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私はエンジンを積んだニンゲンであるのか? ~欲とモチベーションの話~


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記事:武藤正孝(ライティング・ゼミ6月コース)
 
 
まだ若き私は、その言葉に怒っていた。
 
「お前はまず、エンジンを積んでいないんだよ」
……私は張りぼてのようなものだというのか。
 
社会人2年目のことである。同期のシマダ君(仮名)が、ボーナスを元手に50万円もする時計を買った。
 
「これでしばらくは財布が苦しいけど、この時計に相応しい男になってやるぜ」
シマダ君は随分と息巻いている。
 
好きな人にとっては、時計は「生きがい」にすらなるのだろう。
しかし、私は時計に興味もなく、物欲も無かったため「物好きだな」くらいにしか考えていない。
 
上司である40代の課長が会話に入ってきた。
「おお、シマダ、それは良い買い物をしたな。で、ムトウ。お前はボーナスを何に使うんだ?」
 
……特に、ない。
 
若き日の私は、漠然と「成功したい」とは思っていたものの、あまり仕事も上手くいっておらず、虚しさを抱えていた。自己嫌悪の状態でもあったと思う。
特に何かが欲しいということもなく、何かをしたいということもなく、当然、ボーナスが入ったところで使い道など考えていない。
 
「特に、何も考えていないですね……」
 
この言葉に対する、課長の返事が冒頭の発言となる。
 
「いやぁ、若者が。ボーナスが手に入って『なにも考えていない』とは。仕事がうまくいかず落ち込んでいるのかも知れないが……お前はまず、エンジンを積んでいないんだよ」
 
いや、ただ「物欲がない」というだけの話だ。
まるで私が中身のない人間であるかのような言い方はなんだ。
 
私は憤ったが、言葉が出てこなかった。
 
課長は続けた。
「何かが欲しい、何かがしたいというのは人間が生きるために必要なことだと思うぞ。例えば……俺であれば、好きな女を抱き、旨いものを食べ、酒を飲み、風呂に入って『今日も良い一日だった』と思って布団に入れたら、それでいい。だから金は欲しい。金が手に入ればすべてそれらに使うぞ」
 
……欲の塊のような発言である。
 
ちなみに課長は所帯持ちである。『好きな女』とは若き日の彼女、この時点では妻のことを指し、風呂には幼い息子と一緒に入るので『良い一日』と思える、という背景であったことは一応補足しておく。当時はそこまで理解する余裕が無かったが。
 
「いや、お前、ひとのことを『欲まみれの汚いオヤジだ』としか思っていないだろ」
 
……顔に出ていたのだろうか?
 
確かに「欲望以外に何かないのか?」とは思った。
まだ若い私は、もう少し上司に『世のため人のため』のような大きく、夢のある話を語って欲しい、というのが本音であった。
 
だが同時に、そんなことは考えたことがなかった。とも思った。
『良い一日』を過ごすかどうかなんて考えもつかず、再三述べているように物欲のようなものも、無い。
 
言葉が腹立たしかったのと同時に、なにか『空っぽの自分』を見抜かれたようで嫌だった。
実際に見抜かれていたのだろうが。
 
 
時間が流れ、40代となった私は、この話を冷静に受け止めることができている。
むしろ『今の自分はエンジンを積んでいるのか?』と、自問自答の日々である。
 
課長は『エンジン』という言葉を使ったが、『原動力は何か?』という動機の問いかけであり、ボーナスの使い道は『燃料』、つまりモチベーションをどのように維持するのか? という思考の整理を促したものである。
 
心理学やマーケティングで語られる『マズローの欲求5段階説』というものがある。
専門家ではないため簡単なまとめになってしまうが、人間の欲は5段階に分けられるという。
① 生理的欲求:食欲や睡眠欲など、生命を維持するための欲。
② 安全欲求:命の危険にさらされたくない。危害を加えられたくないという欲。
③ 社会的欲求:どこかに帰属したい、あるいは愛情を受けたい、という欲。
④ 承認欲求:他の人に認められたい、という欲。
⑤ 自己実現の欲求:理想の自分になりたい、という欲。
 
シマダ君であれば「高い時計に相応しい男になる」という自己実現の欲求こそが、原動力、すなわち『エンジン』であり、時計を身に着けるのがそのための燃料なのだろう。
 
課長であれば「家族と共に良い一日を過ごす」という社会的欲求や、そういうライフスタイルを持つ自己実現の欲求が『エンジン』であり、そのためにお金という燃料が欲しいのだ。
 
それは決して「汚い欲」ではないし、スケールの小さな話でもない。
世の中の人々みんなが持っているものであり、それに答えることがサービスであり、仕事であり、社会を作っている原動力なのだ。
 
私は大学で経営学を専攻したこともあり、マズローの話は以前から聞いていた。
しかし、この件で身をもって教えられたことになる。
 
 
数年後、転職した私は人事担当に抜擢された。
私にとっては「自分が上手くいくか?」という仕事姿勢より、周囲をサポートする役回りのほうが肌に合った。周囲に「日本一働きやすい職場をつくる」と、私は息巻いていた。
 
転職後も交流が続いていた、シマダ君が言った。
「課長が『おお! あいつも、ついにエンジンを積んだか!』だってよ」
 
 
 
 
***
 
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2024-07-11 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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