亡き父の10周忌に捧げる想い
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記事: Jin(ジン) (ライティング・ライブ大阪教室)
12年前の事だった。
会社でその電話を受けた時、あり得ない相手に、一瞬、耳を疑った。
「わしや、最近どないしているんや?」
父からだった。
家族から会社へ電話がかかってくるなんて、緊急な用件以外は滅多にない。
ましてや、あまり仲が良いとは言えない父からは。
思わずコードレスの電話機を持ったまま廊下へ出た。
「父さん? なんかあったんか?」
「いや、何もないんやけどな。ちょっとお前の声が聞きたくなってなぁ」
いつもと違う軽い喋り方に、少し違和感を感じた。
「え? ああ元気でやっているけど」
「そおかぁ。それならいいんや」
「今、仕事中やから、また帰ったら電話するよ」
そう言って、とりあえず電話を切った。
様子がおかしいのは明らかだったので、すぐに母の携帯へ電話した。
「父さんから、さっき電話あったけど、様子が変やった。何かあったの?」
「え、そっちにも電話したんか?」
事情を聞けば、ここ最近、また認知症が出始めたらしい。携帯を持っていると、暇なときに番号を登録してある相手に電話をして迷惑をかけているという。携帯は取り上げていたのに、勝手に探し出したようだ。
その1年前の夏、父は心筋梗塞で倒れて救急車で運ばれた。
医者が「家族を集めなさい」と言うほど危険な状態だったが、手術は成功し、3日後、父は意識を取り戻した。しかし、記憶がおかしくなっていた。
見舞いに行っても、僕を息子と認識できず、医者か誰かと思い込んで、
「助けてください。帰りたいです。宜しくお願いします」
と言ってすがりついてきた。
医者は認知症が出てしまっているので、治るのは難しいだろうと言った。
しかし、お母さんが奇跡を起こした。
毎日、毎日、病院へ通い、ベットの傍らで父に語り続けたのだ。
するとポツポツと父の記憶が戻り始めた。
自分が阪神タイガースの大ファンだったこと、定年退職後、ゴルフのレッスンコーチをしていたことなど、不思議と自分が熱中していたことから思い出していったらしい。
そして、僕が見舞いに行くと、息子だということも分かるようになっていた。
父は医者が難しいと告げた事を、ドンドン乗り越えていった。
「なかなか生命力の強い人です」
と医者は言ってはいたが、どうも医者は最初からあまり家族に期待させることは言わないようだ。もちろん、最善を尽くしてくれるが、特に高齢者はその先のことは分からない事も多いのだろう。
それからリハビリを経て退院したが、半年ほど経った頃、今度は脊柱管狭窄症から足のしびれや痛みを訴えるようになった。今、お母さんが苦しんでいる病気と同じだ。
いろんな病院の専門医を回り解決策を探したが、手術以外では完治する見込みがなかった。手術は高齢者にはリスクが高いので、断念して薬でごまかしながらの生活が始まった。
父が再び認知症を発症して、会社に居る僕に電話してきたのも、脊椎管狭窄症で家に閉じこもり出したのが原因かも知れない。認知症は脳細胞が死んだり、働きが悪くなることで起こると言われている。人は歳をとって社会との繋がりが無くなっていくと、脳細胞が劣化して、認知症になったりするのだろう。
そして、その年のお盆に事件は起こった。
僕と妹の家族が実家に集まって、リビングで賑やかに過ごし、夜、外食へ出かけようとしていた時、洗面所の方からゴツンという鈍い音が聞こえた。
嫌な予感がして駆け付けてみると、父が倒れていた。
「父さん! 大丈夫!?」
リビングに家族が大勢いたので、父は洗面所で外出用のズボンに履き替えようとしたのだ。だけど、上手く履けなくて転んだのだった。
「おお、すまん、すまん」
そう言いながら、ゆっくりと起き上がる父。
それほど痛そうな素振りも見せなかったのでホッとして、そのまま外食へ出かけたが、僕の隣の席で食事している時の様子が変だった。
「なあ、前に座っている男の子、誰や?」
「え?」
一瞬、言葉に詰まった。妹の息子のことが認識できていなかったのだ。
そう言えば、昼間よりもボーとした表情をしている。
認知症は少しずつ進んでいたが、家族の名前が分からないことはなかった。
(やっぱり、さっきの打ちどころが悪かったのか)
翌日も様子がおかしかったので、病院へ連れて行くとそのまま入院となった。
脳内の血管の一部が切れて内出血していたのだ。そして、その日から認知症が、どんどん酷くなっていった。
病院からリハビリ施設へ移った父は、車椅子の生活となった。
家内と二人で見舞いに行くと、僕のことも認識しづらくなっていた。
「おまえが息子か? おお、そおやったな。その子は彼女か?」
「家内やで」
「そうか。いつ結婚したんや?」
「何言ってんねん。結婚式に出てたやろ」
父はそんな会話を、ニコニコしながら続けた。
昔、僕は父を憎んでいた。
父の借金問題から、親戚からお金を借りて、母も働きに出ることになった10代後半の頃は、家族にとっての黒歴史で、僕の青春時代に大きく影を落としていた。
社会に出てからも、心の奥底ではわだかまりは消えてなく、父との関係はどこか冷めた感じだった。憎しみは自分にも悪い影響を与えると分かり、父に対するそんな気持ちを捨てようとしたが、完全に捨てきれていなかった。
しかし、目の前にいる父は、もう別人だった。すると不思議とわだかまりが消えて、僕が子供の頃の懐かしいお父さんに会っている気持ちになっていた。
そう言えば、心筋梗塞で倒れた時から、僕は必要とあれば会社を休んで、父を支えた。
今から考えると、そうすることによって、自分の中のわだかまりを完全に消そうとしていたのかも知れないが、純粋に父を心配する思いも確かにあった。
リハビリ施設には規定により長く居られない。しかし、車椅子生活となった父を、お母さん一人で24時間介護することは不可能なので、実家の近くの介護施設に父に移ってもらった。そして、お母さんは毎日通って、献身的に父に尽くした。父はそんなお母さんのことは、不思議としっかり認識していた。
「家に帰りたい、帰りたいって言うから、可哀そう」と言う母。
昔、父に大変な思いをさせられたのに、長年連れ添った夫婦の気持ちは、まだ僕には分からないところがあった。
入所して1ヵ月も経たないうちに、父は夜中にベットから転落して頭を強打し、また病院へ運ばれた。ひょっとしたら、家に帰ろうとして、ベットの柵を乗り越えたのかも知れない。この時も、「今夜が峠です」と医者に言われたけど、持ちこたえた。しかし、意識は二度と戻ることはなく、2カ月後、丁度お母さんの誕生日の日に亡くなった。
今年は、そんな父の10周忌だ。
妹によると、父は晩年、
「もっと子供達との時間を過ごせばよかった」
と後悔の言葉をポツリと言っていたらしい。
確かに、子供の頃、家族旅行をしたのは一度だけだった。
新聞社勤めの為、不規則な生活を強いられていたので、仕方ないことだったけど。
寿司屋に行くと、父との子供時代の思い出が蘇ることがある。
お母さんが用事で、夜、居なかった時、はまちの刺身を山盛り買ってきて、僕と妹に食べさせてくれたことがあった。寿司と言えば、はまちのネタが大好物なのは、その時の影響かも知れない。
「お父さん、一緒に寿司食いに行きたいね」
と言っても、それはもう叶わぬ事なので、お寿司を食べる時は、心の中でお父さんと過ごす時間にしようと思う。
***
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