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これが私のニューノーマル


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:黒﨑良英(ライティング・ゼミNEO)
 
 
世界中を新型コロナウィルスが襲い、私たちの生活は大きく変わった。
人と会うときは常にマスクをつけ、建物の入り口には当たり前のように消毒液、それと検温器が設置されているところがある。
密は避け、人との距離をとり、催しものは人数制限があり、と、時には歯がゆい思いをしなければならない場面もある。
 
だが、最初は煩わしく思っていたこれらの異例も、それが通例となり、常識となり、通常の姿となってしまった今となっては、そこに文句のつけようもないし、煩わしく思うヒマさえない。
 
すなわち、これがあらたなる常識であり、標準である。いわゆる「ニューノーマル」というやつだ。
 
私も当然その波からは逃れようがないが、年度が令和4年に改まると同時に、もう一つ、私は新たな習慣、いや、標準を身につけた。
毎回4時間に及ぶ透析治療である。
 
このサイトでも度々書いてきたことではあるが、私は今年、腎臓の病が悪化し、透析治療を行うことになった。
 
「透析治療」とは、機能の落ちた腎臓に代わり、その役割を機械に委ねる治療である。
腎臓は本来、血液の浄化と水分の排泄など、多彩な役割を担う臓器である。
その臓器に代わり血液を、機械を通して浄化し、溜まった水分も吸収し、清浄な血液としてまた体内に戻す、というものだ。
 
治療前、私の腎臓は数値にして本来の10%くらいしか機能していなかったため、浄化されていない血液が体内に巡っていた状況であった。常に倦怠感に襲われ、眠気にも襲われ、最後の方は仕事どころではなく、周りの人々、特に私は教職に就いていたので、生徒にも迷惑をかけたと思う。
 
だがそれでも、透析治療に踏み切る覚悟ができなかった。
この治療は、先にも行ったが機械を通して腎臓の役割を果たす治療であり、それはすなわち、今の腎臓を諦める行為でもある。
説明されたところによると、役割を機械に譲った腎臓は、ますますその力をなくし、しまいには排泄機能も全くなくしてしまうという。
 
それは私にとって、ただ言葉通りの意味ではなかった。一つの臓器が使えなくなって、それを機械に置き換える、というそれだけの意味ではなかった。
今まで連れ添った、大切な相棒をなくすことに等しかったのである。
 
私が病気を発症したのは、2,3歳の頃である。それから30年以上、この病とともにあった。
幼少期は悩みもあった。度々ぶり返す症状には辟易した。
主にタンパク質を外に出してしまい、大事な栄養分が体に溜まらず、逆に水が溜まって全身がむくんでくるのだ。
 
それを食い止めるために薬を飲むのだが、副作用が強く、これがとても苦しかった。
最も悩んだのは、「おなかがすく」というアホみたいな副作用だ。
しかし、子ども心に、いや、大人になってもこれはつらいだろう。
 
とにかく、食べたそばから空腹感が襲うのである。
だが、もちろん、胃の中はいっぱいになっており、おなかはふくらみ、満腹感は確かに感じられる。体は確かに満腹になっているのに、脳が空腹感を強制的に感じさせるようなのだ。
 
おなかがパンパンなのに、おなかが減ってしかたがない。味がほしい。口に入れたい。
 
もはや狂気的な感情であった。
実際、この薬を飲んでいる間は、おかしなことばかりであった。集中力がいつも以上に続いたり、見た目にも変化があり、かなりの肥満体系に変化したり、それどころか顔も険しくなってしまう。
 
常に体のどこかが、何かが苦しい。そんな期間を度々過ごしてきた。
 
その狂気の期間を一定時間過ぎると、確かに、数値は正常に戻る。
そのたびに、私は狂気的な期間を支えてくれた家族や医療関係の人々に感謝した。
つまり、私の腎臓は、私の苦しい過去と、それを支えてくれた周囲の人々の結晶として、私の体内にある。
 
私は早々に透析をした人を知っているし、腎臓移植をした人も知っている。だからこそ、不完全でも、薬漬けでも、人とは違う食生活や行動制限があっても、自分の腎臓でいられる自分に満足していたのである。
 
それが、私の「ノーマル」であったのだ。
 
だが、ここへ来て、事態は一変した。
社会人になって10年ほどが過ぎただろうか、その時期に、数値が一向に改善されなくなったのだ。
 
前にも言った通り、腎臓は体の濾過器である。血液から不要な毒素を抜き、正常なものとして体に巡らせる、そんな臓器だ。
だが、不要な毒素は血液中に溜まるばかり。一方で、体に必要な栄養素が尿として排泄されてしまう。
 
ちなみに、昨今はタンパク質を摂ることが推奨される世の中だ。時代は高タンパク低カロリーなのだが、私はその真反対をしなければならない。タンパク質が出てしまうなら、それ以上に摂ればいいのでは、と思うかもしれないが、さにあらず。むしろ、タンパク質を分解した老廃物が、血液を汚してしまうらしい。だから、タンパク質制限が必要になる。そうすると、食べられるものが少なくなってしまう。すると、体に蓄えていたカロリーを使って栄養を保とうとするのだが、その際にも、体に悪い物質が出てしまうらしい。だから、カロリーだけは多く摂らなければならない。
すなわち、高カロリー低タンパクという、世間に抗った食生活が必要となる。
入院したときなどは、一つで通常以上のカロリーが取れる「ハイカロリー」チョコやクッキーが食事とともに出たこともあった。
 
結局、何をしても、体は限界に来ていたらしい。
さもあらん。
職業は昨今ブラックと知られるようになってきた教職である。
授業の他に、学校運営の仕事はあるし、部活動はあるし、朝早く夜遅い、そんな厳しい環境にもあったことが、拍車をかけたのかもしれない。
 
事態は切迫していた。このままでは毒素を含んだ血液が体に回り続け、最悪、多臓器不全で命を落とす危険すらある。
 
断腸の思いで、私は透析治療を受け入れた。
時期は年度末で、幸い授業も少なかったため、準備のための入院で、周りに迷惑をかけることは少なかった。
治療をするためには血管の手術が必要だったり、保険制度を最大限に使うために役所に書類提出が必要だったりと、準備には一苦労した。
 
だが、準備こそ大変だが、治療をしている間は、何というか、やることがない。
 
週3回、毎回太い注射針を二カ所打たれるのは、少々苦痛だが、しかし、それが済めば、4時間待つだけである。
場所にもよるのだろうが、私が治療を受けている病院にはネット環境がなく、従って、特にやることがない。
 
大部屋で同時に何人も行うのだが、ほとんどの人は、寝るか備え付けのテレビをイヤホン付きで見ているか、であった。
 
仰向けでテレビを見るのも何だかイヤなので、私は、持っているタブレットでオフラインの映像を見たり、本を読んだり、ぼーっとしたり、寝たり……
治療が始まって早半年、この時間をどう過ごすかが、もっぱらの課題である。
私も一通りのことはやったが、最終的には「寝る」という行為に落ち着いてしまう。もう少し上手にこの時間を過ごせるとよいのだが……まあ、今は無理をしないことにしよう。
 
こうして私には新たな習慣であり、あらたな標準的な生活様式、すなわち「ニューノーマル」が加わった。
 
しかし、このニューノーマル、予想以上にキツい。半年経って少しは慣れたが、それでも術後の倦怠感はなくしようがない。
確かに、血液を一旦抜くのであるから、キツくないわけがないか。
 
それにしても、どんなことでもそうだが、慣れてしまえばそれが当たり前となってしまう、というようなことを聞いたが、この習慣もやがて当たり前の習慣になるのだろうか。私には、まだ、このニューノーマルを特殊な慣例という感覚で捉えてしまっている。
 
この治療だが、残念だが治療という意味では、やや異なる。なぜなら、これによって腎臓が回復するわけではないからだ。あくまで、これは腎臓の代わりに、いわば、毎日当たり前に行っていることを代行しているにすぎない。しかも、週3回4時間と少々ごまかしを加えて、だ。
 
確かに、血液の数値は正常に近づいた。体を悩ませていた倦怠感や苦痛は明らかに減った。各臓器に巡る血液も、清浄のものとなり、正しく機能しているだろう。
 
だが、それと腎臓とは別の話だ。おそらく、これで自分の役割を終えた腎臓は、ますますその役割を縮小していくであろう。
 
だから、この治療は腎臓移植のドナーを待つ間の時間稼ぎ、として行われることも多い。
今のところ、私にはその予定はなく、さて、これからどうしよう、どうなるのだろう、と不安になるばかりだ。
 
人体というものは驚異の集合体である。こんな4時間もやることやって、しかし、それで担えるのは本来の腎臓の数%の役割だというのだから、本来の腎臓の見事さよ。
 
これから、死ぬまでこの治療を続けるのだろうか。それこそ、これが私の「ノーマル」として生活に浸透していくほどに。
 
ただ、私は、確かに不安であるが、それを思いのほか悪いこととは思っていない。
ニューノーマルがノーマルとなるほどに、私の生活になじんでいくならば、それはそれで私の一部ということができるからである。
どんなに苦しくても、それが私の一部となるのなら、それが、当たり前のこととして、私の生活の一つ、それこそご飯を食べるとか、歯を磨くとかと同じ行為になるのなら、私はそれを受け入れるだろう。
歯を磨くことを面倒とは思っても、イヤとかやらない、とか、そういう選択肢がないのと一緒である。
 
ならば、私は、時間をかけて、この治療の時間を当たり前こととして受容していこう。
ニューノーマルから、ノーマルとなるまで、それこそ、いやでもやらなければならないのだから。
 
およそ、生活習慣というのは、ニューノーマルをノーマルにしていくことの連続である。
あらたな常識、技術、環境、世界情勢、道徳・倫理……様々な要素を抱き込んで、私たちの生活は変革していく。
 
新たな新常識は、いやでも常識として受け入れられなければならい。
とはいえ、その決断はできれば自分で行いたいものである。誰彼から強制されて受け入れるのではなく、自分の意志で決めたいものだ。もっとも、それが中々にできないのが世の中なのだが……
 
季節が夏から秋に変わっていく、9月のある日、私はその日も透析治療に行った。
田舎のこととて、周りは高齢の方しかいない。
ふと、窓の外を見ると、昨晩からの台風の影響でどんよりとしていた空が、にわかに晴れだした。
黒雲の間から垣間見える空は、秋らしい、青い空だった。
何か変わると言って、この空は、田舎においては変わりそうもない。
私はそれに安堵する。
 
空も、山も、川も、おそらくそう簡単に変わらないであろう。
柔軟に変化することを求められる日常において、その不変性は、まことに頼もしい。
私がどう変わろうと変わらないものがすぐそこにある、という事実だけで、私はどんな変化も受け入れることができる、と思う。
 
さあ、明日もまた治療の時間だ。
今度は何をして、4時間をすごそうか。
この時間を、むしろ楽しんで過ごすことができるのならば、私のニューノーマルは、わりと悪いものではないと言えるだろう。
 
今日も、明日も、そうやって生きていく。
 
 
 
 
***
 
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2022-09-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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