壇上で大失敗の5才に私ができるたった一つのこと
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:パナ子(ライティング・ゼミ9月コース)
今にも飛び出していきそうな心をグッと押しとどめ、壇上をただ見つめる。
壇上には首をかしげながら困り顔をしている、愛息子5才がいた。
今日は5才が出場するピアノコンテストの本番、晴れ渡る空は爽やかだ。
これまでの長い練習期間がようやく終わりを迎える。
先生に二つの課題曲をもらった時は、うちの5才が本当にこれらを弾けるようになるのだろうかと半信半疑だった。泣いたり、ふてくされたり、ボイコットしたりさまざまな難局を乗り越え、ようやく弾けるようになった時、5才と私は目を合わせてハイタッチをした。清々しくゴールテープを切った気分だった。
会場に向かう道中、後部のチャイルドシートにちょこんと座った5才が言う。
「はぁーーー ぼく きんちょうする」
夫も私もにこにこしながら「大丈夫、大丈夫」と励ました。
私は私で、ひとつの大役があった。
コンテストの幼児部門では、まだ背の低い子供たちのために、保護者が足台を持ち運びして高さを調整するのだ。
観客席より少し高めのステージ、どっしりと黒く光り輝くグランドピアノ、きちんと正装された審査員の方々、いつになく感じるよそゆきの雰囲気は、大人の私でも十分に緊張感を感じるほどだった。
本番が始まる前、控え室で5才がちょんちょんと白い壁を押さえている。何をしているのかと近づくと、曲を弾いていた。5才なりに心の準備をしているのだと思うと微笑ましかった。
あんなに練習積んできたんだもんね。きっとうまくいくよ。大丈夫だよ。
壇上に上がれば、私はもう彼に付き添う事ができない。
その小さい背中に向かって最大限のエールを送った。
コンテストが始まり、いよいよ彼の番になった。
直前に私が足台を調整する。係の方の合図で5才が登壇すると同時に、私は急いで観客席に戻った。
なかなかいい出だしだった。
元気よく、という趣旨に沿った弾き方で一音一音がハッキリと私の耳にも届いた。
いいぞ! その調子だ!! 最後まで頑張れ!!!
そう思った瞬間、事態は思わぬ方向へ転んでいった。
クライマックス、両手で同時に「ドー! ミー! ソー!」と弾く箇所になって5才が止まった。どうやら左手のドの鍵盤の位置を見失ったらしい。
練習中にも、ごくごくたまに同じような事はあった。でもすぐに弾き直し、完走するという流れだった。
しかし、今日は様子が違った。
しーーーーんと静まり返る会場で、みんなが固唾を飲んで見守る。
弾き直しを試みた5才がジャーン、ジャーンと何度か音を鳴らしてみるが一向に正解に近づかない。不協和音だけが会場に響き渡る。そのうち怖くなったのか5才は手を止め、審査員の方に視線を送りながら何度も大きく首を傾げる。鍵盤に置かれた両手は大きく震えていた。
5才からの完全なSOSだった。
いつもと違い過ぎる雰囲気に丸飲みされてしまった5才は、嵐のなか、海の荒波に揉まれただ浮遊する、一槽の小さい船のように見えた。
誰か! 誰かお願い! うちの息子を助けて!!
すぐにでも壇上に駆け付けたかったが、コンテストの規定上、演奏の途中で5才に駆け寄れば、そこで審査は終わってしまう。
痛いほどに、自分の手をギュッと握りしめる。
祈るような気持ちだった。
首を傾げて30秒が経過した頃だろうか。
審査員長を務める男性が優しい声で言った。
「もういっこの曲、弾けるかな?」
コクンと頷くと、5才はもう一つの曲を弾き始めた。
はぁーーーーー、助かったーーーーーーー。
安堵している間に、二曲目だけはノーミスで何とか弾き終えた。
まだ心臓がドキドキしていた。
審査員が講評をするため、10分間の休憩が取られ、演奏者席に座っていた5才にすかさず近寄り名前を呼んだ。
私の顔を見るなり、ポロポロと涙をこぼす。ギリギリのところでなんとかこらえていたのだろう。溢れ出す涙が止まらない。
「ぼく ひけなかった……」
それだけ言うと、5才は私の胸に顔を埋めしばらく泣き続けた。
怖かったよね、あんなシチュエーションをたった一人で耐えたなんて。
「頑張った、頑張った。偉かった、偉かった」
私は繰り返しながら、5才の背中を何度もさすった。
大失敗……そう感じずにはいられないなかで、ある正反対の思いが私のなかに静かに沸き起こりつつあった。
以前、受講した東洋医学で学んだ「睡眠の極意」を思い出していたのだ。
落ち着いたアラフィフくらいのメガネの男の先生が、やたら耳心地のよいイケてるボイス、いわゆるイケボで囁く。
成功した時は睡眠、また失敗した時にこそ睡眠。
とにかく人生の一大事において、最も大事なのは睡眠なのだという。
成功した日の夜に十分な睡眠を取るのは、その成功を脳に定着させる働きがある。また大失敗をした日の夜に取る十分な睡眠は、その心の傷を早く治し、また頑張ろうという気力を復活させるという。
特に子供が何か失敗してしまった時、落ち込んでいるのを励ますとか、なだめるとかよりもずっと大事なのは、その日の夜いかに早く寝かせることなのだと、穏やかながらもハッキリとしたイケボで言い切ったのだった。
ほぇ~~~と、あの時ただ感嘆のためいきを漏らしただけの私が、ついにこのありがたい知恵を実践する時が来たのだ!
小さい背中をナデナデしながら決意したのは、今夜はいつもより早く寝かせる! ということだった。
帰宅後、ご飯やお風呂、仕上げ磨きなど滞りなくすすめ、通常より30分早くお布団に5才を滑り込ませた時、私は密かにガッツポーズした。
5才よ、ゆっくりと眠るがよい!
君の睡眠により、君の傷を癒すんだ!!
翌朝、トテトテと寝室から起きてきた5才は言った。
「おとーつぁん、ピアノひくから きいてて。ぼく、ほんとうはひけるの」
練習の様子をあまり知らない父に、成功した姿を見せたかったのだろう。
ピアノに向かい、課題曲の2曲を綺麗に弾いてみせた。ノーミスだった。
ほら、やっぱり! イケボの先生が言う通りじゃん!
5才は昨日の大失敗をひとつの経験として見事に昇華してみせた。
イケボの先生は、講座のなかでこうも言った。
「私なんかは、我が子が失敗しているのをみると『シメシメ』とすら思います。子供は失敗してこそ大きく成長していく生き物ですからね」
もちろん今回コンテストの本番で成功していたら、私は歓喜し、5才のこれまでの努力や緊張に打ち勝った度胸を誉めていただろう。
でも! 失敗したからこそわかる痛みもきっと格別な味だ。
朝日の差し込む部屋でノーミスした5才は、大好きなお父さんに向かってニコニコと満面の笑みを見せた。
***
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