グランドみたいな定食屋で白球を追いかける
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:パナ子(ライティング・ゼミ9月コース)
「もっと大きな声で!!」
アタフタと焦りながらレジを打つ私に向かって、斜め後方から注意が入る。
「はっ、はい!!!!!」
まだ慣れない操作と緊張とで、既に喉はカラカラだ。
こういうのを縁とタイミングというのだろうか。
出逢いはひとつの求人案内だった。もうしばらくは専業主婦でいいかとのんびり構えていた私を揺さぶってきた理由は、歩いて5分の近さだった。チャリなら、なんと2分! 仕事が終わればそのまま次男の幼稚園に迎えに行けるという立地の良さが輝いて見えた。しかも、学生時代のバイトで唯一経験のある飲食店だ。
もう、これは、働くしかないでしょう!
そのような予感できらめき応募した私はめでたく面接試験に合格し、晴れて定食屋の店員となったのだった。
思ってたんと違う……。
働き始めてすぐに私を混乱させたのは、そのスピードだった。
学生時代にバイトしていたファミリーレストランとは違い、この定食屋はお客様に素早く商品を提供することが最優先事項であるため、とにかく急ぎ足なのだ。
お客様が来店される。ご注文を伺いレジに入力する。お金を受け取り、レシートをお渡しする。レジ横の提供カウンターで商品を揃え、提供する。
この間、速いものだと、約1分!!
速い! 速すぎる!! おばちゃんには脳みそがついていけない速さ!!
目が回りそうだ。
ミスを防ぐため、お客様のご注文をレジに入力しながら必ず復唱をしなければならないのだが、これが難しい。碁盤の目みたいに小さく区切られた沢山のメニューの中から探し出すのに夢中になるあまり、復唱の声が小さくなってしまう。
「はい……えっと、〇〇を……Aセットで……おひとつ……」
しどろもどろになりながら注文を取っていると、冒頭のように「もっと大きな声で」と注意が飛んでくるというわけなのだ。
肩で息をしながら、なんとか食らいつきレジを打つ。
負けねえ、絶対負けねえ。こういう時にこそ、私の負けん気の強さを活かさないでどうするんだ。
中学時代、テニス部で真っ黒になりながら先生にしごかれた青春を思い出す。
「ほら、走れぇええええ~!!」
「諦めるな! 最後まで球を追え~~~!!!!!」
部内ではレギュラーの座を争い、試合では他校の生徒と争う。あの時培った負けん気を今こそ、この定食屋でぶつけようじゃないか!
気持ちは固まった。
緊張とか、まだわからないとか、言ってる場合じゃない。
お客様のため、ランチタイムを走り抜けるんだ。
何とかレジに慣れ始めた頃だった。
斜め後方にある調理場から叱咤してくれる女性トレーナーが私に新しい指示を与えた。
「じゃあ、料理の提供もしてみようか」
トレーナーが出してくるメイン料理とご飯を受け取り、その他を私が準備する。サラダを冷蔵庫から取り出し、みそ汁サーバーのボタンを押して一杯分をお椀に注いだ。
すると、またもや、叱咤の声が飛んできた。
「順番が逆! みそ汁を注いでいる間の5秒を使って、サラダを取る!!」
ひ、ひえ~~~。本当にもう「秒」の戦いだぁ……。
一瞬たじろぎそうになるハートに蓋をして返事をした。
「はい! わかりました! 次から気をつけます!!」
元運動部で鍛えた心身、見せてやろうじゃないの!
しかし、こんなもんで戦いは終わらなかった。
横並びのレジ2台を、私ともう一人の店員が打っていたときのことだ。
もう聞き慣れ始めたトレーナーの叱咤が宙を舞う。
「隣のレジが何の注文を受けているかも、よく聞いて!」
えっ……、そんな聖徳太子みたいな事できんって……。
こちとら、自分の注文だけで手一杯なのに。
驚愕してブルブル震えていると、トレーナーが理由を述べた。
「提供カウンター側のレジにいる人が、料理をトレイに並べていく必要があるので、頭の中で次に何やるか計算してください」
提供カウンター側にいるのは、私だ。
く、くぅ……。私にそんな器用な事ができるのか?
疑問しか湧かなかったが、次から次に訪れるお客様を前に考え込む時間はない。
やるしかないのだ。
しばらくズボラ専業主婦としてソファでスマホをスクロールすることを生業としていた私には荒療治のような、はたまた修行のような日々ではあったが、なんとか一生懸命目の前のことに全力投球していたある日、トレーナーが言った。
「だいぶん慣れてきたみたいですね」
その顔に初めて笑みが浮かぶのを見た時、私は飼い主に撫でられたワンコのようにしっぽを振って喜んだ。
「本当ですか!? あ、ありがとうございます!!!!!」
もしかしたらかなり足を引っ張っているのではと危惧しかなかった状況にささやかだが確かな光が差した瞬間だった。
嬉しかった。ひとつ山を越えたのだ。
仕事の合間、時間のない中で当店をご利用になるお客様を少しでも満足させたい。その裏には必死に動き回る店員の姿がある。忙しい時間帯の店員たちは、グランドで泥だらけになりながら白球を追いかける球児みたいだ。
そんなロマンを感じながらレジに立っていたある日、またもやトレーナーの叱咤の声が飛んできた。
「お漬物!!」
提供カウンター側のレジ打ちをしていた私は、定食についてくるお漬物を忘れたままお客様に商品を提供しようとしたのだ。
「も、申し訳ありません!!」
素早く冷蔵庫からお漬物を取り出すと、お客様のトレイに乗せた。
ふう……。定食屋ランチタイムの星になるには、まだまだ時間がかかりそうだ。
***
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