もう「罪と罰」を読まないなんて言わないよ、絶対。
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記事:細井 岳(ライティング・ライブ東京会場)
この世には二種類の人間がいる。
そう、ドストエフスキーの「罪と罰」を読んだ人間と読んでいない人間、この二種類だ。
無論、私は前者の「罪と罰」を読んだ人間だ。
……なんて上から目線でエラソーなことをぬかしてみたが、安心して欲しい。私もつい最近まで長年にわたり「罪と罰」を未読スルーしてきたくちだ。そう、実に41歳まで「罪と罰」童貞だったのである。
これから私が如何にして「罪と罰」童貞を卒業するにいたったかを綴っていこうと思う。最後までお読みいただければ、未読者(みどくもの)の諸兄姉も既読者への一歩を踏み出そうという気になる……はずだ。どうか最後まで臆せずついてきて欲しい。
「罪と罰」の存在を知ったのは、おそらく中学生くらいだったかと思う。それ以来、私が頑なに童貞を守り続けさせられてきたのは、ひとえにドストエフスキーのせいである、正式に言うと「フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー」のせいである。
こんな重厚な名前の作家の、古典で名作の、しかも大長編の小説(分厚い上下巻だったり、3巻だったりする)で、終いにはタイトルが「罪と罰」なのだ。トドメは教科書とかで見かけるドストエフスキーの写真。その真顔っぷり。あの顔で常に「罪と罰」と迫られるのだ、とてもシンドイ。重すぎるのだ。
こんな精神的にも、物理的にも重々しい小説、読む気になれますか。なれないと思うんだな、僕ぁ。読む気どころか、関わり合いになりたくないとさえ思っていたくらいだ。しかし、相手は世界的名作。なんか読んでないとコケンに関わる……みたいな、こちら側の虚栄心・劣等感を苛んでくるのだ。じつに質が悪い。
そんな具合に私の「罪と罰」童貞はこじれにこじれていた。そんな私を既読者へと誘ってくれたのは1冊の本であった。
「『罪と罰』を読まない」
岸本佐知子・三浦しをん・吉田篤弘・吉田浩美(著)/文藝春秋
この本を見た時、自分のために書かれたんじゃないかと錯覚した。そのように錯覚させてくれる本を私は良い本と定義している。著者は翻訳家、小説家、デザイナー、いずれ本に関わる人たちだ。この人たちでさえ、「罪と罰」を読んでこなかったのかと驚く。
さて、本書の内容はと言うと、「罪と罰」未読者4人による、未読のままの読書会の顛末が記されている。著者4人には、最小限の情報、「罪と罰」の最初と最後を1ページずつだけがわたされるだけ。読むという言葉には、「先の筋を推測する」という意味もある。であれば、読んでなくとも「読み」を発揮すれば読めるというわけだ。彼らは「読まずに読む」という離れ業をやってのけているのだ。
つまり本書の読者は、彼ら4人による「読み」を読むことになる。これが非常に面白い。さすが小説家や翻訳家である。彼らの「読み」は創作の観点からなされるので、創作論としても本書は面白いのだ。一番痛快なのは私も未読者なので、彼らの「読み」がデタラメなのか、どうか確かめられないという点だ。まぁ、デタラメなんだけど……(笑)
さて、デタラメを読まされるとどうなるか。ただちに確かめたくなるのだ。「罪と罰」の本当の所を確かめたい、となる。効果は絶大で、あれだけ頑な童貞だった私が本書を読み終えて、すぐに「罪と罰」(光文社古典新訳文庫の全3巻)をAmazonでオーダーしたほどだ。
そうして私は「罪と罰」童貞を卒業したのだ。読まずにいた期間41年、読んだ期間は3週間。めくるめく読書体験だった。「罪と罰」、それにドストエフスキー、めちゃくちゃ面白いじゃん。みんな読んだ方がいいよ、「罪と罰」。
「ドストエフスキー=重厚」は間違いだった。こちらの勝手な思い込みだった。彼の、あの深刻な表情に騙されてはいけない。「罪と罰」を読んだ今だから、よぉ~くわかるが、彼のあの表情はある種の振り、ないしはボケである。竹中直人の至芸「笑いながら怒る人」というのがあるが、ドストエフスキーの場合は「深刻な顔をしてフザケる人」だ。
例えば、
”ちくしょう、ぼくはときどき、お嫁にいけたらなあって空想するんです”(P48「罪と罰」第3巻/光文社古典新訳文庫)
とか
”ごらんなさいよ、あの汚い顔したあの男、鼻水のかたまりに足が二本生えみたいじゃないの!”(同P62より)
こういう事をあの深刻な顔で淡々と書いてくるわけだ。この「深刻な顔をしてフザケる人」という至芸をドストエフスキーがノリノリで披露してくるのが第5部だ(物語は全6部)。
私が思うに第5部は落語である。少しネタバレだけど、お葬式という状況を落語チックにドタバタに描いているのだ。「罪と罰」未読者の人は、立ち読みでもいいから、第5部だけを読んでみて欲しい。初めからの流れなんてどうでもいい。それだけ第5部は全体から浮いている。その時に「深刻な顔をしてフザケる人」のネタなんだということを念頭に置いて読むのがポイントだ。
まぁ、騙されたと思って「『罪と罰』を読まない」、もしくは第5部だけつまみ読みを試してみて欲しい。ドストエフスキーの至芸があなたを待っている。
……と言う私の傍らには「カラマーゾフの兄弟」全5巻が積まれている。
***
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