セレモニーホール
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:清田純子(ライティング・ゼミ11月コース)
※この記事はフィクションです。
いったいなにをしているのか。
「おい、サヨコ。お前見てこい」
タカオはこめかみ横の頭髪を摘み上げながら隣の妻に声を掛けた。常日頃ヘアスタイルに細心の注意を払うのは習い性である。
「そんなに別れ難いのかしら」とサヨコは夫の頼みを聴こえぬ体でかわし普段通り沈黙した。すでに最期の別れの花を棺に散りばめた事後である。全くもって役立たずな女だ、とタカオは妻の反応にいらついたが祭壇の前では闘病の末ようやく安らかな眠りに辿り着いた弟トクオが物言わず棺に収まっている。
昨晩の通夜はしめやかに夜の露を感じさせるものだったな、とタカオは目を瞑った。
7歳上の俺よりも先に逝くなんて空しいものだな、馬鹿野郎おい起きろ、頑張れ、と思わず拳を握りしめた辛さで今も手が痛い。
不覚にも男の俺が泣くとは、と我ながら戸惑うが零れた涙は眠るトクオの頬に落ちていった。10畳ほどの控室。隣の座卓では未亡人となったサトミと妻のサヨコが会話する声が聞こえてきた。
「義姉さま。エンバームしてもらって良かった。歌舞伎役者になって戻ってきて心底驚きました。でも着物と一緒に託した未使用のあれが見当たらなくて」
「あれね、勿体ないというサトミさんの気持ちもわかるわ。不経済で私だって嫌よ。それにしても結城紬もよく映えていること」
着道楽なサヨコは眼も肥えている。故に人の装いには何にも増して目が行ってしまう。この期に及んでも無意識か義弟の襟元から下しか見ていない。
「義姉さま。あんなに面やつれ激しかったのにふっくら復顔されるなんて奇跡。血液や内臓抜いて消毒するから臭いも出なくてドライアイス不要だし」
エンバームとは遺体を特殊な処置をする為に移送し消毒殺菌し納棺差し戻す方法である。
ふと気配を感じて振り返るとサトミがタカオの顔を覗き込んでいた。
「義兄さま。トクオさんの額を触ってください。ドライアイス無しだから温かいんです」
馬鹿な事を言うこの嫁は生理的に苦手である。だが好奇心は抑えがたくタカオはおずおずと亡骸の額に掌を置いてみた。不思議だ。温かくはないが冷たくもない。昔亡き母の額は氷よりも酷く冷え切っていて衝撃だった記憶が消えない。死体は物申さず冷た過ぎた。
「癒されます。ふくよかで凛々しい舞台俳優みたい、しかも常温だなんて」
サトミは自分の手柄であるかのように呟いた。このそこそこの塩梅は奇妙な感覚をタカオに与えたようだ。サトミは満足気な笑顔を浮かべてまた座卓に戻っていった。
さて昨夜の瞑目から我に返ったタカオは祭壇の前の母娘に視線を戻した。何事か。
喪服姿のサトミと並んで双子の娘ミカとシホが棺内の足元あたりを探っている。突然、母娘三人は目を合わせると俯き肩を震わせて笑いを堪えている様にも見える。
このざまはなんなのだ。死者に対する冒とくで無礼であろう。タカオはキリキリしてきて頭髪が逆立つ思いを味わった。
生来鷹のような鋭い目つきのタカオは思わずサトミを睨んでしまった。すると予期していたかのようにサトミが「義兄さま。ちょっとこちらにいらしてください」と声を掛けて来た。おう、行ってやろうじゃないか。
「義兄さま。これをどうか装着してやっていただけますか。私至って不器用で慣れてなくて」と、サトミは手に持ったそれを隠すかのようにタカオに素早く手渡した。サヨコからはまるで秘め事で手をしっぽりと握り合う恋人同士に見えたかもしれない。実は想定外の出来事が起こったのだがタカオは瞬時に覚悟を決めた。ここで拒否は出来兼ねる。早く終わらせよう。眠るトクオは丁寧に梳かれた銀髪、病室では目立って伸びていた鼻毛もカットされた上に整い過ぎた美貌役者と言っても過言ではない。仕上りが上等過ぎる。だが今この瞬間は掌に託された部分カツラがタカオの掌で震えている。俺のカツラは俺だけの長年の秘密である。妻のサヨコにもばれていない筈だ。こいつは俺のが落ちたのではない筈だ。混乱なのか安堵なのか判断もつかなかったがタカオはこのようなカオスの世界でも速やかに行動した。トクオの頭にそれを被せてみた。上手くフィットはしなかった。おかしい。まるで浮いた帽子のようだ。だが贅沢は言えない。抗がん剤によって抜けた頃誂えたカツラなのだろう。そうだ、きっとそれに違いない。心の悲鳴を噛み締めタカオは目を瞑った。すると、するすると網膜の上から幕が降りてきて漆喰の闇に包まれた。そして近いはずなのに遠くから妻サヨコの声がエコーした。あなたも大丈夫だからどうぞ安心して、と。
***
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