あなたに罪悪感は食べさせない
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記事:しんがき 佐世(さよ)(ライティング・ゼミ9月コース)
ときどき、給食のパンが母親の翌日の昼飯になる。
子どもが食べずに持ち帰った無傷のパンや、少しかじって持ち帰った中途半端なパン。
たいていランドセルのなかで潰れているそれを、もったいないからわたしが食べるのだ。
「なんで食べなかったの?」
「米粉パン、なんかパサパサして食べづらい」
子どもが悪びれずに言う。
あるときは
「なんか途中で飽きた」
と言う。
「そうかぁ」
世の中には、食事とは呼べないものを食べてどうにか飢えをしのぐ人がいるんだよ。
食べづらいってなんなのさ、飽きたってどういう了見だ、食べなさいよ。
と言いたい気持ちをおさえて、「ふうん」と子どもの様子を観察する。
満足に食事をとれない人がどれくらいいるのか知ってますか。
アレルギーなど事情がないなら、出されたものを食べるのは「持てる者」のお作法だと思うぞ。
そういうふうに育った自分の背景や価値観をそのまま、子にあてがいたくなる気持ち。
だけど、そうした正論を押しつけたところで、子どもが素直に受け止められるだろうか。
いつか自分で気づく方が大切だろう。
とはいえ、こうした「気づき」は、たやすく得られるものではない。
私も、自分で気づくまでに長い時間がかかった一人だった。
大人になってから、自分がいかに罪悪感でコントロールされてきたかに初めて気づいた。
子どもを観察しながら同時に、母親のわたし自身のなかにうずく罪悪感を観察している。
出された食べ物を残さず食べる。
その行為自体は美しいことかもしれない。
だけど、「食べたいから食べる」と健やかな動機ではなく「申し訳ないから食べる」と作り手や生産者への罪悪感から口に運ぶのなら、栄養バランスから逸れた「不味いもの」まで摂取する気がするのだ。
とくに、こういう道徳心とか、倫理とか「正論」を振りかざしそうなことは、感情的に言ってもしかたない。
かといって、ロジカルに詰めるのも、なんか違う。
本人が気づくしかない。
気づけるきっかけや環境、事実や情報をわたす程度にとどめながら、結局は自分の価値観を生きる姿を見せるしかない気がする。
「飢えている人が世界中にいるのに、目の前に出された食事を好き嫌いで食べないのは良くない」
という意見に、感情を盛りすぎると罪悪感を引き出しやすい。
相手の罪悪感をわざと刺激しないように、できるだけ意識する。
理由は、わたしが昔そうされて、いやだったからだ。
学生の頃から、罪悪感から自分の行動をおしとどめる選択をしてきた。
戦争や傷ましいニュースを見れば、学校であったどうでもいいことで一喜一憂する自分を申し訳なく思い落ち込んだ。
目の前に差し出されたものを遠慮して受け取らなかった。
娯楽や楽しいことに誘われても、素直にうんと言えない人間だった。
罪悪感にコントロールされていると気づかず、望まないことをいくつも選んできた。
正確には、いやだと気づいたのは大人になってずいぶん経ってから。
それまでは ”生きてるだけでごめんなさいレベル ” の罪悪感をひっそり抱えて生きてきた。
いまのわたしは、罪悪感そのものを、悪い感情ではないと思っている。
良いも悪いもなくて、自然な感情だから。
自分の内側がそう感じるんなら、しかたない。
だけど、押しつけたり、植えつけられる罪悪感は不自然で、「違う」と思っている。
罪悪感をあやつって人の心を縛るのも、縛られるのも、歪んでいる。
罪悪感という毒を盛って相手を動かそうとするのは、見えない暴力の一種だと思う。
「悪いことをした」「申し訳ない」という感覚を強要させる力は、じっとりじわじわと根深く残る。
食べものに限らず、与えられているものの有り難さに気づくことは大事だ。
だけど、その気づくプロセスで歪んだ罪悪感を他人が押しつけると、極端な話、生きていること自体が申し訳ない気持ちにすらなりかねない。
食糧難の国の一方でこちら、目の前の飽食な自分に。
酸素を減らして二酸化炭素を増やす自分に。
今日、食べるものがある有り難さ。
天井の下、目が覚めたこと。
布団の上に爆弾が落ちなかった夜。
ありふれた奇跡がよりあわさってできた一日のこと。
そういうことにわたしが気づけたのは、まわりのおかげだ。
罪悪感も、まわりが教えてくれた。
教師として、あるいは反面教師として。
家族、親戚、友人、仲間、先生、知り合い、名前を知らないほぼ他人、思い出せない誰か。
にんげん以外でも、本、マンガ、アニメ、映画、ドラマ。
いろんな関わりがわたしに教えてくれた。
罪悪感の毒は、どこか甘いのだ。
動けない自分を正当化できる、悲しい甘ったるさがある。
「罪悪感の毒に酔った自分」に気づけたのは、他者のおかげだった。
そして、毒を抜くきっかけも他者がくれた。
そしてなにより、「こんな自分はもう嫌だ」と思ったわたし自身が、毒を食らうのをやめると決めた。
だから他者のおかげと、自分のおかげだ。
「持てる者」は、持っていることに気づきづらい。
だから、他者が鏡となって教えてくれる。
子どもにとって、わたしは一枚の鏡だ。
割れた鏡でもなく、歪んだ鏡でもなく、まっすぐに相手の姿を映す鏡になりたいと思う。
「食べづらいから食べない」選択肢を持っている自分の姿に、あの子はまだ気づいていない。
ありふれた富に、いつか気づいてくれますように。
***
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