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私をつなぎとめる宝物

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:町田郁(ライティング・ゼミ9月コース)

 
 

彼女たちは知らない。今でも私がそれを大切に持っていることを。
迷ったとき、辛いとき、決断をくだしたとき、幸せなとき、
あなたたちにもらったそれを、折に触れて開くことを。
 
「ねえねえ、サインちょうだい」
幼い声が私に話しかけてきた。土曜日の放課後の小学校の校庭で、私は小学生の女の子二人にサインを求められていた。
「サ、サイン?」
アマチュアバンドのキーボーディストとして、仕事の傍ら活動しはじめて二年目に入った頃だった。週末になると子供会や老人ホーム、企業のイベントなどで演奏する日々を送っていた。その日は市制100年の行事の一環として、ある小学校で行われたイベントに呼ばれて演奏したのだった。体育館のステージで子供たち、先生たち、父兄の皆さんの前での演奏が終わり、片付けて機材類を車に積んでいる最中のことだ。
サインなんてできないよ、そう言おうとして差し出された紙を見ると、びっしりと書かれた質問事項の数々。名前、住所、電話番号、年齢、好きな色、好きな食べ物を絵で描いてください……。サインというよりアンケートだ。住所や名前など、今では個人情報として取り扱いが厳しいことは小学生でも知っている。だが30年以上も前のことだ。雑誌には文通コーナーがあり、不特定多数に自分の住所や名前をさらす、それが平気で行われた時代だった。まだ世の中がのどかだった頃の話である。私も躊躇なく、そのアンケートに個人情報を記入した。
「ねえ、絵で描かなきゃだめ?」
絵が不得手な私は、好きな食べ物を絵で描く、というところに引っかかった。下手な絵を小学生に見せるのはちょっと恥ずかしかった。
「だめ」
容赦ない言葉が返ってきた。しかたなく、下手でも描けるリンゴの絵を描いた。
「リンゴ好きなの?」
よかった、わかったみたい。
「果物が好きなの」
リンゴは特に好きではないけど、描けるのはそれくらいだったからなのだが、それは言わないことにする。果物が好きなのは本当だし。
「絵、へただね」
なんだと?
小学生は容赦がない。思ったことを素直に表現しただけなのだ。こちらは大人なので、思ったことは胸にしまっておくことにする。
 
二人は二年生だということだった。一人の子はピアノを習っているそうだ。
「ピアノあんまり楽しくないんだ」
その子は言った。
「ねえ、姉ちゃまピアノ楽しい?」
なぜか彼女たちは私を姉ちゃまと呼ぶようになった。
「うん、みんなで弾くと楽しいよ」
「そうなんだ。ねえねえ、うちの猫がこども生んだんだよ」
ピアノの話はどこへやら、その子は生まれたばかりの猫の話に夢中になった。
「うちにはハムスターがいるんだよ」
もう一人の子も対抗するように話し出す。学校の話、流行っている遊びの話、テレビの話、次々と話題が変わる。前職を辞してから、これくらいの年齢の子供と接することがほとんどなくなったので、小学生ならではの話題が新鮮で楽しかった。
やがて解散の時間となり、彼女たちに別れを告げた。
「また来てね」
笑顔で手を振ってきた二人組に手を振り返し、その場を後にした。バンド活動をしていると、このような一期一会の出会いが多くある。それが楽しくて続けてこられたような気がいまでもしている。そしてこの子たちとの出会いもその一つだった。たぶんまた会うこともない、でも、いい思い出となる出会い。
 
……と、思っていた。しかし、彼女たちとの出会いは私の中でちょっとだけ違うものとなった。
あれから数日後、帰宅した私の元に一通の手紙が届いた。キャラクターの描かれたレターセットに見覚えのない筆跡で宛名が書かれていた。あきらかに大人の筆跡だったので、封を開けるまで差出人がわからなかった。
「ねえちゃまへ。ピアノひきにきてくれてありがとう。かんじがむずかしいので、おかあさんにかいてもらいました。またきてね。」
シールが同封されていた。
「あの子からだ」
それは初めてもらうファンレターだった。どっちの子だろう、ピアノが楽しくない子か、それともハムスターを飼っている子か。
早速返事を出した。彼女がくれたようにシールを何枚か同封した。
さらに数日後、もう一通の手紙がきた。
「〇〇ちゃんのともだちです」
と書かれた手紙にやはりシールが入っていた。〇〇ちゃんは最初に手紙をくれた子である。二人組の片割れであろう。彼女にも同じようにシール入りの返事を返した。
返事の返事は二通とも来なかった。彼女たちとの縁はそこで終わったのだ。
でも、その初めてのファンレターが嬉しくて、結婚し実家を出ても、新婚時代に住んだアパートからマンションを購入し引っ越しても大切に持ち歩いていた。
「あの子たち、どうしているかな」
時々思い出しては手紙を取り出して読む。
「もうバンドなんかやめてやる」
そのように思ったときにも読んだ。
「みんなで弾くと楽しいよ」
そう言った私のことも思い出す。みんなで弾くことが楽しい、そう言ったのだから、やめるわけにはいかない。
 
それから二十年ほどたったころだろうか。音楽仲間の一人に、やはりアマチュアでピアノを弾く男性がいた。同じ鍵盤楽器で、しかもジャンルが違うので同じバンドで弾くことはなかったが、お互いのライブを聴きに行ったり、時にはお酒を呑みながら雑談する間柄だった。
ある日、音楽好きが集まるライブバーのカウンターで偶然会った彼と話をしていた。ライブの時にお客さんから一杯ご馳走になった話、公園で数人でアコースティック楽器を持ち寄り練習していたら、
「楽しく聴かせてもらいました」
と、お饅頭をいただいた話などをしていたが、
「ファンレターもらったこと、一度だけあるんだよ」
と件の小学生からもらった手紙の話をした。
「いい話ですね」
彼は言った。
「その子がピアノ続けていて、どこかで会ったりして」
「続けてるかな」
「続けてると思います。根拠はないけど、そうだったらいいなと思います」
そうだね。そんなことがあったら素敵。私はそう思いながらグラスを傾けた。そこで思い当たったことがあった。
「でもさ、君の方が先に彼女に会ってるかもよ」
「どうしてですか?」
「年が同じくらいなんだよ。その子たちと、君と」
彼は結婚したばかりだった。彼の指に結婚指輪を見つけてからかったこともあった。大人である彼と、あの子たちが同じ年だなんて、なんだか不思議で嬉しい気がした。あの子たちも大人の女性になって、結婚していたりするのだろうか。もしかしたらお母さんになっているかも。そう想像することは楽しいことだった。
「会えたらいいですね」
「そうだね。会えたら嬉しいな」
そう答えたとき、私のグラスは空になっていた。
家に帰ったら、また手紙を開こう。私の宝物になったあの手紙を。あの子たちと、あの頃の私に会うために。
そして、ピアノを弾こう。続けてきた私のために。続けさせてくれたあの子たちのために。

 
 
 
 
***

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2024-11-21 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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