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“作者”殺人事件


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記事:寺野 智和(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
『作者は……死にました』
 
本を開いたまま、私は上を向いて考え込んでしまった……
知らず知らずに、呼吸が止まっている。
頭の中がぐるぐるとまわっている。
手には汗。
 
作品なのに、その作者が死んでいるとは、どういうこと?
作者がいないのにカタチだけある、ゾンビだとでもいうのだろうか?
 
“作者の死”
 
フランスの哲学者 ロラン・バルトの言葉だ。
 
その言葉を知った時、雷撃に打たれたような感覚になった。
 
 
本や文章は、作者の魂がこもっている。
本や文章の正しい答えは、作者が持っている。
 
それが真実だと思い込んでいた。
だから、まるで宝探しをするように本を読んでいたし、お気に入りの小説などは、その本にまつわる著者インタビューなどがあれば探し読んで、「この理解であっていた!」「そうか、こんな読み方をすれば良かったのか……」と一喜一憂していたのだった。
 
しかし……
 
その答えを持っている、ある意味、本にとっての絶対神とも言える作者は死んでいる。
そのようにロラン・バルトは言うのだ。
 
どういうことなんだろう?
 
普通、本や文章は作者のオリジナルである、と思うだろう。
こうして、この文章を書いているのは紛れもなく私だし、私は生きている。
 
ところが、ロラン・バルトの主張はこうだ。
 
・作者は自らの意思で言葉を選び、文章を書いていると思うかもしれない
・しかし、その言葉やその言葉選びは社会における体験や経験に基づいて選ばされている
 
例えば、朝の挨拶で「おはよう!」と自分の意思で言っているようでいて、他の人が「おはよう」と言い合うのを体験し、それをみて「“おはよう”は、朝の挨拶なんだね」と学びとって、朝、人に会ったら「おはよう!」と言うことを選んでいる、ということ。
朝の挨拶なのに「こんばんは!」と挨拶するならば、「こいつ、頭大丈夫か?」「それはギャグ?」などと思われるだろう。
 
「えげれした!」など意味不明な言葉を使うならば、いよいよ通報されるかもしれない。あるいは、「聞いたことのない外国語を習っているのかしら?」などと思われるかもしれない。
 
つまり、「おはよう」は、日本社会で朝の挨拶と意味づけされていて、朝の出会いという状況によって選ばされている言葉、と言えるだろう。
 
そこに自分の意思による言葉選びの選択肢はない。
私は、社会や状況に言葉に選ばされている操り人形にすぎない……
 
これを、本や文章に置き換えてみると、
 
・作者の真意やアイデアは、社会を通じた体験や経験から学んだ言葉から創られているだけで、作者のオリジナルなどない
・作者は、それを選んでいるだけであり、その選び方、並べ方も、文法として社会で作られたものに過ぎない
 
ゆえに、
 
“作者は、死んでいる”
少なくとも、作者のオリジナルや魂は存在しない。
 
これは事件だ。
ロラン・バルトによって、作者は死んでいることが明らかになってしまった。
 
まるで、サスペンスホラー映画のラストで、「え? 死んでいたのは自分じゃないか!」と主人公が気づいてしまうかのような……そんな衝撃的真実だ。
 
私のオリジナルでないなら、私が文章を書く意味は、あるのだろうか……
私は魂も持たない、社会や状況の操り人形に過ぎないのだろうか……
 
頭を抱えている私に、ロラン・バルトは可能性の光を当ててくれる。
 
“読者の誕生”
 
作者は死んだ、だけど、それと共に読者が生まれた!
 
ロラン・バルトはこう主張する
 
・本を読むことは、作者からのテストに答えるものでもないし、作者の真意を解読するものでもない
・作者の作品を読み手が自由自在に読み取り、意味を見つけだしていい
 
挨拶の話で例えるなら、
 
夜、人に会った際に「おはようございます」と言われたとする。
それを見て、「使い方を間違っている」と解釈してもいいし、「なるほど、この人は夜の仕事の経験者なのだろう」と解釈することもできる。「今度、夜に会ったら、自分も使ってみよう」と挨拶の用途として選択することもできる。
それは読み手の自由なのだ!
 
つまり、本を読むことは、自由に世界を作ること。
 
ある本を読んで、「作者はこういうことを言いたいのだろう」と作者の意図を探してもいいし、「この内容を引用して、こんな主張をしてみよう」と創作してもいい。
 
作者は死んでいる。
だから、作者に忖度することも、へつらう必要もない。
あくまで、読者の自由!
 
しかし……
 
そう考えると、作者はどうなるのだろうか?
頑張って書いているのに、あまりに可哀想な存在ではないだろうか?
 
ただ、こんな視点の変え方もあるかもしれない。
 
“読者の自由は、作者の自由”
 
何を書いても、読者が自由に解釈してくれる。
ならば、作者も気にせずに書きたいことを書き、作りたいものを作ればいいのだ。
何を作っても、その骨は、自由な読者が拾ってくれる。
 
そして、どんな解釈がなされようと、それはあくまで読者の自由なんだから、「へーそんな解釈もあるんだね」と受け取ればいいし、自分もその解釈の読者として「こんな解釈がされるのか。次はこんな表現をしてみよう」と取り入れたいものを取り入れればいい。
作者であり、読者なのだから。
 
作者の抑圧は死んだ。
 
そして、
 
作者の自由が生まれた。
 
私の伝えたいことはこうだから、こう読まれなければいけない!
だから、厳密にこんな文章で書かなければ!
答えを持っているのは作者の私!
 
という思い込みの抑圧からは解放される時がきた。
 
結局、読者が自由に解釈するのだから、私はこんな意図で文章を書いてみようかな。
こんな表現をしたら読者はどんな解釈をしてくれるだろうか? ふふふ……
 
と楽しみながら書いていい。
 
作者が死んだ結果、本来の作者の楽しみが芽吹いてくる。
 
私は、作者の自由や楽しみを感じながら、これからも自由に記事を綴っていこう。
どうぞ、私の書く記事を好きなように解釈してくださいな。
 
ロラン・バルトの本を閉じながら、静かにそう思えたのだった。
 
 
 
 
***
 
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2022-03-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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