メディアグランプリ

心の叫び


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:小松 鈴(ライティング・ゼミ2月コース)
 
 
数回前の課題で、いじめを苦に自殺した女の子を巡り、祖母が加害者と話をするという短編を書いた。
そこでいじめられていた女の子のモデルは、私だ。
 
中学一年から始まったいじめは徐々に過度になり、毎日毎日を地獄のように感じながら登校していた。
教師は、いじめを知っていた。両親も、知っていた。知っていて、見て見ぬ振りをし何もしなかった。私の心の中にいる中学生の私は、未だに泣いている。どうして誰も助けてくれないの、と。時代というのもあったのかもしれない。今ほどいじめ問題に、学校も、親も、熱心に取り組んでいなかった。
 
しろやぎ秋吾さんの「娘がいじめをしていました」というマンガが話題になっている。いじめられっ子、いじめっ子の親の視点からいじめについて描いた意欲作だ。読んでいるあいだじゅう、くらくらしていた。ずっとずっと、封印していた過去が誰かの手によってかき回されたように、どんどん記憶が蘇る。
 
無視なんか日常茶飯事で、もう慣れるにまで至っていた。陰口も当たり前。当たり前だけど、傷ついていない訳じゃない。あまりにも痛すぎて、もうどこが一番痛いのか、わからなくなっただけだ。
『小松さんに悪いところがあったんじゃないですか?』
『あんたが気づかないだけで、嫌な言い方とかしたんじゃないの?』
教師も親も、同じことを言った。なぜ、私が責められるのかわからなかった。なぜ、加害者ではなく被害者の私に更正を求めるのか、わからなかった。風邪でもひけば学校を休めると思い、真冬に窓を全開にし、布団もかけずに寝たのに、寒いだけで咳ひとつ出なかった。今では笑い話だが、健康体がこれほど憎いと思ったことはない。
 
私は子どもがいないから、子どもがいじめられていないか、いじめていないかを心配する必要はない。
もしも、私の子どもがいじめられていたら、全力で守る。子どもを守ると同時に、守られなかった過去の私を守り抜く。
けれどもしも、加害者の側だったら。
「娘が……」の中では、いじめっ子の母親が学生のとき、いじめの被害を受けていた。そのトラウマから、娘を許すことに葛藤を抱いている。
私だったら、あなただったら、どうだろう。今までのように、その子を愛せるだろうか。私なら、我が子をいじめてしまうかもしれない。あのときの加害者に復讐するように。そう考えたら、私の場合はある意味子どもがいなくて良かったのかもしれない。
 
私が書いた短編には、数名の加害者の名前を出した。適当に考えた名前だが、たったひとり、その名前は漢字を変えた実名だ。その子はいじめの主犯で、忘れたいのに未だ忘れられない。いじめられた方は一生忘れられない傷が残るのに、未だに傷は癒えていないのに。そう思うと悔しくて悔しくて、名前を出さずにいられなかった。本当にバカみたいな、ささやかな復讐だ。
短編では、いじめ被害者の女の子は自殺というかたちでその生を終わらせてしまったが、これは一歩間違えたら私が辿った道でもある。それくらい、毎日「死にたい」と思いながら学校に行っていた。実際に「死ねばいいのに」とも言われていたので、「それもそうかも」と思うまで追い詰められていた。
 
「いじめはやめましょう」。
いろんな大人が言う。
そんなこと絶対にありえない! 過去の私が叫んでいる。だって大人同士だっていじめで病気になったり自殺したりしてんじゃん。なんで子どもにはそんなキレイゴトばっかり言ってんの? 笑っちゃうよ。
大人になった私は、過去の私に言いたい。
「いじめは、どこでもあるよ。でも、死ぬほど苦しいなら逃げてもいいんだよ」と。
「娘が……」の中で、いじめられっ子の父は、「いま逃げるとずっと逃げ続けることになるよ」と説得していた。私も同じことを言われた記憶がある。でも、と私は思う。「死を選ぶくらいつらいなら、どこまででも逃げていいんじゃないか」と。お父さんは叱咤激励のつもりだったのかもしれない。けれど、それが余計に娘を追いつめていることには、気づいていないようだ。
死という、暗く、寂しく、冷たい場所に逃げられたら、もう両親はその子に何もしてやれない。その時になっていじめっ子と両親を激しく責めても、その子は、時間は、二度と戻らないのに。
 
「娘が……」のクライマックスで、いじめられっ子の母親は、「いじめの縮図」を見る。
いじめっ子。
いじめられっ子。
見ているだけの子。
そして、問いかける。
「自分の子どもは、人をいじめないって思っていますか?」と。
これは、私たち読者に対する問いかけでもある。
 
私はいじめというものは「波」のようだと思う。
今日はいじめっ子だけど、明日になったらいじめられっ子になっていた。
昨日までいじめられっ子だったのに、明日になったら他のだれかをいじめていた。
傍観者は時としていじめっ子になったり、また傍観者に戻ったり。
私たちはゆらゆら、ゆらゆら、クラゲのように漂いながら、いじめという波に翻弄されるように加害者になったり被害者になったり、傍観者になったりを繰り返す。
自分はどうだろう。いつの間にか、誰かを傷つけていないか、恨まれていないか。あなたはどうだろう。「あの言動はやり過ぎたかな」と思うことはないだろうか。
 
動物、たとえばアヒルは弱いアヒルを攻撃し、食べ物や水を横取りする行動を取るらしい。「モブピング」といって、集団で一匹の個体を追い出すこともあるという。動物の世界にだっていじめがあるのだ。人間がいじめをやめるはずがない。特に小、中学生という年頃は非常に残酷だ。まだ子どもなので、手加減を知らない。被害者に死ぬほど恨まれていても、「それがどうしたの?」と不敵に笑ってみせるだろう。
おそらく、私をいじめた人は私のことを忘れている。それか「若気の至り」で済ませているのだろうか。
今まで私は、加害者を恨みながら生きてきた。でも、もうそれも終わりにしようと本を読みながら思った。もちろん、忘れないし許さない。けれど、それにとらわれて自分の人生を無駄にすることはもうやめよう。それに、私はある意味、被害者で良かった。加害者なら、一生を誰かに恨まれて生きていくことになるのだから。本人は忘れていたとしても、因果は必ず巡る。それなら、私はいじめられたことを忘れず、だれもいじめない道を選びたい。誰かがいじめられたら、助けることができる。
 
「死にたい」と願っていた私へ、今の私がそっと寄り添いながら言う。「死なないでくれて、ありがとう」と。
 
 
 
 
***
 
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2023-05-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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