彼が同じヘアサロンに通い続ける理由
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記事:西尾たかし(ライティング特講)
「まだそんなに短いのに、もう髪を切りに行くの? Sさんに会いたいだけじゃないの?」
この春から、彼と再び一緒に暮らし始めてから何度目になるだろうか? この問い掛けをするたびに、私はつい笑ってしまう。髪はまだそんなに伸びていないはずなのに、彼は毎月欠かさず、同じヘアサロンに足を運ぶ。彼のこの習慣は、私たちが別々に暮らし始めた頃からずっと続いている。
彼がそのヘアサロンに通い始めたのは、私たちが一度別れ、彼が家を出て下北沢に引っ越した頃だ。私たちが別々に暮らすようになったことで、彼は新しい生活を始めなければならなかった。慣れ親しんだ場所から離れ、新しい町での生活に戸惑っている様子もあった。そんな中で、彼は自分の居場所を見つけるように、あのヘアサロンに通い始めたのだろう。
彼からその話を聞いたのは、私たちが再び友人のように付き合うようになった頃だった。偶然が重なり、年に数回食事をしたり、出掛けたりするようになった頃、彼は何かの話のついでにこう言った。
「今度Sさんが、名古屋で店長になることになったんだよ」
私は少し考えてから、「Sさんて誰だっけ?」と聞き返す。彼は少し驚いたような顔をし、「あれ? Sさんのこと、話してなかったっけ? そうか、あのヘアサロンに通い始めたのは君と別れてからだったんだ」と言った。彼は少し気まずそうにしながらも、自分が通っている下北沢のヘアサロンのことや、担当スタイリストのSさんの話をしてくれた。
Sさんが女性であることも、会話の中で分かった。彼が少し照れくさそうに話す様子に、私はつい笑ってしまったけれど、なぜかその時、彼がこのサロンにどれほど親しみを持っているかが伝わってきた。
それ以来、何度か「Sさんって、どんな人?」と彼に尋ねることがある。彼はいつも「すごく手際が良くて、話しやすい人だよ」と笑いながら答える。彼がそのヘアサロンでリラックスし、Sさんとの会話を楽しんでいる様子が、私にも自然と浮かんでくる。ヘアサロンで髪を切るだけではなく、彼にとっては「自分だけの時間」を過ごし、自分をリセットするための大切な場所なのだろうと感じるようになった。
あのヘアサロンは、ただ髪を整えるだけの場所ではない。日常の喧騒から一歩離れて、彼が自分と向き合うための「秘密基地」のような存在なのだ。彼がそこに行くたびに、外の世界から離れ、心を整理し、新たなエネルギーを得ているのだろう。髪型が変わる以上に、彼自身が少しずつ変わっていく場所なのかもしれない。
再び一緒に暮らすようになってから、私たちは名古屋に引っ越し、彼はそのヘアサロンの名古屋店に通うようになった。Sさんが店長になったというその店で、再び髪を切ってもらうようになった。私の地元である名古屋に来たばかりの頃は、彼も新しい環境に少し緊張していたけれど、ヘアサロンに行くたびに、次第に元気を取り戻していく姿を私はそばで見ていた。
毎月そのヘアサロンに通うことで、彼は心をリセットし、また新たな気持ちで日常に向き合うことができているようだ。彼がサロンから帰ってくると、どこかすっきりとした顔をしていて、何かが解き放たれたような表情を見せることがある。その瞬間、私は彼があの場所でどれほど大切な時間を過ごしているのかを改めて実感する。
けれど、毎月欠かさず通う彼に、ついついこう問い掛けてしまう。
「まだそんなに短いのに、もう髪を切りに行くの? Sさんに会いたいだけじゃないの?」
彼はいつも少し困ったように笑い、何かもごもご言ってから。「じゃぁ、行ってくるね」と軽く言って、出掛けていく。その笑顔の裏には、いつも何かほっとしたような安心感が漂っている。彼はあの場所で、自分を取り戻し、新しい日々に向き合うための力を得ているのだろう。
私たちが再び一緒に暮らし始めてからも、彼にとってあのヘアサロンは特別な場所だ。子供の頃の秘密基地がそうであったように、大人になった今でも彼の大切な「隠れ家」として存在し続けている。どんなに生活が変わっても、あの場所に行けば彼はいつも「自分らしさ」を取り戻すことができる。そして、私はこれからも、そんな彼をそっと見守りながら、共に新しい日々を歩んでいくのだろう。
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