今こそ再び、夢想に旅する
202*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:大江 沙知子(ライティング・ゼミ2月コース)
むかしあるところに、ひとりの少女がいた。
彼女には特異な能力があった。それは、ほんの僅かな時間さえあれば、異世界に飛べるというものだ。例えば、小学校の授業の合間、5分の休み時間。同級生がたわいもない談笑をしている間に、人知れず彼女は飛んだ。あるいは、退屈な掃除の時間、一見真面目に箒で床を払っていると見せかけながら、彼女の意識は既に異世界にあり、ドラゴンと闘っていたこともあった。
ところで彼女がこの能力を発揮するために唯一必要なものがあった。
それが【本】である。
幼少期の彼女にとって、本は扉だった。本さえあれば、彼女は自由に想像を広げ、まだ見ぬ世界に飛び出していくことができた。小学4年生頃にこの能力に気付いた彼女は、休み時間のたびに扉を開き、1日に幾度となく異世界と意識を往復させることで、退屈な学校生活を凌いだ。
また休日になれば、新たな扉を見つけに図書館に通った。なにしろ、扉選びが重要なのだ。次に飛ぶ世界は、ドラゴンと人類が共生する世界か? 魔法使いたちが壮絶な闘いを繰り広げる世界か? あるいは、ひとりの少女に運命が託された、傾きかけた世界か――? 彼女は文学の棚を熱心に往復し、本の背表紙を眺め、翌週の旅先を選んだ。
彼女にとって、図書館は日常を鮮やかな冒険に変えるための秘密基地だった。
いつしか彼女の異世界への憧れは募り、自分自身でその世界を創造したいと願うようになった。中学生になった彼女はある時、その願いを父親に告白したことがあった。
すると父親は、こう言った。
「本を書きたいって? そうか、それなら学者にならないとな」
父親は、著名な学者になれば専門書を書ける。だから勉強して学者になれ、と娘を諭した。無論、彼に悪気はないのだが、娘が魔法に満ちた異世界を描きたがっていることは理解できなかった。
またある時、彼女は自分だけの物語を文字にしてみようと思い立った。善は急げとばかりに新しいノートの表紙にタイトルを書き込み、通学鞄の中に忍び込ませた。
しかし運悪く、同級生に見つかってしまう。国語、数学、英語……と平凡なタイトルが並ぶノートの中に、ひとつだけ異質なものを見かけた同級生が、
「何これ? 本のタイトル?」
と訝しげに訊ねてきた。その目には蔑みが浮かんでいた。
純粋な彼女は、父親と同級生の反応を見て、自分が異世界に飛んでいることや、その世界を創造しようとしていることは、おかしいのではないかと考え始めた。自分にとっては当たり前でも、他人から見たら単なる妄想癖に見えるのではないだろうかと。
思春期の彼女は傷ついた。結局、彼女のノートに物語が紡がれることはなかった。
その後、彼女が異世界に飛ぶことはめっきり少なくなった。高校の休み時間の5分間は、次の授業に向けて予習のノートを開いた。稀に図書館に行くことはあったが、向かうのは予約制の勉強机だった。
そして、彼女は父親の助言に従い、学者になるべく理系に進んだ。大学でやることといえば、データを集め、過去文献を引用し、仮説を立証し、レポートとして提出する……それに尽きた。科学には主観も想像力も要らない。いかに理屈で論破するか、あるいは防衛するか。それだけだ。
この頃の彼女にとって、本は鎖だった。自らを論理という地面につなぎ止め、思考が離脱しないように縛る鎖であった。そして、学術書を探す場所である図書館は、通うほどに思考が狭められる牢獄であった。
そんな窮屈な世界も4年目に入る頃には、彼女は既に飽き飽きしていた。他人の文章を盾に自分を守り続けることを、いや、そもそも書くこと自体を苦痛に感じるようになっていた。
そこで彼女は研究の道に進まず就職した。とはいえ求められることは同じだ。データを集め、理屈を立て、報告書として提出する。社会とはそんな仕事で成り立っているものなのだ。彼女はもう冷めきっていた。膨大なデータ処理に心を殺された彼女が想像力を働かせることなど皆無であった。
そんな彼女に転機が訪れたのは、社会人4年目のことだ。
彼女は今や母親になった。
『賢い子に育ちますように』
真面目な彼女は、子どもがまだ座らない頃からその方法を考えた。
そして戻ってきたのだ。図書館に。
しかし、学術書以外の棚に立ち寄ることなど久しぶりだ。恥ずかしさを子どもという盾で隠しながら、彼女はコソコソと絵本の棚に立った。しかし、何を読ませていいものか皆目分からない。棚に並ぶ絵本の背表紙を眺め、簡単そうな本を適当に何冊か取り出してみた。
『こんなものが、面白いのだろうか』
彼女は訝しく思いながら、赤、青、黒と派手な色が塗られた絵本を子どもに見せる。0歳児は絵をじっと見つめた。こっぱずかしい気持ちを押さえながら、意味の通らない単なる音を声に出して読んでやる。子どもの反応はなく、しばらくすると寝入ってしまった。
『所詮、この程度か』
彼女は子どもを抱いたまま、ついでに図書館の中を足の赴くままに歩き始めた。
目的もなく図書館を歩くのは、いつ以来だろう。大学では目当ての本をあらかじめ決めていたし、社会人になってからはネットでの情報収集が中心で、紙の本に触れる機会はほぼなかった。図書館という箱の中で彼女は迷った。
そこでまず向かったのは育児の棚。それから仕事復帰を見据えてビジネスの棚へ。仕事術、時短術、働く女性のキャリア構築……それらしい本はあるが、特段興味をそそられないので、ただ背表紙を眺めて歩く。すると、ある一点で視線が留まった。
【小説家になるには】
なぜ今、これが目についたのか分からない。しかし、思わず本を手に取り、パラパラとめくり……そして彼女は思いついたように、ある棚に足を向けた。
『小学生に戻ったみたいだ』
そこに着いた時、彼女は懐かしい気持ちでいっぱいになった。幼い頃に読みふけったのと同じタイトルが、いくつも並んでいた。文学の世界に帰ってきたのだ。本たちは、まるで「待っていたよ」と語りかけるように、温かく彼女を迎え入れた。何冊か手に取って開くと、瞬く間に異世界への扉が開いた。
今でも彼女の能力は失われていなかった。
幼い頃と同じ高揚感を感じ、彼女は時間を忘れて飛んだ。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
数年後。
彼女は今日もパソコンを開く。白紙のドキュメントに打ち込んでいくのは、自らが生み出した登場人物が歩き、話し、笑う世界。想像力を具現化する世界だ。
彼女にとって、本は今やキャンバスだった。
真っ白な空間に、自由に、鮮やかに夢を描いていく。
一時は、この喜びを捨てかけたのだ。しかし、物語を書く人がいなくなったら、きっと子どもたちは退屈するだろう。そして何より、彼女自身の心が生き生きと情熱に満ちているのを感じる。
過去の私のような少女の心を躍らせる日を夢見て、私は小説家を目指す。
***
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