
 
御舟はどんな批判を受けたのか。何から遠ざかったのか。
彼が批判を受けた作品は、『京の舞妓』である。
『京の舞妓』は、1934(大正9)年、御舟26歳の時の作品だ。
御舟は、『京の舞妓』に、徹底した写実に向かうための決意を込めた。
しかし、正確すぎる描写は、御舟の思いとは裏腹に、画壇からは、「悪写実」と酷評された。
、「京の舞妓」を調べてみると、描かれている舞妓の表情が怖い。
御舟は舞妓の着物の模様などを正確に描くことに力を注いだとされているが、
御舟の試みは、人が当時御舟に求めていた絵とは距離があったのではないだろうか。
酷評されて以降、御舟は人物画から遠ざかった。
「京の舞妓」を描く前に画壇から評価を得ていた分、この時の批判は、御舟には大きかったのかもしれない。
 
人物画から遠ざかった御舟は、その後、『炎舞』や『名樹散椿』など、
目の前の風景の写実を追求しながらも、象徴性を込めた作品を描いた。
『炎舞』は、新潮文庫の三島由紀夫の『金閣寺』の表紙に使われている。
私はこの絵を、自分の戒めにしている。
何度見ても、背筋から寒気がする。
一筋の炎に、吸い寄せられる蛾が、『炎舞』には描かれている。
炎が、私には人間の普段は隠している、危ういもの、活字にすれば「魔」である。
そこにどうしても吸い寄せられてしまう蛾は、私達の、弱い心だ。
ダメと思っても、手に取ってしまう。
このくらい何てことはないだろう。
大丈夫、傷つくのは自分一人だ。
自分でも気づいていない無意識の「魔」の部分を、御舟は、炎と蛾だけで端的に表している。
世の中には、「怖い絵」とされる様々な作品がある。
神話や史実、現実を元にしたものが多い。これらの作品には、「人」が書かれている。
倒れた人からは血が流れていたりと、生々しい様に、目を背けたくなってしまう。
でも、私にはこれらの絵をよりも、『炎舞』の方が怖い。
多くの怖い絵が、人の弱さの心から出た「結果」を描いたものに見える。
対して『炎舞』は、心が「魔」に吸い寄せられる、「現在進行形」を描いたものだと思う。
こうして人は、「魔」に囚われるのだ、と理屈抜きで、たった一枚の絵で表現できてしまっている。
『炎舞』を見るたびに、自分の心の中に消すことができない弱い心を自覚する。
そして、自分の弱さにとらわれないように、と気持ちが引き締まる。
 
「炎舞」や「名樹散椿」で評価を得た御舟が、なぜもう一度人物画を描こうとしたのか。
それは、渡欧がきっかけだ。
昭和5年1月、イタリア政府主催のローマ日本美術展覧会の式典に出席するために、横山大観らとともに御舟は渡欧した。
その際、御舟は以前から興味を持っていた、エル・グレコやルネサンス期の彫刻などに触れることができた。
渡欧で西欧美術に直接触れたことが刺激になったのだろう、御舟は、人物画に再び挑戦することにしたのだと私は感じる。
帰国後、彼は、弟子たちとともにモデルを使ったデッサンを頻繁に行った。
2009年のこの山種美術館の「速水御舟-日本画への挑戦」のメインとなる作品が
初公開となる『婦女群像』だった。
しかしこれは未完なのだ。御舟の急逝によって、完成することできなかった。
修復を得て、公開することになった「婦女群像」を実際に見て、御舟の挑戦への意志を
感じてみたくなった。
それに「婦女群像」は発見までに絵がだいぶ傷んでいて、洗浄するなどして、修復したのだ。
未完の上に、色も御舟が描いた色ではない。
それでも、厳しい評価を受けた人物画と向き合った御舟の絵を見て、自分の中に何か変わるのか、直接絵を見て、感じたかった。
 
実際に見て、どうだったか。
それは、「婦女群像」には不思議な魅力があるということだ。
何が不思議かというと、6人の女性が、様々なポーズで描かれている。
一見、女性たちが一つになって笑い合っているわけでもない、統一性のない絵に見えて、調和が生まれている。
日傘をさして、右を向いている女性が右端にいれば、椅子に腰かけ化粧具合を確かめているのか、右手で手鏡を持ちながら左手の小指で唇触れている女性、こちらに背中を向けて座っている女性もいれば、中央で腰かけ、明らかにこちらに視線を向けている女性。
その女性たちの配置も、見る人に開かれるように配置されている。
御舟は、人物画を描く際に言っている。
「生活に重点を置く芸術、それは時代性をとらえた芸術である。呉人の仕事はまさにそこに目標を置いて進むべきである」
絵を見ていると、ポージングを決めていてもどこか個性が出ていて、女性たちが、どんな生活をしているのかを想像してしまう。
この絵は大分痛んでいて、絵を修復するために洗浄もされたので、
「未完」であることに加えて、絵本来の色彩も失われている。
けれど、そんな欠点など忘れてしまうほど、
「この絵を御舟が描ききることができたのならば、どんなすばらしい絵ができたのだろう」と思ってしまう。
 
御舟に出会った同じ頃に、兄が、基本の文章の書き方講座を受けるために、東京にある大学の社会人講座に通っていた。
その兄から、講座がためになるし、楽しいよと聞かされ
「お前も受けてみればいいよ。書くの好きなのにもったいないよ」と言われたことが、自分なりの再挑戦のきっかけになった。
思えば人は、時間を要したりもするけれど、心から何かをやりたいという気持ちがあったのなら、どんな評価を受けても、必ずそこに戻ってくるのではないだろうか。
御舟も人物画を描きたいと思ったから、時間がかかっても、また挑戦することができた。
そのきっかけになったのは、渡欧だ。
良くない評価を受けても、そこから戻ってくるきっかけは「旅立ち」なのかもしれない。
批判を受けて、その場で踏みとどまり継続し、やがて自分が変わる場所へ「旅立つ」。
旅立つことで、新たな視点を得る。
それが自分の欠点を補う考え方や技術をもたらすことになる。
 
今はコロナ禍で旅立つことはできない。
だったら、大きく助走をしてみようじゃないか。
たくさんの本を読んで、知見を得よう。
そうすれば、きっと踏み切る一歩も大きくなるはずだ。
そうそう、通い出した作家養成講座で数年前、あの時の先生と再会をした。
「げ、先生じゃん!」
シマリスのように心が怖がった。
しかし今度は、褒められた。
苦かった社会で働いて経験を生かして書くことができた。
先生は私のことは覚えていなかった。
話すこともできたが、やめておいた。
自分が満足できる物語が書けるまで、苦い思い出の小骨はあえて抜かずおいてみよう。
小骨は痛くもなんともない。
今では標だ。
 
 
 
 
***
 
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2021-09-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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