メディアグランプリ

黄泉(よみ)の国から伝えた言葉


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:前田三佳(ライティング実践教室)
 
 
※この記事はフィクションです
 
神保町駅近くの喫茶「さぼうる」は、そこだけ昭和であるかのような佇まいで街に溶け込んでいる。
奇妙なトーテムポールに迎えられ中へ入れば店内は薄暗く雑然としているが、それもまた妙な味わいがあり居心地がよい。
その日も私は仕事帰り、現実から逃れるようにここに来ていた。
 
「一体いつになったら一人前になるの。あなた、お給料貰ってるよね。
だったら給料分の仕事しなさいよ!」
ヒステリックな部長の声が頭の中でリピートする。
2019年春、思い切って私が転職した先は紛れもないブラック企業だった。
壁に貼られた契約件数の棒グラフ。
私の獲得ゼロが嫌でも目に入る。
始終、上司の叱責が響くオフィスで誰もが結果を出そうと必死だ。
入社3ヶ月も経たないうちに同期の半数の人間が耐えきれず辞めていった。
でも私は頑張ろう。ここを乗り越えてきっと成果を出すのだ。
やっと手にした正社員という肩書き。
これまで子育ての傍らパートでしか働いてこなかった私を採用してくれた会社を、そう簡単に辞めるわけにはいかない。
 
今日もまた契約が取れなかった。
がっくりと肩を落とす私に「さぼうる」のマスターは黙ってカフェラテを出してくれた。
ミルクのふんわりした泡立ちが心を慰める。
私は窓際の席で行き交う人々を眺めながら、スマホのプレイリストから昔のアルバムを選んだ。
くすぐるようなアイドルの甘い声。
悲しい歌でもないのになぜか涙が溢れてくる。
最近は仕事のストレスのせいなのか、持病の咳喘息が悪化して夜もよく眠れない。
いっそ何もかも投げ出してしまおうか。
いや、ダメだ。家事も快く引き受け、励ましてくれる夫にあわす顔が無い。
いっそ将来に何の恐れも抱かず、アイドルに夢中だったあの頃に戻れたならどんなに楽だろう。
あの頃親はずっと元気でいると信じて疑わなかった。
だが二人ともとうの昔に他界している。
(いい歳して私ったら情けない。しっかりしなくちゃ)
私は伝票を手にレジへと向かった。
 
レジの奥には品のいい老婆が坐っていた。
まるでアンティークドールのような、色あせたフリルのブラウスを着ている。
「はい、600円ね」
代金を払うと彼女は私の手を包むように何かを手渡した。
「はいこれ。1度きりだよ。気をつけて行くんだよ」
囁くようにそう告げると、もうよそを向いている。
不思議な老婆だ。
店を出て妙に冷たい感触が残る手を開いてみると、そこには1枚の切符があった。
小さな切符には意味不明なアラビア語のような文字が描かれている。
(何これ? 何かのキャンペーン?)
私は何の気なしに切符を上着のポケットに入れ駅に向かった。
このまま真っ直ぐ自宅に帰る、はずだった。
 
神保町駅でいつもの地下鉄に乗り、私は目を閉じた。
そしてすぐに深い眠りに落ちてしまった私は、辺りの明るい気配に目を覚ました。
(どこ、ここ……)
乗り過ごしたのだろうか?
慌てて周囲を見渡す。
こんなことがあるのだろうか。
そこは実家のあった町だった。
無意識に電車を乗り違えたのかもしれない。
でもせっかくここまで来たのだ。懐かしいあの家を見て帰ろうと私は思った。
 
今では他の家族が住んでいる、はずだった。
表札を見て愕然とした。
昔のままの筆文字の表札、私の旧姓がそこにはあった。
小さな庭も昔のままだ。
玄関ドアがカチャリと音を立てて開く。
「遅かったね」
「おかえり」
なんということだろう。
そこには死んだはずの父と母がいるではないか。
元気だった頃と少しも変わらない笑みで私を見つめている。
「お父さん……お母さん!!」
母と私はしばらくの間抱き合って泣いた。
その様子を目に涙をいっぱい溜めて見守る父がいた。
 
「いま、二人に会っているってことは私、死んでしまったの?」
「いいえ、まだ貴女は生きているわよ。
貴女、さぼうるのママに切符をもらったでしょ?
彼女は死後の世界の案内人なの。
時々気まぐれに、この世とあの世の人間を引き合わせてくれるのよ」
そうだったのか。
「それより貴女、また喘息がひどくなってない?」
母が心配そうに私の顔をのぞき込んだ。
「無理しないで」
「大丈夫だよ」
私は嘘をついた。
 
「いや、大丈夫じゃないんだ」
父が私に真剣な目で告げた。
「いいか。よく聞け。2020年、日本は大変なことになる。」
「何よ、大変なことって……。また脅かして」
私は冗談めかしたが父は真顔だった。
「この世界の掟だから詳しくは言えないが、来年ある感染症が日本中で流行するんだよ。これにかかってしまうと肺に負担がかかる。
だから喘息持ちのお前には絶対に感染して欲しくない」
「命の危険があるってこと?」
「そうだ。だからお前はもっと空気のいい場所に引っ越した方がいい」
「そうして、ミカちゃん」
「でも私、仕事が……」
「辞めなさい」
父が断固とした顔で言った。
「いいか。何より大事なのはお前の健康だ。今の仕事を続けていてはロクなことにならんぞ」
いつもは多くを語らない父が私に伝えた事は、きっと真実に違いない。
自分でも驚くほど素直に私は父に従った。
「わかったよ、お父さん私仕事を辞める。住むところも考えてみるよ」
私の言葉に二人は顔を見合わせて頷いた。
あんなに仕事を続けようともがいていたのに、父と母が一瞬で私の心をほぐしてくれた。
 
あれは夢だったのか?
ふと気がつけば私はいつもの通勤電車に揺られていた。
家路を急ぐ人の波に押されてホームに出れば、実家とは程遠い私が住む街だ。
けれど胸には確かな親の温もりと父の言葉がある。
私はもう迷わなかった。
 
翌日、私は会社に辞表を提出した。
「あ、そう」
ねぎらうことも無く、顔も見ずに辞表を受け取る部長。
我関せずと仕事を続ける職場の人間たち。
ここは私のいるべき場所ではない。
こんな会社とはサヨナラだ。
私は晴れ晴れとした気分で職場を後にし、その足で夫を食事に誘った。
「会社辞めてきたよ」
夫は驚きながらも私のこれまでの健闘をたたえてくれた。
「ねえ、あなたいつか海の近くに住みたいって言ってたよね。いっそ引っ越さない?」
「おいおい、突然どうした」
いぶかる夫を私はうまく説き伏せた。
そうして私たちは新しい家探しを始めた。
探し始めて3ヶ月、まるで何かに導かれるように事は進み、クリスマスの頃私たちは海の見える家に移り住んだ。
そして翌年の正月、新型コロナウイルスのニュースに私は震えた。
父の言ったとおりだったのだ。
 
未知の感染症に人々はおびえ多くの犠牲者が出た。
それでも私は海辺で毎日ウォーキングを続けるうちに、いつしか喘息を忘れるほど健康になった。
あれほど咳に苦しんだことが嘘のようだ。
家の近くで仕事も見つけることができた。
あの不思議な出逢いが無かったら、私は今頃この世にいなかったのかもしれない。
 
今日もまた私は海沿いの道を歩いている。
雄々しい富士のシルエットや薄くれないの夕焼けに父と母を想うこともある。
だがもう涙はない。
両親がもっと生きろと再び授けてくれたこの命を精一杯生きてみたい。
いつかふたりに晴れやかな笑顔で再会するその日が来るまで。
 
 
 
 
***
 
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2024-05-23 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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