食べることは生きること
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記事:majyo(ライティング・ゼミ集中コース)
母がまともに食事を出来なくなって、死の影に怯えたあの日から12年が経つ。
最初は父が他界したショックで精神的なものなのかと甘く見ていた。
食事などとれる気分じゃないお父さんもいないのに……。
上手く食べられない、義歯が当たって痛い。そう言ってはあちこちの歯科を渡り歩き、遂には近郊の歯科のほとんどから匙を投げられた。
家での話題は父を失った悲しみについてから、次第に義歯の話ばかりになった。
我慢強かったはずの母は、父を失って何かのたかが外れたように毎日愚痴をこぼし続ける。
何を用意しても食べられない文句ばかりを並べる母に、次第に怒りが募るようになった。
父を亡くしたダメージから、私自身もまだ立ち直れていないというのに。
私は前にもまして仕事を言い訳に、向き合うことから逃げ続けた。
そうこうしているうちに、母は日に日に痩せていく。
遂に食事はミキサー食という形態のほぼペーストの食事になった。
料理が好きで、食べることの好きだった母。
向き合うことを避けてきた私も、遂に向き合わざるを得なくなる。
義歯専門歯科を探し、受診にも同行した。
今までの歯科とは違って、沢山の検査をした。
保険診療では撮らない多角的なレントゲン写真から、母の下顎は異様に湾曲していることがわかった。レントゲンを見て絶句した。
2年もの間、何軒もの歯科になんともないと言われ続けてきて、娘の私までここに至るまで全く母のこの状況を理解しようともしていなかった。
一般の人よりは義歯についても知識があったはずだ。
介護支援専門員として在宅介護にかかわっていた私は、おそらく自分のお客様であれば見落としりしなかったはずなのに。
父の時にそうだったように、身内となると観察すらしようとしていなかったのだ。
何のために知識をつけてきたのか、自分という人間にほとほと嫌になった。
この日からやっと母と私の二人三脚の戦いが始まる。
担当の歯科医はまさにプロフェッショナルというにふさわしく、とても親身に母を診てくれた。その分料金も笑えない金額だった。
上中下の、下の上といった我が家にとってはなかなかの厳しい金額で、母は自分の為にその金額を支払うことにかなりの抵抗があったようだ。
親孝行らしいことを何もできないまま、癌で父を亡くした私は、二度と同じ後悔をしたくないと思った。
食べることは生きることだ。
嫌がる母をなだめすかし、説得して義歯を作った。
あまりに痩せていた母は、歯茎が痩せてしまったことで義歯専門医の技をもってしても、なかなかうまくいかなかった。
それもそのはず、口腔内も筋肉が支配しているのである。
蛋白質がとれなければ筋肉を作る材料の共有を絶たれることになる。
栄養状態改善のために、自費の栄養外来へ通い、毎月酵素のサプリメントを購入した。
神尾記念病院の栄養外来の佐藤医師の診断によれば母は「現代版栄養失調」だった。
戦後は食べるものが無くて栄養失調になった、現代は食べるものは沢山あるけれども、体が加齢とともに食べ物から影響を吸収する力が衰えて栄養失調になっているというのだ。
固いものが食べられず、
「卵と豆腐を食べてるから他の物は食べにくいから食べない」と言い張る母に、佐藤医師は根気よくビタミンB12は動物性蛋白質にしか含まれておらず、肉を食べないと不足するということを繰り返し諭してくれた。
高額な治療費、高額なサプリメント。
わけのわからない宗教に引っかかった経験のある母は、疑ってかかっていたが、私には理解できた。全てが保険外治療だからだ。
他に手段がないならやれることは全部やろうと決めていた。
今年の夏はもう越せないかもしれない、夏は越せても冬はきっと無理だろう……。
沢山の患者を見送ってきた私はあまりのひどい痩せ方に、今は歩ける母にどこかそんな覚悟もしていたのだ。
佐藤医師の説明はシンプルでわかりやすく、論理的で適切だった。
そのころ毎晩足がつることに悩まされていた母は、あちこちの病院からビタミン剤や漢方を処方されていたが全く効いている様子はなかった。
保険外の検査で足りないものをあぶりだし、マグネシウムの摂取をすすめられたが、長らく便秘だった母には下剤として酸化マグネシウムが処方されていた。
そのことを伝えると「にがりを買って、スプレーでふくらはぎに塗るように」との指示がでた。内服したところで排出してしまうから腰痛の時にシップや軟膏から経皮吸収型吸収型鎮痛剤を体内に吸収させるように、マグネシウムを皮膚から体内に吸収させようというのだ。考えたこともなかった。
これにも母は抵抗した。全く医学的知識がないのだから当然だ。
母にとってにがりは豆腐を作るためのものだし、なにより美容オタクゆえに肌荒れを気にした。
いやいや、肌荒れどころかこのままだと死んじゃうよ……。
母にとって私は看護師でもなんでもなく、ただの口うるさい娘なのだ。
診療所のおばあちゃん看護師のびっくりするほど化石化した情報はまるっと信じてきっちり守る癖に、私の話には耳を貸さずに狼狽させられることが続く。
妹のような看護師の親友に説得しに来てもらうこと数回、やっと実践するようになった。
だんだん足がつる回数が減り、そこでやっと佐藤医師を信じるようになった。
患者に媚びることもなく、威張ることもなく、淡々と論理的に説明する姿は本当に信頼できた。夏すら超えられないと思うくらい衰弱していた母は、処方されるサプリメントのおかげで少しずつ口腔内の筋肉を改善し、義歯が当たることも少なくなった。
明らかに母の体調は持ち直し、冬を超え死の足音におびえずに暮らせるようになった頃。佐藤医師の診療が休止された。理由は佐藤医師の入院だった。
その頃は、母も私も佐藤医師に逢える月に1度の診察を楽しみにしていた。
「佐藤先生はどこが悪いんだろうか……」なんだかとても胸騒ぎがした。
3か月ほどたって診察が再開された日、いつもと同じポーカーフェイスの佐藤医師はとても痩せていた。
翌月の診察はまた休止され、更に3か月後に佐藤医師が他界したために外来をクローズするという連絡がきた。後任が居ないというのだ。
母は相変わらず、義歯は万全な状態にはなく、やわらかいものしか食べられないけれど。
サプリメントを処方されなくてもふっくらとして元気である。
あの時、佐藤医師に出会えなければ今のこの幸せはなかった。
母にとことん甘い父が、見かねて巡り合わせてくれたのではないかと思う。
これ以上後悔することがないように、親孝行をしたいとおもう。
***
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