メディアグランプリ

幸せの自叙伝


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:松浦哲夫(ライティング・ゼミ4月コース)
 
 
「私の祖母の自叙伝を書いていただけませんか?」
それはこれまでに一度も経験をしたことのない依頼だった。自叙伝を書く? 岸本と名乗るその女性は続ける。
「祖母は今、自分自身の自叙伝を書こうとしています。もう書き始めてからもう2ヶ月が経ちますが、ほとんど何も書けず気に病んでしまい、食事も喉を通らない状態なんです」
 
私はフリーで活動している技術系のライターだ。元々は大手企業で研究開発の仕事をしていたが、祖父の介護のために退職した。それから約1年後、祖父は他界したが、私は再び企業に就職することはせず、もともと得意だった文章作成とこれまで培ってきた科学技術の知識と経験を生かしてフリーライターとなった。
 
収入の面では極めて厳しいライターの世界に飛び込んだわけだが、どうやら私には向いていたらしい。収入を稼ぐために様々な分野の記事執筆依頼を片っ端から引き受け、数ヶ月ほどで途切れなく執筆依頼が舞い込むようになった。日々執筆と情報収集、客先での打ち合わせに明け暮れていたそんなある日、知人の紹介で岸本さんという女性とカフェで会うことになった。待ち合わせ当日、指定時間にカフェにやってきた彼女は席に着くなり話し始めた。
 
「祖母は83歳、施設に入居してそこで穏やかに毎日を過ごしています。高齢ですが頭はしっかりしていて、会話に支障もありません。足腰がかなり弱っていますが、それ以外は健康です」
ところが2ヶ月ほど祖母の元気がないのだという。訳を聞くと、岸本さんは深刻そうな口調で言った。
「3ヶ月ほど前から祖母はエンディングノートを作っています。あ、エンディングノートってわかりますか?」
「遺族に必要な情報を残すためのノートですよね?」
「そうです。通常は家族に向けた遺言や自分の資産、相続先、銀行口座などについて書き記すらしいのですが、祖母は昔から凝り性なところがありまして、エンディングノート以外に自叙伝を残したいと言い始めたのです」
「自叙伝? でも、それはかなり大変では?」
「はい、祖母は物書きでもなく、文章が得意だという話も聞いたことがありません。本人もそれが難しいということはわかってはいるようですが、どうしても書きたいらしくて」
本来であれば、脳の活性化を促す物書きは推奨される行為だ。とりわけ施設で時間を持て余す高齢者にとってそれは極めて理想的な娯楽と言っていい。ところが岸本さんのおばあさんに限っては、それが悩みの種となっている。
 
「施設の方によると、最近は散歩に出ることもなくなってしまったのです。以前は他の入居者の方々ともよく話されていましたが、今は部屋に引きこもったまま誰とも話をしないようです」
岸本さんの目には涙が浮かんでいた。物静かな雰囲気を持つ岸本さんだが、口調は意外なほど強い。彼女のおばあさんに対する想いが伝わってくるようだった。
「つまり、私がおばあ様に成り代わって自叙伝を執筆する、ということですね?」
頷く代わりに、岸本さんはテーブルに置かれたコーヒーを一口飲んだ。自分の言葉が私に伝わったことがわかり少し安心した様子だった。
「いかがでしょうか?」
なおも不安な様子の岸本さんだが、もとより私に断るという選択肢はない。今日までどんな執筆依頼でも引き受けてきたのだ。それに、これは自叙伝の執筆という自分の新たなキャリアを築くチャンスでもあった。
「わかりました。ただし情報がなくては何も書けません。おばあ様へのインタビューの機会をいただきたいのですが」
「時間を作ります。祖母にも伝えておきます」
こうして私は彼女の依頼を受けることにした。
 
後日、私は岸本さんとともにおばあさんの部屋を訪問した。
「おばあちゃん、今日はライターさんがきてくださったよ」
「ライターの松浦と申します。今日はよろしくお願いします」
「あらあら、ありがとうございます」
物腰は柔らかく清潔感のある方だった。笑顔も素敵で口調もはっきりしているが、表情に元気がなく、頰も少しこけているようだ。岸本さんから聞いていた通り、あまり食事を取っていないことが伺えた。どうやらのんびりしている時間はなさそうだ。
 
さて、早速仕事に取り掛かるが、まずはおばあさんの心を開かなくてはならない。世間話から入って徐々に執筆に必要な情報を聞き出す。できるだけ自然に、おばあさんが自分から話し出すように会話をコントロールするわけだ。
 
数時間に及ぶインタビューの中で、私はなぜおばあさんが自叙伝を書くことにこだわったかを理解した。彼女は昔のことをあまりにも多く、しかも驚くほど詳細に記憶していたが、それらの記憶はたった1つの事象に集約された。それは家族だった。戦後の混乱期、不況、高度経済成長期などの世間の荒波にさらされ数々の苦難の道を歩んできた、そんな彼女を強く支えたのはいつでも家族の存在だったのだ。
 
「死ぬ前にどうしても家族に感謝の気持ちを残したい」
 
その想いを果たすために選んだ手段が、自叙伝だったというわけだ。おばあさんの想いを理解した私は物語の主軸を彼女と彼女の家族に設定し書き進めた。主軸が決まれば、後は文章構成のセンスが問題だが、それは私が得意とするところだ。特段行き詰ることなく書き進め、2ヶ月ほどでおばあさんの自叙伝は完成した。
 
自叙伝の完成を岸本さんに報告し、後日私は岸本さんとともにおばあさんの部屋を訪問した。事前に岸本さんから自叙伝の完成を聞いていたおばあさんは、私が部屋に入るなり顔をほころばせた。完成した自叙伝を手渡すと、涙を浮かべて喜んでくれた。おばあさんは手に取った本を大切そうに開いてみるが、目が衰えてしまって読むことはできないらしい。
 
「おばあちゃん、私が読むね」
 
岸本さんは嬉しそうに言い、おばあさんのすぐ隣に座り本を朗読し始めた。その微笑ましい光景をしばらく眺めた後、私は2人の邪魔をしないようにそおっと部屋を出た。その時、岸本さんの朗読をじっと聞くおばあさんの満足げな表情が見えた。それが、私が見たおばあさんの最後の姿だった。
 
それから約半年後、私は岸本さんからおばあさんが亡くなったと連絡を受けた。岸本さんは私に自叙伝のおかげで祖母が安らかに旅立ったと言い、電話の向こうで泣いていた。その時私の脳裏にはあの日最後に見たおばあさんの満足げな表情が浮かんだ。もし本当に私が書いた自叙伝がおばあさんの安らかな旅立ちの一助を担えたならば、こんなに嬉しいことはない。
 
自叙伝の執筆以降も私はいくつもの記事を執筆してきたが、あの時の自叙伝ほどやり甲斐を感じたことはない。もし、人生の黄昏時に自分の生涯を自叙伝に残したいと希望される方がいれば、私は喜んで引き受けたい。
 
どんな人生にも光り輝く瞬間がある。それを的確に捉えて物語に昇華させる。そんなライターの大いなる可能性のきっかけを作ってくれた岸本さん、そしておばあさんに私は心から感謝する。
 
 
 
 
***
 
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2023-06-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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