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夫の小言と父からのラブレター


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:吉村 香織(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「ちょっとボリュームさげてくれる?」
 
ねぇねぇ、知ってる? ボリューム下げるって簡単に言うけど、普通のピアノって、大とか小とかのつまみで音量調節するんじゃないんだよ? これはさ、たまたま電子ピアノだからさ、このつまみをねじれば変えられるけどさ。ていうか、いま気持ちよく弾いてたところだったんですけど。ピアノの音色も風情だな~とか、思ってくれないの?
 
夫からのリクエストに、咄嗟に脳内の強気なわたしは愚痴を吐いた。現実のわたしは、はいはいと、おとなしく電子ピアノの音量を小さくした。
 
 
初めてもらったボーナスで、わたしは電子ピアノを買った。念願の電子ピアノ、と書こうかなと思ったけど、それだとちょっと嘘になる。ずっと欲しくて願い続けるくらい欲しかったわけじゃない。でも、お金に余裕がでたら何をする? このくらい自由に使える額があったら何を買う? と言われた時、パッとひらめいたのが電子ピアノだった。即決だった。
 
即決で買ったはいいものの、白と黒の鍵盤が日の目を見ることはそれから十数年しても片手に数えるくらいしかなかった。弾きたいときに気軽に弾けたらな、と買ったピアノだったのに。18歳まではあんなに毎日弾いてたのに。
 
いつからか「仕事の役に立ちそうだから」とか「〇〇の資格のために」とか、何かしら経済的なゴールに結びつきそうな理由がないと、時間も労力も費用も費やすことができなくなっていた。
 
「だって、じゃなきゃ無駄じゃん。それ意味あるの? それってさ、やって何の意味があるわけ?」と、もう一人のシビアな自分がいつも問いかける。答えられないものは容赦なく切り捨てられた。そんな習慣に慣れっこになっていた。
 
 
電子ピアノを購入して12年。その間にわたしは結婚し、子どもをひとり出産した。5回も引っ越しを経験した。引っ越しの度に売り払われそうな危機を何度も乗り越え、ある日電子ピアノはその役目を全うする日がきた。とあるイベントでピアノを弾くことになったのだ。
 
この頃、長男は2歳になっていて、わたしは危惧していた。「お母さん、昔はピアノ上手だったんだよ」といつか言ってしまうんじゃないか、と。それだけは絶対避けたかった。昔話をさも自慢げに話す大人、今努力してない大人にはなりたくない。そんな姿は子どもに見せたくない、となかば拒絶反応のように自分に課していた。
 
そんな理想の親像のおかげで、十数年ぶりにピアノに向かった。次第に感覚を取り戻し、気持ちがノッてきたときだった。夫に小言を言われたのは。
 
 
この時、はじめて気づいた。実家では毎日ピアノ弾いてたけど、父には音量がどうこうとか、そんなふうに言われたこと一回もなかったわ、たぶん(記憶の中では)。どうして今まで気づかなかったんだろう。そうだよ。ピアノの音がうるさいとか、やめろとか、そんな風に父から言われたことはなかったじゃない。
 
母は音楽の教師だった。わたしがピアノもフルートも声楽を始めたのも、母の影響が強かったのかもしれない。わたしは3歳からピアノを習っていた。母に教わっているとき、つまって何度も弾きなおすと怒られる。つまずき続けると、指導がどんどん激しくなる。口調が強くなったり地団太踏まれたり。そうなると当然こっちも練習するのが嫌になってくる。母も、「我が子に教えると無駄にイライラしてしまう。よくない」と悟ったらしく、それからはずっとピアノの先生に習っていた。
 
一方父はというと、歌声を聞いたことがあるのは人生で1回きりだ。楽器も、幼少期にバイオリンを習ってたらしいけど、イヤイヤやってたからすぐ辞めちゃったと聞いた。歌わないし楽器もしないから話は合わない。
 
そんな父だけど、わたしがピアノを弾くことを好んでくれていた。父の好きなジャズとかボサノバとか、そういうジャンルの曲はたいてい好評で。でも、合唱曲の伴奏とか左手の練習曲とかさ、ずっと聞いていてそんなに心地いいものではないものも弾いてたけど、文句を言われたことはなかったな。生活空間に何時間も練習曲が流れ続けてると、さすがに嫌になってくるもんじゃないかとわたしだったら思いそうだけど。
 
厳しかった父。休日一緒に遊んでもらった記憶は申し訳ないけどほぼない。でも、ピアノの音色をいいなと思ってくれていたのは事実みたいだ。そんな事実に、今さら励まされる。一緒に暮らしていたときは当たり前すぎて全然気づかなかったけれど、静かに受け止めてくれていたんだな、好きにさせてくれていたんだなって、今なら思える。
 
 
そういえば、ピアノはずっとわたしの感情を代弁してくれる体の一部だった。怒りがこみあげてくるとき、感情のやり場がないとき、泣きたくてしょうがないとき、言葉にして誰かに伝える代わりにピアノを弾いた。何時間も延々と。そうしていると、悩んでいたことや嫌なことから解放された。
 
感情って言葉で表現できるんだ!と知ったのは大人になってからだった。というかここ数年の話かもしれない、ほんとうの意味では。
 
よくよく考えてみれば、18歳で東京に上京し、知人が一人もいない東京での暮らしが始まってから情緒不安定気味だったのは、ピアノを弾いていなかったからかもしれない。頼れるよすがが無くなったから気持ちのバランスが取れなくてもがいていたのかも、なんて思ってきたけれど、実はそうじゃなかったのかも。感情表現の手段がわたしには必要だっただけ。それだけなのかもしれない。
 
時が経ち、わたしはコミュニケーションを学んだ。今でも毎日がトレーニングだけど、少しずつ感情を言葉にできるようになってきた。素直に、嬉しい。
 
電子ピアノは、今は自宅二階にひっそり佇んでいる。たまに、5歳になった息子に電源を入れられて、ぴゃあぴゃあ弾いて遊ばれている。
 
 
2021年年末、次男を出産した。二人目の子どもに、人生最初のギフトである名前を贈ったのをきっかけに、自分の名前の由来をもう一度ちゃんと聞いておこうと思った。
 
どうやら父がわたしの名前を名付けたらしい。父にメールで聞いてみる。
「香織が持っとるアルバムの最初のページに書いてあるよ」とだけ返信があった。
 
なんだ、忘れちゃったんじゃないの? おいおい。と思いながらも、押し入れの奥底に押し込まれたダンボールを引っ張り出して、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたアルバムのうちの一冊を取り出す。最初のページをめくってみると、こう書かれていた。
 
「命名の由来。香織。ピアノの美しい旋律が香しい花の香りを織りなすように、やさしく美しい人になるように、願いを込めて」
 
名前の由来にピアノの音が入ってるじゃん。なんだ、そうだったんだ。もっと早くこれを見返せば良かったかも。
 
これからは自分のために弾こう、と思った。その先何かの仕事につながりそうだから、なんて下心は一切なく。息子にこういう背中を魅せたいとか、そういう野心もなく。ただただ、自分が弾きたいから弾く。感情を表現するためにピアノを弾く。そんな豊かな時間、どれくらい感じていなかっただろう、わたしは。
 
父が願ったような人間になれているかは分からない。けど、願わくばこれから少しでも近づいていけたらいい。でも優等生にならず、無理せず、わたしのペースで、ね。
 
 
 
 
***
 
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2022-05-18 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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