老舗が過ぎる宿で出会った白いたてがみの優しさ
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:パナ子(ライティング実践教室)
家族旅行にまつわる諸々の予約を、いつも大変スマートにこなすMr.ダンドリこと夫の歯切れが珍しく悪かった。
予約の電話を宿に入れたところ、第一声は
「えっ? いいんですか?」だったそうだ。こんな宿に泊まってくれるのか、という意味らしい。
これまで家族を変な宿に泊まらせたことがなく、旅行すべての流れについてツアーコンダクターのような仕事ぶりを発揮するMr.ダンドリもさすがに不安になったらしい。予約を入れ終わったあと、すぐに私に電話をよこしてきた。
「大丈夫かなぁと思ってさ」電話の向こうでダンドリが苦笑いしている。聞くところによると、予約の電話に出たのは高齢の女性だったらしく、家族四人で泊まりたい旨を伝えると「申し訳ないので子供料金はいらない」と言ったらしい。さすがに悪いので「正規料金をお支払いしたい」と伝えると「そうですかぁ」と女性は答えたという。
不安でしかなかった。一体全体どんな宿なんだ。まさか幽霊屋敷じゃないだろうな。
実はこの旅、子供たちを人生初の花火大会に連れていくためにダンドリが計画したものだった。都会だと混雑で子供が疲弊するだろうと踏んで、田舎の花火大会に出向き、近くの宿に泊まろうという計画だ。しかし思い立ったのが少々遅く、周辺の宿はどこも満室。グーグルマップで検索したところ看板も出ていない旅館にヒットしたというわけだった。
LINEに送られてきた旅館の画像は、なかなか衝撃的なものだった。古ぼけた白っぽい外壁に何の飾り気もない大きいガラス扉がきっちりと閉められている……活気というものを全く感じない。既に閉院してしまった昭和初期の町医者という出で立ちだった。
我々はここに泊まるのか。
どうか何事もなく、この一泊が終わってくれ。そう願わずにはいられなかった。
当日、無事に到着し、駐車場の確認のため、夫がひと足先に車から降りて宿に向かった。数分後、車に戻ってきた夫は満面の笑みを浮かべていた。
「おかみさん、めっっっちゃ、いい人!!」
手には何やら細長い紙を数枚握りしめている。今夜行われる花火大会の優先席チケットだった。
私と子供たちも車を降りて、あまり飾り気のない殺風景で広い玄関に入っていった。玄関あがってすぐのところに立っていたのは、まっしろで短めの白髪をたてがみのように美しく光らせているおばあちゃんだった。
子供たちに目を細めると「かわいかね~今日はありがとね~」と弾けるような笑顔で言った後、「申し訳なさ」と「控えめさ」が入り混じった顔でこちらに向き直った。
「もう本当にね……ありがとうございます。私、泊まってもらえることが嬉しくてね。楽しみに待ってたんですよ」
地域の組合から出ていた優先席チケットに関しても、まだ見ぬ家族が花火大会を安心安全に楽しめるよう「使わないならちょうだい」と近所をまわって4枚集めてくれたらしかった。
一体何日いや何カ月……もしかして何年ぶりの客なんだろうかと一抹の不安がよぎったが、ビジネスライクとは程遠い、優しく心のこもった対応は私たちを大きなシーツで包むようにあっという間にアットホーム空間にしてしまった。
他に誰も泊まってないので一番広い部屋に案内された私たちは、人数の倍は泊まれそうな和室に荷物を降ろした。テレビと座卓以外なにもないだだっ広い和室は、長年くつろいできた実家のようで、私は夕日が差し込む畳のうえに大の字に寝そべった。
食事の時間になり、調理場よこの食堂に向かう。広々とした部屋に長テーブルが8つとイスが32脚。誰もいないしんとした食堂で家族四人向き合う。食事は家庭料理の延長という感じだったが、それでもチキンのソテー、ひじきの炒め煮、タコの酢の物、お刺身、鶏肉と大根の煮物、ご飯、お味噌汁と品数は豊富で豪華だった。旦那さんが亡くなり、今はもう一人で切り盛りしているおかみが、あの年齢でこれだけ作るには大変だったろうと思わずにはいられなかった。
「ご飯もたくさん炊いてますから、お替りしてくださいね」
いったん調理場の方に消えたおかみが数分して戻ってきた。
「奥さん、すみませ~ん……」
何か不具合でも起きたのかと思ったが、その両手にはまるまると太ったシャインマスカットが皿からはみださんばかりに乗せられていた。
「これよかったら食べてもらおうかと思って」
果物の栽培が有名なこの地域で取れたものと、親戚から送られてきた岡山のブランドマスカットを食べ比べてほしいという。
いまどきスーパーで1パック買おうと思ったら2,500円はくだらない。おかみは2パックで五千円相当のものを私たちに食べさせようとした。
いいの!? そんなにたくさんいいの!? だってこの宿の料金は一泊二食付きで5,800円なのだ。おかみ、赤字にならない!?
その後も、おかみは娘が里帰りした際に持ってきた饅頭だの、長年漬けて味に自信のある梅酒だの、ちょっとおいしいナッツ菓子だの、次から次にテーブルに運んできて私たちを限界までもてなそうとした。
パンッパンに膨れた腹をさすりながら、私はあの人を思い出していた。昨年急逝した祖母だ。母を早くに亡くした私はばあちゃんが心のよりどころの一つだったが、ばあちゃんも私が帰るたびに「ポテトサラダ作ったばい」「きんぴら食べんね」「饅頭ば蒸かそうか」「ビールが冷蔵庫に冷えとるよ」と腹いっぱいに食べさせ、いい年齢になるまで冬の布団には「あんたは冷え性やけん」と湯たんぽを入れてくれた。
何もないけどだだっ広くて寝転べる部屋、次々に出てくる食べ物、無償でこちらに差し出される優しさ……ここは私が最近飢えていた、実家の温かみそのもだった。
そのうちおかみは、子供たちに向かって何度も「おばあちゃんはね」と話しかけては「あ、ごめんなさい。孫みたいに可愛いもんやけん」と言って笑った。
おかみの計らいで人生初の花火大会を満喫し終える頃には、子供たちはすっかり宿に慣れ、5才の次男にいたっては「かえりたくない。ずっとここでくらしたい」と言い出すほどだった。
翌朝、朝ごはんを食べ終わり宿を出発するため玄関に向かうと、おかみが待っていてくれた。
「また来てくれたら嬉しいなあ」と笑うおかみに子供たちが近づき、どちらともなく握手会が始まる。いいなあと思いつつなんだか少し恥ずかしくて握手ができない。
いよいよ車に乗り込むという段になって私は助手席側に立って見送ろうとしていたおかみに近づき「本当にお世話になりました。とても楽しかったー!!」と言って手を差し伸べた。おかみは「本当にね、いい人たちに泊まってもらえてよかったぁ。男の子ふたり大変ね。がんばってね、ありがとう」と言ったが、その目にはうっすら光るものがあった。
私たちは固く、そして柔らかく、お互いの手を握り合った。
もしかしてこれは最期に言葉が交わせなかった祖母がくれたサプライズギフトなのか? まさかそんな物語みたいな話ないか、と思いを馳せつつ車に乗り込んだ。
おかみが白いたてがみを光らせながらずっと手を振ってくれているのが、サイドミラーに映り込む。この夏最大のギフトを胸に私はしばらく温かい波に身を沈めた。
***
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