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物語を乗せてバスは走る


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:松本信子(ライティング・ゼミ6月コース)

 
 

その日、私は久しぶりに乗った市バスで、思いもかけず多くの人間ドラマを目の当たりにした。
 

定刻通りに来ないという思い込みとは裏腹に、市バスは時刻表通りにきちんとやってきた。
混み合ってもいない。快適だ。座席に座り車内を見渡した。
空いているせいか、どの人もゆったりとした顔をしているように見える。
窓の外には、透明な秋の夕空が広がり、空には絵に描いたようなうろこ雲が浮かんでいる。バスの揺れとともに、雲の色が少しずつ変化して見えるのが楽しかった。
 

バスは一定のリズムで走り続け、車内にはエンジン音と車輪の微かな振動が伝わってくる。2つ目の停留所で、ドアが開くと、涼しい風が入り込み、車内が爽やかな秋の空気で満たされた。
そこでは、とてつもなく大きな荷物を担いだ、腰の曲がったおばあさんが、よろめきながら入ってきた。
優先座席に座っていた人がさっと立ち上がり、おばあさんはその椅子に座った。
高齢者や困っている人への思いやりのある行動は、周りの人も安堵するものがある。
車内にほっとした空気が漂った。
そして窓の外を眺めているうちに、うとうとしてしまったらしい。
 

目を覚ますと、車内は満員になっており、多くの人がつり革を握っていた。
停留所に止まっているようで、前の方から小さく言い争う声が聞こえる。
耳をそばだてた。
「だから、お釣りは出ないと言ったでしょう。バスは両替式なんです」と運転手さんの声。
旅行者と思われる初老の男女が、運転手さんに食い下がっていた。
「でも一人分は既に入れたんだから、お釣りを出してもらわないと」と男性が言い返す。
運転手さんは「返金はできません」と譲らない。
声がだんだんと荒くなる中、運転手さんは「ではもう一人分はいいです、次回から気をつけてください」と話をまとめて話を終わらせた。
二人は何も言わずに降りていった。
運賃を受け取れなかったことや、旅行者との言い争いは、疲労を重ねるものだったのだろう。
バックミラーに映る運転手さんの眉間の皺がそれを物語っていた。
 

その時、先ほどのおばあさんが、不安定な足取りで後ろの乗車口から降りて行こうとしていた。
運転手さんはそれに気が付き、慌てて「お客さん、ちょっと待ってください! 降り口は前からですし、お金も払ってください!」とマイクで呼びかけた。
しかし、おばあさんは聞こえないのか、それとも知らぬふりをしているのか、黙ってそのままバスを降り、歩いて行ってしまった。
車内のほとんどの人が、窓越しにおばあさんの姿を見つめていた。
腰の曲がったおばあさんの大きな荷物は、まるで一生分の思い出を背負っているかのように見えた。
車内には静かな時間が戻った。窓の外は、夕焼けの色が深まっていき、街灯が少しずつ点灯し始めている。誰もが自分の思いにふけっているようで、車内に漂うのはただ、エンジン音とわずかな振動だけだった。
私はそのまま窓の外を見つめながら、今起こった出来事についてぼんやりと考えていた。
 

そしてバスは発車し、すぐ車内アナウンスが入った。
「このバスは、両替方式ですので、お釣りは出ません。わかっていながら、大きなお金を入れて、後から言われても処理できません!」と運転手さん。
語気が強かった。
きっと、さっきのお客さんに言いたかった言葉なのだろう。
『わかっていながら』の言葉が、運転手さんの気持ちをよく代弁していた。
 

そんな時、ふと視線を前方に向けると、停留所に車椅子の男性が待っているのが見えた。
運転手さんは、さっと立ち上がり、スロープをセットし、歩道から車いすを車内に押し上げると、手際よくベルトを使い車椅子を固定した。
車椅子マークのついたバスなので、当たり前と言ってしまえばそれまでなのだが。
先ほどまでのやり取りを見ていたこともあり、運転手さんって偉いなあと感心してしまった。
 

今度は、私の降りる停留所に着く直前、若い白人男性が人をかき分けて前に出てきた。
「このバス、京都駅に行きますか?」と尋ねている。
「No!」と運転手さんは短く答えた。
彼は慌ててバスを降りようとした。
運転手さんは運賃を払ってもらおうと、乗車した停留所を聞いている。
「トーキョー」と男性。どうも埒があかない。
押し問答の末、運転手さんが折れた。
「もういいです!」
男性は車を降りた。
「話が通じひん!」と運転手さんは再びバックミラーをちらりと見て、溜息をついた。
その声は大きく車内に響き、乗客が一斉に話すのをやめた。
そして車内は一瞬静まり返った。
 

わずか20分間程度の短かい間に、これだけの出来事がバスの中で起こった。
一日フル稼働の運転手さんの一日はどれだけ大変なことだろうか。
バスは、時刻表通りは当たり前な上に、様々な出来事にも1人で対応しないとならない。
親切でいたいと思っていても、トラブルや乗客の無理解が重なると気持ちが擦り切れそうになってしまうだろう。それでも彼は安全を守る責任がある。
いつもなら、軽く会釈をするだけで降りるのだが。
運転手さんへの感謝とねぎらいの気持ちで、思わず『ありがとうございました』と深々と頭を下げてしまった。
 

バスは当たり前だが、多くの人が乗車し、車内で揺られて、そして降りていく。
そこでは普段会うことのないような人でも、バスと言う媒体を通して隣に座り、偶然話すことがあるかもしれない。
バスの中はまるで、日常の小さなドラマが詰め込まれた劇場のようだ。
様々な人間模様に出くわしそうである。
それは人間観察の好きな私にとって、宝の山のような場所だと思った。
 

また時間を作って、バスに乗ろう。
走る路線によって、見えてくる風景や会話が違ってくるに違いない。
次のバスではどんな物語が待っているのだろう。
出会う人々、ふとした会話、突然の出来事。
バスという小さな空間は、もはや移動手段を超え、日常の小さな奇跡や出会いを生み出す『揺れる劇場』なのである。

 
 
 
 

 

***

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2024-09-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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