屋久島の懐に抱かれて
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:今村真緒(ライティング・ゼミNEO)
水平線のあたりにいたわずかな影が、急激に広がって目前まで迫ってきていた。
さっきまでの雲一つない青空が嘘のようだった。
「ポタッ」
10円玉ほどの雨粒が私のシャツに濃い染みを作ったかと思うと、途端に雨粒はバケツをひっくり返したように降り注ぎ、慌てて近くの家の軒下に逃げる私をずぶ濡れにした。
あっという間の出来事に呆然とした。よく「1か月に35日雨が降る」などと言われ、降水量が多いことで知られる屋久島だけれど、雨の勢いまでもがダイナミックで大自然の生命力を感じさせてくれる。
スコールのような雨が過ぎると、今起きたことが夢だったように太陽がケロリと雲間から顔を出した。頭から滴る雫を手の甲で拭うと、海のほうから吹き付ける風はすでに湿り気を忘れて爽やかだ。頭上には再び夏の光が燦燦と降り注ぎ、場面転換の早さに驚いた。
屋久島といえば、思い出すのは夏休みだ。毎年とはいかなかったけれど、屋久島出身の両親がお盆に連れて行ってくれることが多かったのだ。祖父母や伯母の家に泊めてもらい、いとこたちとスクール水着に着替えて、すぐそこの海や川へ歩いていく。小川の石垣に隠れている小さなカニを、何の葉っぱか忘れたけれど餌に見立てて棒の先につるして誘い出す。カニがじゃんじゃん捕まるのが面白くて夕方になるまで飽きもせずに捕って、日暮れに帰れば炊き立てのご飯と食欲をそそるおかずが出来上がっていた。
島の人はお酒が強い。特に芋焼酎を好んでいたように思う。祖父や伯父たちは焼酎を生で飲んで真っ赤なつやつやした顔で朗らかに笑い、祖母や伯母たちはおかずをてんこ盛りに並べ子どもたちに食べさせて、ご飯のおかわりをしなくてよいかと陽気に尋ねる。
島の日々は、ビックリするほど規則正しかった。朝早く日が昇るのと一緒に起きて、日が沈む頃に夕食を共に食べる。賑やかに食事を済ませたら、大人は酔っぱらい子どもたちは遊び疲れて早めに眠る。南の島のハメハメハ大王の歌みたいに、時間というよりは自然のリズムに合わせて暮らしているように思えた。お客の私たちをもてなしてくれていたのだと思うけれど、普段は塾に行き、遅くまでテレビを見ていた自分の生活とはあまりにもリズムが違うのに驚いた。島ではご飯が格別に美味しく感じられ勧められるままにおかわりしてしまい、帰る頃には2、3キロ太ってしまうのも常だった。
中学生くらいからは、島を訪ねるのは結婚式や法事などの行事ゴトがあるときになった。冬でもハイビスカスが咲き、ゴールデンウィーク頃は山の新緑が目に沁みるけれど、私の中の屋久島の原風景は、夏休みに過ごした鮮やかな日々だ。
祖母や祖父が亡くなると、屋久島へ向かう機会はめっきり減った。社会人になり家庭を持つと、さらに島への足が遠のいた。伯父や伯母は「いつでもおいで」と、電話の度に言ってくれるけれど、「いつか行きたいね」と挨拶のように返すだけになった。行きたくないわけじゃない。ただ子供の頃のように何にも考えず砂浜に寝転んだり、真っ黒に日焼けするまで走り回ったりするのが大人になるにつれて難しくなったのだ。いつの間にか優先順位が別のことで占められ、行きたいと思いながらも後回しになっていたのだった。
幼い頃は、祖父母の家が近くにないことが不満だった。屋久島まで行くには、福岡から鹿児島まで列車か車で向かい、更に鹿児島港から船に乗らなければならず、ほぼ1日がかりの移動で子どもには遠すぎた。昔はお正月にはお店が閉まり、周りに親戚のいない私たちは行くところがなく、近所に行く場所のある友達が羨ましかった。
けれど、一旦島に迎えられれば心の躍る毎日が待っていた。見たことのない海の色やそびえ立つ山々、急に振り出した雨の後に石垣から這い出てくる沢ガニの行列。グァバやパッションフルーツの甘い香りに、開け放した窓を吹き抜ける心地良い海風。豪快な笑い声と大らかさで私の気持ちを和ませてくれる親戚や島の人たち。何度も行った割には観光もしたことがないと言うと皆驚くけれど、行けば両家の親戚まわりや墓参りをするのが恒例だったし、その間にいとこたちと遊ぶだけで十分に楽しかった。
半年前に、法事で私の両親が屋久島へと向かった。久しぶりに故郷を訪れた二人は、喜々としてその時のことを私に話した。屋久島に戻るとパワーをもらって帰ってくる。そう言って、両親の顔は輝いていた。もちろんきょうだいや親戚との交流が活力を与えてくれたのだろうが、屋久島の海や山、どこまでも広がる空や風の匂いにすっぽりと体を包みこまれたのだろう。ああ、分かる。ふと子供の頃の夏休みが頭に浮かび、私もその懐に抱かれたいと思った。
伯父や伯母も高齢となり、健康への不安を口にすることが増えたという。それは私の両親も同じだ。みんなが若かったあの夏休みから、一体どれくらい時が過ぎただろう。いつまでもそのままであってほしいけれど、時間は刻々と過ぎていく。
「会える時に会っておかないと、次が無いかもしれない」
両親の言葉が、いやに胸に刺さった。
そういえば、実家の仏壇で手を合わせることはあっても、もう長く祖父母の墓参りに行っていない。両家のお墓は、どちらとも海の近くにあるせいか地面が砂地だ。島の人たちはお墓を大切に守って、いつもきれいにしている。あの突然の雨に降られたのも、お墓参りの帰り道だった。ふと、いつまでも思っているだけでは、いざというときに後悔するかもしれないと思った。優先順位ばかり守ってきた私だけど、こんな風に思うのはある意味チャンスなのかもしれない。高齢になった両親と伯父や伯母。「いつか」はあくまでも「いつか」で、その内輪郭を失くしていく。
船で屋久島に向かうとき、トビウオの群れが船の周りを跳ねてついてきた。港から祖父の家に向かうとき、島の中央にそびえる山々が手を広げて迎えてくれるような気がした。
「いつか」でなく、実現の日を定めよう。両親と一緒に懐かしい人たちと時を過ごし、海風に吹かれ思い切り息を吸い込んだら、きっとそれが私の滋養となり新たな宝物となって満たしてくれるはずだと思う。
***
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