メディアグランプリ

石ノ森章太郎→手塚治虫→その先にあったもの。


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:Kaochan(ライティング・ゼミ12月コース)
 
 
石ノ森章太郎、手塚治虫。
この名前に無意識に反応する世代は、60歳を超えているはず。
 
つまり貸本屋という店の存在を知っていて利用していた世代ということ。
貸本屋は、毎日の小遣いから10円玉と5円玉を握りしめて通う、子供達垂涎の的の店だった。
当日返却なら5円、一泊2日なら10円というふうに値段が決められていて、月刊誌の発売日には学校帰りに走って行きなんとかその日のうちに返すため貪り読むという図式になるのだ。
その時代に、漫画の世界で時代を牽引していたのが、医師免許を持つ手塚治虫先生であり、その人に影響を受け人生を変えていったのが石ノ森章太郎先生たちだった。
それでも一般社会的には、漫画なんか不良の読む物という戦前からの意識は消えてなかった気がする。
別に隠れて読んだりはしていなかったが、漫画は不良の読む物と蔑視する教師は多かった。
 
女子校に入ったばかりの頃、スクールカースト上位で賢く楽しい友人から、これ面白いよと教えてもらったのが、石ノ森章太郎先生のサイボーグ009。
彼女は、教師からの評価が高いクラスのリーダーだったから、「面白い」 と教えられた本が漫画だったことに驚いた。
貸してくれた単行本の表紙が、少し縒れていたので彼女が何度も読んでいるのが伝わった。
 
サイボーグ009は描かれている人数も多いけど、どれもよく練り込まれた人物設定だから、ストーリーに深いものが出る。
全巻読み終わると、他の作品が読みたくなった。
貸主である彼女に、別の作品を貸して欲しいと伝えると意外な答えが返ってきた。
 
石ノ森章太郎先生の作品で、同じ傾向のもので納得するものなはいと思うよ。
それなら、師匠の手塚治虫先生の作品を読むといい。
 
今のように、ググるなんてものは存在しない。
なんで、彼女はそんなことを知っているのかと、自分の無知さがもどかしかったのを覚えている。
俗にいう、ヤキモチである。
クラスカーストから言うと、番外な自分は彼女のような知識も持たないし、賢さもない。
なんだか惨めだなぁと勝手に萎縮していると、彼女がいくつか本の題名を書いてきてくれた。
それが、私の漫画人生のスタートとなった。
 
年が変わる頃、高校2年生を目前にして実現したい絶対目標ができた。
漫画クラブを作る! である。
正確には、漫画研究会としてデビューすることになるのだが、戦前からの由緒正しき良妻賢母を輩出する女子校に、不良が跋扈していると職員会議で大問題になった、らしい。
なぜか、直接やめろ! という教師はいなかったが、授業中に嫌味を言われたり、成績の順位について注意をされたりと、一部教師からの圧力は確実にあった。
だが、鈍感力は強い。
元から漫画を読むのは好きだったけど、描いてみたいと思わせた手塚治虫先生のためにも、辞める選択肢はなかった。
2年生になる頃には、顧問になってくれる数学の女教師を口説き落としていた。
その結果、予算の付くクラブではなく、勝手にやっていいよという研究会で発足できた。
 
その年の夏に行われた修学旅行で東京に行った際に、事前にアポを取り当時練馬にあった手塚治虫先生の手塚プロダクションへ訪問。
残念ながら、入れ違いに先生は故郷広島でお仕事をされており、会えるのは後日となったが、作品のいくつかの原画と、アニメのセル画を送って貰い秋の文化祭でそれらを展示した。
メンバーが作った作品やハンドメイドのアクセサリーも販売した。
なぜか、瞬売だった。
そこから学校側の態度が変わり始めた。
5年後には物議を醸した漫画研究会はクラブに昇格し、部室も確保。
いただいた原画とセル画は学校の財産になった。
 
結果的には、手塚治虫先生には3年生の冬にお会いできた。
広島の北部の街に、講演会で来広されるタイミングで呼んでいただいた。
先生からは、大学を卒業したら手塚プロダクション※においでと言って貰った。
だが、両親の反対も大きく結局無難な道を選択して、普通に大学に行き就職する道を選んだ。
 
熱意が薄れたのではない。
覚悟ができなかったのだ。
職員室を大論争の場にしてしまったという、武勇伝の持ち主とは思えない選択だった。
十代で覚悟してなし得たことが二十歳ではできなくなっていた。
 
漫画家なんて一握りの才能のある人がなるもの、お前なんかにできるはずがない!
 
母は呪い言葉を吐くように、この言葉を繰り返し宣言し続けた。
自分には描く才能がなく、親の反対を押して大都会に出て生きることなど叶うはずがないと、自分を押し殺す作業に手を貸したのだ。
 
後年、TVのニュースで手塚治虫先生が半蔵門病院に入院されたと知った。
当時の勤務先の目と鼻の先。
最初の離婚から自立をし、二度目の結婚をした頃だった。
数十年を経て先生の言葉が蘇った。
 
大学を卒業したら、手塚プロにおいで。
 
もし、あの時その言葉に従っていたら私の人生はどうなっていたのだろうかと考えたことはある。
だが、人生に「~たら」 はない。
一度きりの人生には数えきれない選択が存在し、その選択の結果が「今」だ。
過去の選択の結果に後悔を持ち込むと、自己嫌悪のループにはまる。
そんな時間を持つくらいなら、ありえないことを想像して楽しむ時空を超えた妄想の世界に切り替える。
私自身は、花形漫画家になって成功している自分を想像したことがある。
今、イラストや似顔絵を生業の一つにできているのは、その想像の世界で描くことが好きだという自分を認識できたからだ。
 
過去は変えられないけど、未来はいくらでも変えられる。
過去を糧にする何てキレイごとではなく、「反省はしても後悔はしなくていい」
そう教えてもらった。
 
石ノ森正太郎→手塚治虫→その先にあったものは私自身。
 
※手塚プロダクションは手塚治虫個人のプロダクション。アニメ制作の虫プロダクションとは違う存在です。
 
 
 
 
***
 
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2023-12-27 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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