メディアグランプリ

「諦めるんじゃない。受け入れるんだ」


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鈴木敬太(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
「ピッ・ピッ・ピッ・ピッ」
 
集中治療室で、自分に繋がれた装置が発する規則的な機械音を聴きながら、オレはぼんやり考えていた。大腸を摘出されて人工肛門を増設されたらしいが、それはどうでもよかった。
 
「受け入れなアカンかったんやな……」
 
鼻・口・胸・右手中指・右下腹部・尿道・左足の脛。計7カ所に、針なり管なり、命を維持する為の何かを繋がれていた。身長180㎝で63㎏あった体重は、42㎏まで落ちていた。ほぼ骨と皮だけで、しゃがむ動作を支えられずに、途中で尻もちをつくような筋力だった。誰から見ても満身創痍だったが、下血・激痛・高熱から解放されたオレは「ラク」になっていたし、冷静に考える力と時間はあった。
 
お金、アメリカ、テニス。
思えば全てを追いかけていた。そしてすべてが叶うと信じていた。
 
「頑張ればなんとかなる」
 
目的も根拠もなく、努力はおろか情熱すら足りていなかった、と今は思う。遊ぶコトにも熱心で、楽しそうな誘いは断ったことがない。テニスの練習を優先したことも、英語の勉強を優先したこともない。目標の為に我慢したことなど1つもない。片道切符でアメリカに行く勇気もなかった。どれも夢とすら呼べないだろう。オレは、したいようにしていただけだ。
 
そのくせ根拠の無い自信は人1倍あった。己を知らず傲慢だった。愚かで滑稽だった、遠い記憶……。22歳の夏。
 
異変を感じたのは半年ほど前だっただろうか。
 
昼夜交代制の工場勤務に、週末はテニスコーチを掛け持ちしていた。合間にテニスの練習と試合をこなし、休みは無くとも、充実した毎日を過ごしているつもりでいた。高卒で働いたテニスショップを、3年ほどで辞めてこの生活になってから約1年。アメリカ行きのお金を貯めながら、好きなテニスに打ち込み、コーチ仲間にも恵まれた。かわいい彼女までいた。
 
時折、尻から血が出るようになった。飲食の有無にかかわらず、催すのが鬱陶しかったが、それ以外に不調は感じず「痔……かな」くらいに思っていた。やがて腹痛を伴い始め、血しか出ない用を足す回数が増えた。病院に行ったのは、テニスコートで貧血を起こして動けなくなってからだった。
 
「今から入院な。誰か来てもらえる? ムリ? じゃあ、準備してきて。あ、絶食水やから」と、大学病院の外科部長に告げられた。水分やミネラルを吸収するのに必要な、大腸の絨毛(じゅうもう)がまったく無い状態で、酷い炎症を起こしている。国の指定難病で炎症性腸疾患の1つ、潰瘍性大腸炎だろう、と説明を受けた。水すら飲めないことがショックだった。
 
入院して約1週間。腹痛も下血もマシになり、明日から水が飲める、となってから症状が急転する。突然39.9℃の熱が出たかと思うと、腹痛と下血が、酷くなってぶり返してきた。
 
「あー、熱出たか」
「先生、なんでやねん」
「そーゆー病気やねん」
「1週間も絶食水で酷くなるって」
「しゃあないやろ、頑張れ」
「う、うん」
 
話すと力が湧くいい先生だったが、やがて会話もままならなくなった。
更に1週間、絶食水のまま、下血・激痛・高熱が続いた。意識は朦朧とし、痛くなる時だけ覚醒した。ほぼ毎日ある検査の移動が辛かったが、輸血も痛み止めも熱冷ましも拒んだ。
「病気治す薬とちゃうんやろ? 自力で耐えるわ。感覚が鈍るんイヤやし……」
今思うとポイントがズレているのだが、まだ信じていた。
 
「頑張ればなんとかなる」
 
フラフラのオレを見兼ねた看護婦さんが、検査移動用に、と、車イスを持ってきてくれた。
「バカにすんなや! 自分でイケるわ!」
自分が癇癪を起し始めているコトに気付いていなかった。結局、検査終了後の着替え中に動けなくなって倒れ込んだ。
「ケータくん! ゴメン! 私が無理矢理車イスに乗せへんかったから! ほな勝手にし、って、思てしもてん。ほんまゴメンやで……」
看護婦さんに、謝られながら車イスを押され、オレはボロボロ泣いた。ただ情けなかった。
 
「状態が悪過ぎて、外科的な処置が施せん。投薬治療で多少なりとも寛解させんとカラダが持たんから」と、内科へ移動した。症状は、下血・激痛・高熱のまま、酷くなった。日々、人格が崩壊していった。
 
「熱冷まし? 何回言うたらわかんねん! いらん言うてるやろ!」
「輸血? せえへん! その前にオレの血ぃ止めろや!」
「個室? 入らへんわ! だれが払うねん、そのカネ? オマエか!」
と、看護婦さんに。
 
「ええからもう帰り。居っても治るワケちゃうし。自分のコトしとけ」
「帰れや! なんでこんなトキに説教されなアカンねん!」
「帰ってくれ。ダレの顔も見たくない」
「……。ナンも心配せんでええ。自分で治すから」
と、上からそれぞれ、彼女・親戚・仲間・姉に。
 
まだオレは「頑張っている」つもりだった。
 
更に1週間。もう歩けなかったが、下血は便意となって催す為、トイレに行く必要があった。もっとも「頑張る為」と、ベッド脇に置く簡易便器も、用を足す補助も拒んだから、だが。
「車イスで氷枕を抱いてバリアフリートイレで用を足す」というオレの様子を聞きつけて、内科の看護婦長さんが飛んで来た。
 
「ケータくん! もうアカン! 熱冷ましも痛み止めも輸血もやってもらうで! それと今から個室な! おカネは私が病院とハナシつける。イヤやって言わせへんで!」
 
婦長さんに助けられたオレは気を取り直し、10種以上ある薬の服用に必死になった。この頃には、栄養状態がワルいのも重なり、上下の唇全域に9カ所と、喉全体に巨大な口内炎ができていた。この口内炎が薬を飲むのに厄介だった。単純に痛いのと、喉につかえてエズくのとで、飲み込めないのだ。
 
口内炎と格闘していたある夜。
「スズキくん! 緊急手術や! 大腸に穴開いた!」
内科の先生が個室に駆け込んできて言った。
 
「頑張ればなんとかなる、じゃなく、諦めが肝心、なんか……」と思ったが、そうじゃない。
 
病気への向き合い方も頑張り方もズレていた。何より、自分を受け入れていなかった。収入の少なさも、現実逃避したいのも、プロにはなれないのも、原因はわかっていた。自分が正しい努力をしていないからだった。
 
そんな自分を受け入れず、ムリが効くワケもない。カラダが教えてくれたのだ。授業料が高過ぎた気もするが、身を以て知った真実は「やり方を間違えば頑張ってもどうにもならない」だった。
 
自分を受け入れずに歩む人生は、傷んだ命綱で飛ぶバンジージャンプだ。真に必要なのは蛮勇ではなく勇気なのだ。
 
諦めるんじゃない。受け入れるんだ。
 
 
 
 
***
 
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~21:00
TEL:029-897-3325



2022-02-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事