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“誰かに押し付けられた”この残酷な世界を生きていくには?


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:寺野 智和(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
「なんだって? 2+3の答えが6になる?」
 
友人の説明に、私は耳を疑った。
 
私の知る限り、2と3を足すならば、答えは5しかない。
 
1 + 1=無限大 なんて自己啓発的な例え話があるとしても、それはあくまで例えの話であって、1 + 1の数学的な答えは2だ。2しかない。
 
秘密は“+”にあるらしい。
 
”+”の意味は何か?
日本の教育期間を経験してきた私の中では“ある数とある数を足すための記号”である。
 
しかし……友人の解釈は違うらしい。
 
“+”のことを友人は“クワス”というらしい。
“クワス”の記号的な意味は、“ある数とある数を掛ける”らしいのだ。
そりゃ“×”なんじゃないの? と問い詰めるも、「違う。“クワス”だ!」と言い張る。
いくら、「いやいや、“プラス”でしょ。足す機能を持った記号でしょ」
と説得しても無駄。
二人の考えは足すことも、掛けることもできず、平行線をたどる。
 
うーん……
なぜ、こんな常識的で、当たり前で、明らかなのに、説得できないんだろう……
でも、確かに、「“+”はクワスで、機能は掛けることです」と主張されたら、自分の方が間違っているような気もしてくる。
お互いの認識が合わなければ、それ以上のことは言えない。
そんな気がしてきた。
 
今まで考えたこともない状況に頭を抱え込む私。
 
あ、あれだ……
 
こんなやりとりを本で読んだのを思い出した。
 
ソール・クリプキというアメリカ生まれの哲学者の話である。
クワス算という架空の計算式をでっち上げて、こう主張した。
 
『私の理解を、ある解釈によって強制することなどできない』
 
シンプルな主張だ。
だけど、目の前の世界が突然ハラハラホロホロと壊れてしまいかねない、強烈な主張でもある。
 
2+3=5
 
を、なんの公式でも原理原則でもなく、ただ、そうなることについて、なんの根拠もなく、そして、なんの反論もなく合意を強制され、それに従った“結果”に過ぎないのである。
 
そう考えると、何だか恐ろしくなってくる。
だって、学校で学んだことなんて、「こうすれば、こうなります」ということを押し付けられ、それに合意し、それに従って似たようなパターンに適用できることを“理解している”と言っているのだから。
 
見方を変えると、学校教育においては、原因(例えば、公式や理論)があるから、結果が生まれる、ことが正しいことだと思い込んできた。
 
しかし、クリプキは言う。
 
『この世界に、因果論などない』
 
起きた結果に対して、後付け的に理論を付け加えているだけでしかない。
クワスのように、結果に至る道のりは、いかようにも独自の解釈を捏造することができる。
 
なのに、「こうなったら、こうなる」と説得され、納得しているだけなのである。
そして、それを支える根拠は「そう決まっているんだから、仕方ない」という程度のものしかないのである。
 
なぜ、皆、そんなに簡単に納得しているのか?
それは効率がいいからだろう。
「先生、1+1は、なんで2なんですか!?」
とその都度聞いたり、
「私は、今日は1+1は100にしたいと思います!」
なんて勝手に決めるのは、あまりに効率が悪い。
世界は混乱することだろう。
 
だけど、そんなことは全く考えずに、盲従して、「1 + 1は2だ」としてしまうのも、なんだか気味が悪い。
誰のための効率化なんだろうか?
なんで、そんな説明はないのだろうか?
せめて、「現実世界における活動を円滑に進めるために、これはこうなるように皆で合意しています。ただし、これは正しい考え方でも、唯一絶対的なものでもありません。あくまで、皆で合意したもの、と言うだけです」
と言うことを、教育の最初の大前提として教えて欲しいものだ。
 
それにしても、なんとこの世界は脆いのだろうか。
全てを支えているのは、お互いの合意しかないとは……
 
例えば、あの映画は面白かった!
と言う結果(感想)も、それを支えるのは、
「あの演出」
「あの表現」
「あのストーリー」
などと言うなんの根拠もなくこれまで合意してきたことしかないのである。
それを伝えようと誰かに伝えようと思い、言葉を尽くして熱く語ったところで、それらは、なんの後ろ盾もない言葉の羅列でしかないわけだ。
 
あなたの伝えたいことに合意してくれる人はいるかもしれない。
だって、相手に合意されなければ、面白い理由でもなんでもなく、単なる言葉の羅列に成り下がるのだから。自分の面白さなんて、究極的に相手次第、と言ってもいいのかもしれない。
そう考えると、面白いかどうかも、誰かが合意してくれないと、その意味を持たない言葉なのである。
 
なんと言うことだろう!
私がどう感じ、どう思うか、その理由は何か?などを自分で考えているようで、結局は誰かの合意を待たないと、自分が思っているような意味を持たないだなんて・・・
 
全てが虚しくなってくる。
いや、虚しいなんて思っていることも、誰かが「そうだね」と合意してくれないと、存在すらさせてもらえない……
 
こんな残酷な世界で、私たちはどう生きればいいのだろうか?
 
それは、救いの手に頼るほかないだろう。
 
救いの手?
 
それは、「誰かの合意がなければ意味がない」ということである。
それを逆に解釈するなら、意味を持たせるためには「積極的に誰かと合意を創り出す」ことをすればいいのである。
小説“羅生門”の悪人を救おうと垂らされた蜘蛛の糸のごとき細い細い一本の救いの手である。
 
この世界の残酷なルールを知ってしまった。
知らなければ、「1 + 1=2」と同じように、“何者かに決められたこと”にただ盲従していけばいいだろう。
でも、知ってしまった。ならば、それを活かしていくしかない。
 
絶対の意味なんてないことを理解した上で、自分の思いや考えを積極的に言葉にし、発信し、相手の反応を確認し修正する。
それに取り組んでいけば、“何かに押し付けられた世界”ではなく、“自分が創り出した世界”が広がっていくだろう。
 
一つ良い点がある。
「なんで、自分の言うことをわかってくれないのか!」と憤慨する機会はなくなるだろう。
だって、わかってもらえないこと、わかってもらえてはじめて意味が生まれることを前提に考えるのだから、そんな独りよがりの感情は意味がなくなり、伝わるように伝える努力をするようになるだろう。
ちょっとした理解の違いが痴話喧嘩から戦争まで発展する可能性を考えると、意外と平和な世界を作ってくれる考え方なのかもしれない。
 
残酷な世界ではある。
でも、「残酷“だけど”創り出す楽しみに満ちた世界」にできるかは自分次第だ。
相手に理解してもらうことが、自分の世界を創り出すこと。
これを頭において、世界とコミュニケーションしていこう。
 
 
 
 
***
 
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2022-04-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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