実験室は『龍の通り道』だった
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:松本信子(ライティング・ゼミ6月コース)
一部フィクション含みます
長い会社生活で、不可解な出来事はあの日の装置の搬入から始まった。
振動調査の結果、技術者が最後に口にしたのは『龍の通り道』という言葉だった。
入社した頃、『原子間力顕微鏡』という装置の納品時にそれは起こった。
超高感度の顕微鏡は、振動に弱く。
設置場所も精密に設定されていないと動かない装置だった。
派遣されてきた技術者は、発売されたばかりの最先端の装置を、自信満々に数日かけてセットしていった。
そして最終チェック日、実験室の扉を開けると浮かぬ顔をした技術者がいた。
どうしたのか尋ねると「原因不明の振動があってどうしてもそれが除去できないのです。そのため画像がとれない」との回答。
それから、1週間ほどかけて、車や電車が通る時間の振動チェックを丁寧に行っていた。
最終的に彼が出した回答に私は驚いた。
検収証明書(装置が正常にセットされて、作動したという証明書)にはこう記載があった。
『原因不明の振動のため通常の防振台の上では画像が取得できず。代わりにバンジー型の簡易防振台を使い検収を上げた』
もう少し平たい説明を私は直接聞いた。
「どう調べてもわからない振動があって。詳細を調べたのですけれど。此処って京都の風水でいう朱雀門の辺りですよね。つまり龍が北から南に抜ける通り道なんですよ。それが原因なんじゃないでしょうか。龍が不定期に通ったりするから、わからない振動が起こるのですよきっと。だから、最初に持ってきた地面に置くタイプの防振台をやめて、簡単にいうとブランコの形の防振台を上から吊り下げてやってみたんですよ。龍が通っても大丈夫なようにね。そしたら画像が取れたんです。それで検収を上げたんです」
わかったような、わからないような説明だった。
最先端の技術をもってやってきた人が『風水』だの『龍の通り道』だの言い出すとは。
最後は『ブランコ』の登場である。心底びっくりだった。
結果よければすべて良しと言う理屈なんだろうか。
とにかく装置の検収は上がったので問題はなかったのだが。
そして、それから。
理屈では説明できない出来事が、私にしばしば訪れることになる。
ある日の出来事。
実験室で一人作業をしていると、突然、大型装置の電源が入って動き出し、置いてあったラジオから大音量の音楽が流れ始めた。
20時過ぎだった。
偶然、電気的なノイズが入ったのかもしれないが。
静まり返った実験室で、大音量の音楽(当時流行っていたMr.Childrenのイノセントワールド)が流れた時には、本当に違う世界に連れて行かれるのではないかと、ドキドキしたことを覚えている。
断っておくが、会社は近代的なテナントビルの中にある。
それから。
異動先の、センシングとバイオを研究するチームに配属された時。
初日に、窓際に座っていた先輩がにこにこしながら「ここね、夜になったら窓の外に女の人が歩くのがみえるんやで」と話しかけてきた。
その先輩は東大出の博士で、食べ物の話まで数式で語るような人なのだ。
この人の頭は一体どうなっているのだろう。と不思議でならなかった。
窓の外には高い青空が広がってきれいだった。
見下ろすと散りかけた桜が風に吹かれて舞っていた。
5階の窓の外を女の人が歩くなんて。
ここで残業するのはやめようと、その時決意した。
そして、配属されて数か月経った頃。
お客様との立ち合い実験があった。
早朝から夕方までずっと立ちっぱなしで、精神的にも肉体的にも疲れた一日だった。
夕方6時頃に立ち合いは終わり、その後、実験室に3人残って後片付けを始めた。
私は、たくさんの実験器具をせっせと洗っていた。
その時、背中からふわりとした風のような気配を感じて、振り返った。
小さな女の子が立っていた。
赤っぽい絣の柄の膝くらいまでの着物を着た女の子だった。
私の腰くらいの身長で、きれいに切りそろえた前髪の下から、黙って私のことを見ていた。
慌てて見直した時には、もういなかった。
幻を見たと思った。
その場にいた人に「今な、ちっちゃい女の子がここにいたんやで。私、何か変なものが見えたりして、かなり疲れているんかな」と言った。
皆は、「もう後はいいから、はよ帰りや。ご苦労さん」と声をかけてくれた。
私は作業を止め帰宅した。
翌朝。
一緒に作業をしていた人が私を見るなり駆け寄ってきて「昨日な、あんたが帰った後、僕も見たで。言ってたのと同じ女の子やった」と言ってきた。
やっぱり、本当に居たんだ。素朴にそう思った。
たくさん人が実験室にやってきて、わいわいやっているから『何だろう?』って出てきたのかもしれない。
怖いという感覚はなく『そこに、ただ立っていた』という認識だった。
その話を、秘書さんに話した。彼女はとてもとても怖がって、お祓いをしようと言い出した。
私も、そして後で女の子に遭遇した人も「そんなに悪いものでなかったと思います」と言ったのだが。
暫くして、実験室の入り口のドアの前に巨大な『盛り塩』が置いてあった。
私は、その『盛り塩』の方がよほど怖いと思った。
『窓の外に見える女の人』の話をした先輩にも話してみた。
彼は「そうやろ」と何か嬉しそうだった。なかなか信用してもらえないのだという。
そして『龍の通り道』の話をしてくれた。
「京都駅の駅ビルが北と南を塞いでいないのは、龍が北からやってきて、ちゃんと南まで回って帰れるようにあけてあるんや。そして、ここは昔からいろんな魂が出てくる場所っても聞いてる。だから女の子とかが出たんかもしれん」と。
最先端を謳い文句にしているこのビルの中で、こんなことってあるんだ。
と思うところではある。
ただ、私はここにいる(だろう)不思議なものや、龍の話が好きだ。
全て理詰めで終わる話よりも、少しよく分からないところに私は人間的な色気を感じる。
理屈だけで生きることはつまらないし、人の根幹にある感情こそが、理屈で説明できないものだからというのもある。
数日後。
駅までの近道に小さな神社がある。
その境内を抜けて歩いていた時、後ろからさぁーっと風が抜けて行った。
『ああ、龍が通った』と、なぜかそんな気がした。
夕闇が広がる空の下で、朱色の灯籠が道をぼんやりと照らしている。
その灯籠の隅に赤い着物を着た女の子が立っていた。
実験室で出会った女の子だった。
目があうと、彼女は少し笑って後ろを向くと、くるっと宙返りをした。
そしてふわっと風のように、消えてしまった。
あの子は、龍神さまのお使いなのかなと思うと、何か嬉しかった。
この街には、見えないものが確かに存在している。
それは長く深い歴史に刻まれた『龍神さま』や『もののけ』や、かつてここで生きた、多くの『誰かの想い』が交錯したものなのだろうと思う。
私はこの街で、彼らと共に日常があり、それを肌で感じることを、本当に贅沢なことだと思っている。
もし京都を訪れることがあったら、街の喧騒を抜け、夜の路地裏の片隅で目を凝らし、耳をすまして欲しい。
提灯の揺れる影の形が変わったり、風もないのにどこからかひんやりとした空気が流れてきたら、彼らがすぐそばにやってきているかもしれない。
それを是非、自身の目や感覚で感じて欲しいと思う。
理屈では説明できない世界を垣間見ることができる場所。
それが多くの人を惹きつけてやまない、本当の京都の魅力の理由なのだと思う。
***
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