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落合博満は最後まで”オレ流”を貫いた


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記事:篁五郎(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
プロ野球は打率、ホームラン、打点の三部門の成績がトップになるとタイトルを獲得したことになる。
 
今ならば、メジャーリーグでホームラン王争いをしている大谷翔平が話題だ。その大谷とタイトル争いをしているゲレーロJr(トロント・ブルージェイズ)は大谷とホームラン王争いをしているだけではなく、打率、打点もトップを走っている。この三部門の成績がすべてトップになれば三冠王である。
 
メジャーリーグで三冠王を獲得した打者は歴代で15人いる。二回獲得したことあるのが僅か2名だ。一方、日本のプロ野球では70年以上の歴史で6人しかいない。
 
二回獲得したのが王貞治とブーマーで、三回取ったことあるのは落合博満ただ一人である。
 
つまり、落合博満はメジャーリーグと日本のプロ野球合わせても一番三冠王を獲得した選手である。
 
その落合は現役時代の晩年、特に現役最後の年をどんな風に過ごしていたのかあまり知られていない。偉大な打者がどうしてバットを置いたのか一ファンとして残しておきたくなったのでここに記しておきたい。
 
まず、落合の現役最後の年に入る少し前の話から始めたい。
 
1996年11月26日のことだ。当時落合は巨人の4番打者として二度のリーグ優勝、一度の日本一に貢献した打者であった。42歳という年齢からくる衰えはあったものの巨人軍の指揮を執っていた長嶋茂雄監督は落合を来年も戦力の一人として考えていた。
 
しかし、落合は巨人を去る決断をしたのだ。
 
その理由は、西武ライオンズからフリーエージェント宣言をして巨人に入団が決まった清原和博の存在だ。清原と巨人といえばドラフト会議の時に巨人入りを熱望した清原が指名すらされず、しかも同僚の桑田真澄を単独指名したことから始まる因縁があった。
 
その因縁を乗り越えて改めて大好きな巨人でプレイをしたいという清原の思いを長嶋茂雄が受け止めて入団することになった。ところが、清原のポジションは一塁である。落合も同じポジションだ。そうなると落合を使うのか? 清原を使うのか? 注目の的になる。
 
落合はあくまでも清原との競争を要求し、ポジション争いに勝った方をレギュラーとして使うことを要求した。しかし、清原にレギュラーポジションを約束し、落合の解雇を示唆する発言をしたことが、一部の清原に近い報道関係者から漏れた。
 
それを聞いた落合は「ジャイアンツがクビだと言ったら、オレは(他チームの)どこででもやる。オレを辞めさせたいんだろうが、オレは辞めないよ」激怒し、巨人との対立をするようになった。
 
実は清原側から巨人に示された条件の1つが「一塁のレギュラーポジションの確約」だったのだ。
 
清原は慣れ親しだパリーグからセリーグへ移籍するこtに不安を覚えており、じっくり腰を据えて打席に立てるように一塁のレギュラーを確約して欲しいと条件を出していた。その要求を巨人が飲み、落合を解雇するという発言に繋がったのだ。
 
しかし8月に長嶋監督から「来年も戦力」と言われていた落合は納得がいかない。反発したのは当然のことであった。
 
そこから巨人はなんとか落合の説得を試みるも失敗に終わる。
 
コーチ兼任として残留させ、代打で起用していくという案も清原との勝負にこだわる落合には納得がいかないものだった。
 
そして時間が過ぎていったこの日に落合は長嶋監督との話し合いに臨むことになる。
 
長嶋監督は自分の苦しい立場を説明し、落合の要求も聞いた。コーチ兼任の代打要員として残留を求める巨人に対して、落合の要求はあくまで清原と選手として一塁のレギュラーを賭けた勝負をさせて欲しいということ。それが叶わないのであれば「自由契約にして他チームに移籍できるようにして欲しい」ということだった。
 
それを聞いた長嶋監督は落合の望みを聞くことを決断する。
 
自由契約にして巨人を退団することを認めたのだ。
 
この日に行われた記者会見でこう切り出す。
 
「監督との話の中では、どうしても清原くんと競合する。ベンチに座っている回数が多くなり、代打という形になる、ということでした。私と清原くんの問題で監督の悩む顔をこれ以上見たくない。そう言って身を引かせてもらいました」
 
苦渋に満ちた表情で座っていた長嶋監督に気遣いの言葉を出し、退団を表明した。
 
その後、42歳という年齢とはいえ球界トップクラスの選手が自由契約になったというのは大きな話題になり、落合の行き先が注目を集めた。
 
そんな中、同じセリーグのヤクルトスワローズ(現東京ヤクルトスワローズ)とパリーグの日本ハムファイターズ(現北海道日本ハムファイターズ)の2球団がオファーを出した。
 
慣れているセリーグのヤクルト有利と言われていたが、落合が選んだのは日本ハムであった。その理由は落合が常日頃から言っている「プロは自分を一番高く買ってくれるところへ行けばいい」という言葉を実践したのだ。
 
年俸は3億円で2年契約である。ヤクルトの契約は3年総額で6億円であるので条件面での差で日本ハム入りを決めた。
 
入団会見には日本ハムの大社義規オーナーと上田利治監督が同席する異例の熱気となる。その主役である落合は「来年、日本一になりますんで」と宣言し、大きな盛り上がりを見せた。
 
この時期は「リストラ」が始まった世相でもある中、メディアはちょっとした落合ブームであった。週刊誌でも「リストラに負けない中年の星」のような応援記事が目立つ。巨人から自由契約になった落合がリストラされたサラリーマンの希望の星になっていたのだ。
 
しかし、そんな応援記事も落合にとってプレッシャーでしかない。
 
それは、シーズン中にケガした左手小指骨折から日本シリーズに間に合わせるために無理をして復帰をしたせいで体調が万全ではなかったのだ。
 
落合は身体の気遣いは誰よりもこだわっている。球場へ向かう車の運転も疲れがたまるからとハイヤーを手配して身体に気を付けていた。試合後に受けるマッサージも入念に時間をかけているし、自分の身体の感覚に合うマッサージ師を自費で雇っているほど。オフに家族で温泉旅行をした際、腕のいいマッサージ師を呼んでもらったが、マッサージ師が落合の首に触れるや否や、寝ていた落合は飛び起きてこう言った。
 
「すいません。決して下手なマッサージじゃないんですけど、指先の感覚が僕の身体に合わないみたいです。お代はお支払いしますから今日は結構です」
 
なんと少し触れただけで自分の身体に合うかどうかまで判断できるほど鋭敏な感覚を持っていたのだ。
 
それほどまでに身体に気を遣うのは自らの感覚によって打撃フォームを作り上げたからだ。何しろ注文したバットを握っただけで1mmだけ太いのがわかるくらいの感覚を持っている。それほどまでに、繊細な落合が作り上げたフォーム骨折から復帰したことで微妙な体全体のバランスが狂ってしまったという。
 
しかも春のキャンプでは移籍した日本ハムの人気を盛り上げようと普段とは違ってマスコミ対応に追われたこともあって自分自身の練習量が不足してしまう。元来落合は春のキャンプでマスコミ対応よりも自分の練習だけに専念するタイプの選手だ。記者に何を聞かれても「当たり前のことをやっているだけ」と煙に巻いて何も話さない。
 
慣れないことをしたせいで、ただでさえ狂った感覚を元に戻すことができなかった。
 
おまけにアキレス腱痛もあり満足に走り込むこともできず、さらに春先には珍しく風邪を引いて回復に時間が掛かってしまい最悪のスタートを切る。4月16日の西武戦では4打数4安打と健在ぶりをアピールするが、その後は途中交代の多く調子も上がらずに失速をしてしまう。
 
終盤には16年ぶりの6番降格、さらに8月22日のオリックス戦で一塁ライナーを捕球した際に左手薬指の脱きゅうで戦線離脱。移籍1年目の97年は113試合、打率.262、3本塁打、43打点という寂しい成績で終わった。しかもシーズン終了後、戦力外通告を受けた選手が「落合さんが来てからおかしくなった」と捨て台詞を吐いて去って行く事態にまでなってしまう。
 
入団当初とはまるで違う環境に陥った落合は崖っぷちにまで追い込まれた。
 
もはや結果を出すしかない。
 
そう考えた落合は今までのこだわりを捨てた。
 
プロに入って以来、ずっと素手でバットを握っていたのを左手には手袋をはめ、セリーグではほとんどなかった昼間の試合に対応するためにサングラスをかけた。
 
なりふり構っていられないという落合の覚悟が見て取れる。
 
その執念が実ったのか開幕戦は「4番一塁」で先発出場すると3安打の猛打賞を記録し、今年はやってくれるもかもと期待を抱かせた。
 
しかし時の流れは残酷である。44歳になったおじさん選手に容赦なく不幸な出来事が襲いかかる。4月末には落合の打撃を支える生命線でもある右手親指の付け根部分を痛め、レギュラーを外された。首脳陣との野球観の違いもあってベンチを温める日々になっていく。
 
5月19日にシーズン2本目のホームランを放つも、これが現役ラストアーチとなる。
 
 
それでも落合は腐らずにバットを振り、代打として準備だけは欠かさなかった。誰に言われるまでなくスコアブックを付け、相手の攻め方をじっくりと学んだ。
 
皮肉なことに落合がレギュラーを外れてから日本ハムは快進撃を始める。ビックバン打線と名付けられた強力打線は相手投手を打って打って打ちまくる野球で7月まで首位を快走した。残念ながら優勝は逃して2位に終わったものの翌年の優勝を期待させる結果を残した。
 
そんなシーズンに落合の動向がスポーツ新聞を飾る。日本ハムが優勝争いをしている真っ只中に「落合FA、獲得名乗りなければ引退」という記事が掲載された。10月にはメディアで「今季限りの引退」が報じられ、監督から先発出場の打診を受けるも断った。
 
プロが温情ではなく力で先発出場を勝ち取るものだという自らの信念に基づいてのことだった。
 
チームが1対4リードされた5回表に代打で登場。
 
現役最後の打席は141キロのストレートを打って一塁ゴロに倒れる。試合後にセレモニーも何もない静かな幕引きだった。
 
「お疲れさん」といつもと同じようにロッカールームを後にすると、落合は意外な行動に出る。球場出口で出待ちしていたファンがいる柵の前まで歩み寄ったのだ。「ありがとう落合」という横断幕を掲げる男性もいる中、彼らと握手を交わして回り、帰宅の途へ着いた。
 
それから20年経った2018年にTV出演をした落合は引退を決めた理由を聞かれるとこう答えた。
 
「自分で(守備の時に)一塁ファウルフライが、ここだと思って(守ったら)5メートル後ろに落ちたときにダメだと思った」と守備がきっかけだったとした。
 
「バッティングは何とかしても変えられるという気持ちもあった」と語り、「引退というより、野球を続けても無理だと思った。(これから野球を)表現できないんだろうと…。鍛え直しても(現役を続けるという感覚が)芽生えないと思った」とこれまた意外な理由で引退を決意したのだった。
 
そう、それは現役最後のホームランを打った日のこと。一塁の守備に付いた落合は相手打者が打ったファウルフライの目測を誤り、落球をしていたのだ。あのシーンは落合の衰えを感じさせたシーンであった。しかし、落合本人が引退を決めたプレイだとは思わなかった。
 
通算2371安打、510本塁打、1564打点の大打者は意外な理由でバットを置いた。生き残るためにこだわりを捨てた男は自らのこだわりで引退を決めたのだ。恐らくこんな打者はもう出てこないだろう。
 
 
 
 
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2021-09-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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