浸水バーベキューは涙と優しい味がした
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:横山裕子(ライティング・ゼミ4月コース)
シャーッ、玄関ドアのすき間から、水が噴き出している。
ドアを開けようと押しても、びくともしない。靴が浮いて、みるみるうちに水位が上がってきた。
秋雨前線の影響で降り続いていた雨が、時折、激しく屋根をたたいていた。
窓を開けてびっくりした。一面の水……。まだ、草やらアスファルトが見えている。そんなに深くはないようだ。
でも、わが家は古い平屋、このままでは、どんどん浸水してくる。
「どうする、どうする?」心臓がバクバクいっている。
固まる思考を何とか振り絞り、とりあえず、一歳になる娘の食べ物と着替えをリュックに詰めた。
「逃げなきゃ」
お隣さんは2階がある。電話をしたら、「すぐにおいで」と言ってくれた。
会話ができたことで、少し気持ちが落ち着いた。玄関ドアは開かない。さて、娘を連れて、どうやって外へ出る……。またもや思考が止まりそうになる。
窓の外を見る。雨が小降りになってきたようだ。
水は、玄関の三和土いっぱいになり、もう少しで部屋に流れ込みそうだ。
娘を抱っこ紐でしっかり抱き、リュックを背負った。濡れた靴を履こうとして、ふと、気付いた。「水が引いてきてる」助かった……。
ザーッという雨音を聞くと、時折思い出す光景だ。
我が家は、お椀の底のような場所にある。海抜12メートルの国道から下って、海抜6メートルの位置にある。家の裏手には小さな川があり、その先はまた上っていく。普段は静かで暮らしやすいのだが、雨が降ると水が溜まりやすい。
浸水する前は、海抜なんて気にしたこともなかった。でも今は、自転車で走りながら電柱を見る癖がついた。時々表示されている「海抜」を確認するためだ。自転車や歩きだと、高低差が実感しやすい。
「へえー、この辺はうちより低いんだ。意外」なんて思いながら、住んでる町の地形を想像しながら歩くのは面白い。
浸水の怖さもあり、少し土を盛って、家を建て直した。今度は2階もある。
安心感からか、浸水したこと自体、少しずつ忘れていった。
10年の月日が流れ……。
天災は忘れた頃にやってきた。
その年は、次々と台風が発生していた。関東地方に台風が上陸し、通り過ぎた後、また次の台風が迫っていた。そして、秋雨前線。ザーッという雨音が響く。
「このまま降り続いたら……」不安は現実のものとなった。
水が迫ってきている。家の前の道が川のようだ。30分もしないうちに、車庫、庭、玄関へと水が向かってきた。
靴、家電品、食料……。持って上がれるだけ、2階へ避難させていると、「ボコボコッ」何やら音がする。「何?」おそるおそる、音のする方へ……。浴室とトイレだ。逆流の兆候だった。一瞬、固まってしまった私に、「水位が止まったみたいだぞ」と夫の声。
外に出てみると、玄関手前で水面がユラユラしていた。
水は、まず一番低い所に流れ込み、その後、同じ高さの場所に行き渡るまで、時間かかるそうだ。それは、時間稼ぎになる。
「ご近所さんの様子を見てくる」と言って、太ももまで水に浸かりながら、夫は出ていった。長靴は役に立たない。レインコートに短パン、スニーカーといういで立ち。何が流れているかわからないので、洗い流す水と消毒薬を準備する。
ご近所には、一人暮らしのおばあちゃんの家が二軒ある。二階に避難しているとは聞いたけれど、大丈夫だろうか。
幸いにも、ご近所さんは皆、無事だった。ただ、おばあちゃんの家は二軒とも、床上まで浸水していた。
雨が弱くなってくると、あっという間に水は引いていった。あふれるのも引くのも30分くらいの間ではなかっただろうか。けれど、長い長い「一瞬」だった。
翌朝は雨も止んで、ご近所さん総出で片付け、掃除。市から消毒の業者も回ってくるという。
と、突然、プーッという車のクラクションの音。
「鳴り止まない。どうしよう」とお隣さんが駆け込んできた。水に浸かってショートしてしまったのか? 夫がボンネットを開けて、バッテリーから線を外すと、音は鳴りやんだ。
初めての大規模な浸水に、皆、不安顔だ。
夫の幼馴染でもある、おばあちゃんの息子さんも駆けつけ、気を取り直して、いざ、始動。
手伝いに行って、驚いた。
床上浸水した二軒とも、畳が浮き、浴槽とトイレには、黒い濁った水が溜まっていた。
汚水に浸かったありとあらゆるものが散乱し、灰色に濡れていた。アルバムも水に浸かり、写真すべてが黒い水にまみれている。
言葉が無かった。
片付けながら、夫はその状況を写真撮影していた。不謹慎だと思って、イライラしたが、これが後に役に立ったのだ。市への被害状況の報告、保険請求など、一目瞭然だった。もちろん、自分達の今後の対策にも、大いに参考になった。
最近、台風シーズンや雨の時季には、大雨の被害や浸水のニュースを目にすることが多くなったと思う。ただ、テレビから流れるニュース映像として、見ている自分がいた。でも、他人事ではないのだ。異常気象、線状降水帯などの報道は、もはや「異常」ではなく「通常」の事として、準備した方がいいのかもしれない。
結局、12軒中、3軒が床上浸水、5軒が床下浸水だった。我が家は、床下浸水、車も水に浸かり駄目にした。
男性陣が、濡れた畳を外に積み上げる。水をジャージャー流しながら、家の中、外を洗い流していった……。
1か月ほど経った頃、ご近所のおばあちゃんから、「あの時はありがとう。みんなでお茶でも飲みたいね」と声を掛けてもらった。ちょうど、夫と幼馴染も「お疲れ様会、やりたいね」と話していたところだった。
「いっそのこと、防災訓練も兼ねて、バーベキューやろう!」
んー、飲みたいだけじゃない? まあ、楽しそうだからいっか!
「お疲れ様会やります。良かったどうぞ!」と、ご近所さんに声をかけて回る。
会場は、おばあちゃんの家。幼馴染の実家だ。畳は無くなり、広い板の間になっていた。ご近所のおばさん方が一品持ち寄り、飲み物も準備万端。庭にコンロと肉をセットした。
「皆さん、お疲れ様でした~。無事で何より。乾杯!」
「無事で良かった」「怖かったね」「心強かった」「ありがとう」
感謝の言葉が、何度も行き来した。
自然にはかなわない。けれど、人の力も、捨てたもんじゃない。
知恵を絞り、力を合わせれば、きっと、嵐の後にも虹がかかるだろう。
その日のビールと肉の味は、格別だった。
そこには、泣き笑いの笑顔があった。
***
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