「そんな顔に産んでしまってごめんなさい」(「美」という名の呪い)
*この記事は、「絶対麗度ライティング」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:水下葉月(絶対麗度ライティング)
「そんな顔に産んでしまってごめんなさい」
泣きながら、絞り出すように、母が言ったその言葉を、私の脳は、私の意思とは無関係に反芻する。
私は、口唇口蓋裂という先天性の障害を持って生まれてきた。
顔の奇形で、上唇と上顎が裂けた状態で生まれてきたのだ。
鼻の軟骨も上手く機能していなかったため、鼻はつぶれたような形状になっていた。
(なお、この障害の原因は判明しておらず、遺伝的な要因かどうかは明らかとなっていない。)
私は、障害をもって生まれてきたものの、幸いにも、合併症などはなく、命にかかわる障害ではなかった。
しかし、「外見至上主義」社会の洗礼を浴び、何度か自死を考えさせられるという意味では、十分に命にかかわる障害になり得るものであったと思う。
例にもれず、私も中学生時代に「顔が気持ち悪い」ということを理由に、いじめを受けた。
教室に入れば、クスクスという嘲笑と共に、ヒソヒソ声で「気持ち悪い」と言われ、鼻を潰すような動作をされたりもした。
しかし、単に、いじめられていただけであれば、私の脳はそれほど混乱させられなかったように思う。
私の脳が、大きく混乱した理由は、私を「綺麗」だという声もあったからだ。
中学生の頃から私は、「綺麗」とは、他者ひいては社会が定義する画一的な基準に該当することであると考えていた。
「みんな違ってみんな良い」「美しさは十人十色」等という言葉は、単なる綺麗事か言い訳であり、上っ面の言葉を並べても、結局、「画一的な美」を称賛する大多数の声の前では、蚊の鳴き声にさえ届かない、そんなものだと思っていた。
社会が観念として持つ「美」は画一的なはずなのに、私を「綺麗」という者もいれば、私を「気持ち悪い」という者もいる。この状況を、脳が処理しきれず、どちらが私に対する適切な評価であるのか、分からなくなった。
そこで、高校生になった私は、客観的な評価を探すために、いくつか行動に出た。
美しさに商品価値を見出している世界であれば、美しさを客観的に評価し、醜ければ、即座に切り捨てるだろうと予想した。
美しさに商品価値を見出している世界として、思い当たったのは、芸能界である。
そのため、私は、芸能事務所のオーディションを受けた。
ミスコンテストにエントリーもした。
なかば、やけくそであった。
そうしたところ、なかなかに良いところまでいったのである。
この結果を受けられたのであれば、「なんだ私は美しいのだ、良かった」と胸をなでおろせるはずだった。
しかし、実際にそうなると今度は、異なった疑念がわいてくる。
さては、きっと、「顔は美しくないが、そこそこ話が面白いから、色物としておいておくか」等と、他の考慮要素が働いているに違いない・・・と。
改めて文字にすると、そこまで疑うのであれば、どうしたって無理であり、もはや滑稽だなと思うが、まさに、どうしたって無理な状態だったのである。
「自分の容姿が美しいのかどうかが分からない。けれど、どうしても醜いとしか思えない。どこに答えがあるのかさえ分からない。」という呪いにも似た難題は、解決する術すら分からず、私の脳を支配し、時に自分の醜さに耐えきれずパニックになり、鏡を割ったことさえあった。
30歳を過ぎたあたりから、自分の容姿にある程度の折り合いはついてきた。
しかし、この忌々しい難題は、未だに解決することはなかった。
特に、写真が恐ろしく(ショック療法の1つとしてモデルをしていたこともあったが、カメラの前で笑うことができず「笑わないモデル」とカメラマンから言われていた。)、見直すことは自殺行為に近いものがあった。
もはや、この難題と直面することや、解決することは、諦めていた。
そんなときに、京都天狼院のポスターで、秘めフォトの存在を知ったのである。
半裸のような肢体で、女がこちらを見つめている。
私の脳内にこびりついた「画一的(且つ相対的)な美しさ」にはあてはまらない気もするのに、鮮烈に、そして、反射的に「美しい」と感じた。
このポスターを見たときに、何故か分からないけれども、ここに私の呪いを解く術があるかもしれないと思った。
(しかし、その時にはまだ、実際に撮影に申し込む勇気は出ず、その数か月後に、申し込みを行った。職場の飲み会でベロンベロンに酔っ払い、ふらふらした状態で電車に乗りながら、酔った勢いでボタンを押した。)
そして、現在、秘めフォトの2回目の撮影を終えた。
また、「絶対麗度デッドライン」にも参加している。
絶対麗度のコンセプトは、「他人が決める相対的な美しさではなく、自分が決める絶対的な美しさ」である。
私にかかった呪いと、まさに対極的なコンセプトであるため、私の中で「そうであって欲しい。そしてそう考えられるようになりたい。」との祈りと、「結局、これまでと同じ。自己満足で何が変わるというの?」とのこびりついた呪いが、日夜問わず戦争をしている。
どこか、自分の中でも、分かってはいるのである。
「美しさとは何か」という問いは、古くから哲学のテーマとして議論されてきており、決して画一的なものではなく、多様なものであり、また、感性であるということを。
だからこそ、中学生時代にだって、「気持ち悪い」という感性と「綺麗」という感性が各々吐露されていたのだ。
しかし、幼少期にかけられた画一的外見至上主義の呪いは強力であり、また、世にはびこる画一的且つ相対的な美(とされるもの)の前では数の暴力にやられてしまうのだ。
けれど、私は、「絶対麗度」を通じ、「絶対的な美」を突き付けられ続けることによって、いい加減、この難題の解決策を見つけ出し、長年の呪いから解放されるつもりである。
母が、私に、「そんな顔に産んでしまってごめんなさい」と言ったとき、
私は、「ああ、これほど愛してくれている母をそんなに泣かせてしまう程、私は醜いのか」と思った。
私は、愛する母に、「私は綺麗だから大丈夫だよ」と伝えたかったけれど、その言葉を口から出すことはできなかった。
美は呪いではない。
絶対的な美によって、呪いを解いたら、祈りのように告げたいと思う。
「私は綺麗だから大丈夫だよ」
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この記事は、天狼院書店の「絶対麗度ライティング」にご参加の方が書いたものです。
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