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上司にもらった”アンオフィシャルなお駄賃”で買った靴が、10年後の私にもたらした問題提起


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:まつりか(ライティング・ライブ東京会場)
 
 
「お前、最悪だな。」
本社ビルのだだっ広い共有ロビー。
1年間ペアを組んできた上司に、私は静かに言われた。
 
「約束してたから、1万やるよ」
私は裸の1万円札をひらりと受け取った。
 
眺めのいいガラス張り。長い廊下は片面ずっと、ガラス張り。
16階のこの場所は、遠くまで続く青空がパノラマのように広がっていた。
 
 
人生には、始まりと終わりがある。
人と人の接点においても、かかわりを持ったら必ず始まりと終わりの物語があるように、
物にもそれがあると思う。
他者の存在はいつも、自分にきっかけをくれる。
 
 
10年近く前に言われた言葉とシーンが急に蘇ったのは
紫色の靴を、久しぶりに履いたからだ。
 
私は大学を卒業して以来、テレビ番組制作会社に勤めていた。
この業界では、制作を目指す際に、ほぼアシスタントディレクターという仕事から始める。テレビで聞いたことがある人も多いであろう、AD(えーでぃー)だ。
今でこそ社会の流れに合わせて多少仕組みは変わったかもしれないが、当時はシンプルに徒弟制度のような状態だった。明確な制度こそないが、実際ディレクターとして仕事に就いていく過程では、アシスタントとしてディレクターに付きながら、制作にまつわる幅広い仕事をしていくのが基本。ビジネス用語のように言うと、OJT。基本、そうして現場に身を投じて立ち会っていくこと以外で、この仕事を知っていくことは難しい。
 
私は当時担当していた大所帯の番組の中でも、年長のADだった。
ロケと言って取材や屋外撮影を主にやっていた時期もあり、体力と気力が前提の上成り立っているような、番組やスタッフの方々と仕事をさせてもらってくることが出来た。
そこで、フリーランスで非常駐ながら、制作実績のあるベテランディレクターに付くことになった。
それがSさんだった。
 
私はSさんと組んで、“長尺”と言う時間数の長い、レギュラーのロケVTRを担当した。
 
ディレクターの仕事は、
放送されるVTRの全体の構成をイチから考える。
アイデアが固まってきたら実現に向けて試行錯誤する。
取材対象の人や物について調査をする。
描き方の詳細を詰める。小道具も細部まで決める。
関わる人と、個別に詳細を詰めていく。
ここまで決まったところで、ようやく撮影に入る。
撮影が終わるまでに、既にかなりの労力を費やすのだが、ここまでは人との関りも多い。
 
そこから「編集」という仕事に入る。
ディレクターの腕の見せ所であり、これまでただの「素材」だったものを「放送される作品」に変換・形成するのが「編集」だ。ここまで他者と作り上げてきたものを、ここからは一人で仕上げていく。
 
ADにとって、編集は特にOJTで、実際に手を動かして数を重ね、現場に立ち会い、腕のある仕事を見ながら、磨いていくのみ。
最初は、たった数秒~数十秒の短いVTRから「放送」として映像を世に放っていく。
私も、これまでの上司に付きながら、上司の作品の中で「VTRの一部」を作ってきた。
 
 
この時も私のVTR制作は、SさんのVTRの一部、ほんの20秒程度の編集から始まった。
最初は前もって数日前に頼まれていて、編集当日にSさんの“本編”とつなぎ合わせる形をとっていた。
私は、任された(たった)20秒を心を込めて繋いだ。まだまだ器用ではないから、一人で、かなりの時間をかけて。
 
頼まれるパートは徐々に時間が延び、回数も増えていった。
 
 
ある時。
編集所で一緒に作業をしていると「今この場で、この部分作って」と急発注された。
確か45秒くらいのシーンだったと思う。
「これまでいろいろ頼んできたのと同じだし、もうそんなに難しくないだろう」Sさんはそう思ったと思う。
私はSさんの隣で、すぐさま自分のPCを開いて編集を始めた。
自慢ではないけれど、私の編集は、とても遅い。コンプレックスになるほど遅くて、人の隣で作業するのも嫌だし、タイムリミットのあるこんな環境で完成させるのは、苦手なシチュエーションに他ならなかった。
「絶対この時間内で“仕上げ”なければならない……」
プレッシャーで集中力は高まった。
それでも時間が進んでいき、キーボードを叩く手はガチャガチャと忙しなく速まった。
そう。サクッと作ることなんて、私には出来ない。
同じシーンを何度も組み替えて。
使うカットを何度も差し替えて。
1秒より短い単位での調整を何度も何度も繰り返していた。
 
「できました」
そう言って編集した映像を渡すと、
Sさんは「お前すげえな」と短い言葉を言って、受け取ってくれた。
私の、執着のような細かい微調整を、隣で見ていてくれたのだ。
私は、不器用な編集を隣で見られる恥ずかしさのようなものがあり、「器用な人だったらこんなに行ったり来たり、些細なところにこだわって後戻りしたり、こんなに苦戦、しないよね……」と、心の中で苦笑した。
けれど、仕上がりに満足してくれた手ごたえも感じた。
 
 
ある時。
多忙なディレクターのSさんは、他の長編の仕事と制作期間が重なった。
 
「お前さ、一本丸々やってくれない? バイト代1万やるわ」
ついに、Sさんの作品の全体の粗繋ぎを、全部任せてくれたのだ。
 
 
 
私はその“バイト”を引き受けたけれど
結果的に、Sさんの要求に応える編集が、作れなかった。
 
 
 
Sさんが褒めてくれた緻密さは出せず、粗編集とはいえ素材の魅力を引き出す“完成形”に持っていくことができなかった。
 
「お前最悪だな」と言われて、もちろん悲しかった。達していない自覚もあって、ふがいなかった。けれど、Sさんの言葉すべては、受け取れていなかったかもしれない。
今になって思う。
私は、Sさんの信頼を受け取れていなかったかもしれない。
当時の自分を、自分が見くびっていたかもしれない。
自分はこんなもんだろうと勝手に思って、「こんなもん」の編集を提出した。
 
Sさんは、WIN―WINの提案をくれたのだ。
もしも私が粗編集の段階で、そのまま通るようなVTRの状態を作っていたら……
Sさんは私が作ったことを伝え、私がディレクターになることもサポートしてくれたかもしれない。
 
 
Sさんから裸で受け取った1万円札。
「ご褒美」と同時になんとなく「あぶく銭」という言葉がしっくりときた。
私は、そのお金で、その日のうちに靴を買った。
ちょっと気になっていたけど、そこまで実用的ではないから、若い私にはちょっと贅沢に感じていた靴。たまにしか履けないデザインなのに、毎日履くスニーカーと同じぐらいの値段がする靴。お出かけの服なんて、着る時間もないADの私に。
 
 
衣替えで久しぶりに顔を出した紫色の靴。
なんだか履きたくなった。
 
 
数年ぶりにこの靴を履いた今日、帰り道で踵が剥がれた。
右足が剥がれたと思ったら、およそ100m後、まさか左足も。
靴の踵って、あんまり剥がれたことないんだけど……綺麗に剝がれた。
両足そろってきっちりと。
今日、靴としてのお役目を最後まで果たし、やり遂げた姿を、見せてくれた。
私は“彼女”を看取ることが出来た。
 
 
今私は、仕事面で人生の転機にいる。
この靴との再会は、何年も思い出すことのなかったかつての自分と仕事を思い出させてくれた。
仕事への熱量。自らの“足で稼いだ”経験。自分の未熟さ。
この靴の、私の人生への登場回数は少なかったかもしれない。
けれど、10年後の私に、分岐点にいる私に、あの時の経験を、知恵として、糧として価値を提供してくれた。
それは靴からの、Sさんからの、提案のように感じられた。
 
 
 
 
***
 
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2022-06-01 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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