フレッシュな矛盾を手に入れた、ベテランになりたい
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:しんがき佐世(さよ)(ライティング・ゼミ9月コース)
「慣れですよ」
ベテラン先生はそう言って、涼やかに笑った。
学校の試験期間中、教務室では、生徒から集めた答案用紙を採点する業務が待っている。
ひょんなきっかけで学校の先生を始めて一年目のわたしは、超高速で採点していく先生方の採点スピードに目をみはった。
とにかく、速い。
手にした赤ペンは止まることなく、一瞥してマル・バツ・サンカク、採点が書き込まれる。
大量のテスト用紙に朱がはいり、集計し、授業報告書が仕上がっていく。
かたや、わたしの赤ペン進度はモタモタ。
先生一年目でフレッシュと言えば聞こえはいいが、答案用紙と解答を目がいったりきたり、非効率すぎる。
たどたどしくマルつけて集計。数が合わずやり直し。
とにかく、遅い。
わたしが一枚の採点を終わらせる間に、ベテラン先生陣は七枚くらいさばく。
早々に終えてコーヒーをすする先生に「すごいですね」と声をかけた。
「慣れですね。もはや採点マシンです」と笑った。
「習慣は第二の天性なり」
むかしこの言葉を聞いたとき、思わず書き留めた。
就寝前の歯磨きのように、無意識にこなせるスキルが増えると、天性が拡張する。
習慣化はもはや後付けでなく、天性とも言える武器になる。
朝活、運動、語学、習慣化したいアレコレが定着しない自分にとって、響きも中身もまぶしい言葉だった。
座右の銘にしたいが、おそれ多くて距離を置いていた。
居心地の悪い教務室で、この言葉を久しぶりに思い出す。
ああ、早く慣れたい。
答案用紙をさばくスピードだけじゃない。
先生業に、はやく慣れたい。
他の先生が帰ったあとの教務室、一人ぽつんと残った状態で思った。
春から、ひょんなきっかけで学校の先生になった。
仕事で企業研修はやっているが、学校で教えた経験はない。
先生一年生だ。
複数のクラス合わせて100人を超える学生との対話、授業づくり、課題評価、テスト実施、初めての経験が一気に押し寄せた。
慣れない作業にもたつき、授業より準備に時間がかかる。
何考えているか読めない無表情マスク姿の学生の視線に、授業中はひそかに脇汗すごい。
慣れないことが多すぎる。
授業中にしくじる夢を数パターン見ては、夜中に目が覚めた。
ストレスでむくみ、肌荒れした。
ああ、早く慣れたい。
教えること自体は好きだ。
だからきっとこの居心地の悪さは、慣れていないだけ。
仕事に慣れさえすれば、いちいち心拍数を上げずできるはず。
授業を計画通りに進め、生徒と雑談し、慣れた感じで「先生をこなす」先輩たちがまぶしかった。
その朝もあまり眠れず、通勤のバスに揺られながら、授業についてぼんやり考えていた。
授業の準備はしたものの(うまくいかなかったらどうしよう)と実体のない不安があった。
「はい。つぎ、停車します。ドアが、ひらきます。ご注意ください」
急に、はっきりとした言葉が粒のように立って耳に飛び込んだ。
バスの運転手さんのアナウンスだった。
「右よし、左よし、後方よし。それでは、発車します」
「つぎは、〇〇、〇〇、です。
赤信号、停車します。
両替は、バスが停まってから、おこなってくださいね」
句読点すら聞こえそうな明瞭なアナウンスに、うなずく乗客すらいた。
降車時にほほえんで「ありがとうね」と運転手に声をかける年配の乗客も、いた。
運転手は降りる人たちに頭を下げ、ハキハキと言う。
「ご乗車、ありがとうございました。お気をつけて、お降りくださいね」
なんだ、この運転手さん。
よくある、バス運転手のくぐもった聞き取りにくい声に慣れていたので、彼の明瞭な声に驚いた。
わたしの座った席から、運転席の斜め45度の横顔をうかがった。
すこし白髪混じりで、メガネをかけた白マスク姿。
ベテランか、新人か。
乗客、道路状況、信号、進行方向、全方位にすばやく目線を走らせるベテランの風格に、新人のようにフレッシュな言動の一つ一つ。
この運転手さん、すごいんだけど。
ピンポン。
「はい。つぎ、停車します」
小さい女の子が、母親に手を引かれてバスを降りようとしていた。
運転手さんは、すこし背をかがめた。
それから女の子と目を合わせて、聞き取りやすい声で言った。
「自転車が、来よるけん、気をつけて降りてね」
女の子が力強くうなずき、運転手さんに返した。
「ありがとごだいまちた!」
二人の間には「慣れ」でも「こなす」でもない、一回性があった。
ある事柄が、一回しか起こらないこと。再現できないこと。
「慣れ」は、生きるのに必要なスキルだ。
慣れるとは、習熟すること。
わたしたちの脳が「慣れ」を求めるのは、高カロリーを消費せず、ストレス軽減に役立つからだ。
わたしも「慣れる」を強く求めていた。
一方で「慣れないでいる」「こなさない」姿勢も大事だと、教えてもらった気がした。
一日に何百回も発声するうち、言い慣れて口があまり開かず、聞き取りづらい車内アナウンス。
あるいは、一日に何百回くり返そうが、毎回ていねいに口を開けて届ける車内アナウンス。
バスに揺られてぼんやりしていても、乗客はその違いをキャッチする。
「慣れない声」を使って相手を心地よい違和感で注意をうながす、誠実なやりかた。
習慣化には、力がある。
脳のリソースを最小限に抑えられ、ストレスや負荷をかけず、生きやすくする。
「習慣は第二の天性なり」は、もはや天性とも言えるほど「習慣が身体化している」状態だ。
日々を支える習慣は、一針一針手縫いで作りあげたお守りのような安心感を与えてくれる。
だけど、習慣化に埋没しない意識も、同じくらい、人生に必要なスタンスじゃないだろうか。
わたしが先生業に慣れて、日々の授業を今よりラクにできるようになったとき。
もしかすると、いま敏感にキャッチしている教室内のささいな変化を、見落としてしまうかもしれない。
うっかり、こなしてしまうかもしれない。
見慣れる、聞き慣れる、言い慣れる。
「慣れる」は「鈍くなる」のすぐ隣にある。
昨日と今日は、同じようでいて、再現できない一回だけの一日だ。
先生業が一年目でも、十年目でも、目の前の生徒は「何百人のうちの一人」ではなく、ただその一人。
教壇に立つのが数百回目でも、今日の教室は一回きり。
慣れると、慣れない。
絶妙なバランスの上でなりたつ今日を、焦らず、生きればいいじゃないか。
ふだんバスを降りる時のわたしは、伏せ目がちに小さな声でお礼を言う。
だけど、今日はすこし勇気を出してみた。
メガネ姿の運転手さんに目を合わせ、いつもの「ありがとうございました」を、いつもよりすこし張ってみた。
運転手さんは、大量の答案用紙をさばく先生と同じくらい素早くわたしを見て、ゆったり「ご乗車、ありがとうございました」と目礼した。
「習慣の力」を使いながら「習慣に埋もれない」でいること。
この矛盾しそうなバランスを保つ人生の先輩が、ふいに絶妙なタイミングで現れてくれる。
あの運転手さんのように、わたしもなりたい。
いつかは、授業のいろいろに慣れる日がくるだろう。
だけど何年経っても、慣れないでいよう。
フレッシュな矛盾を手に入れた、ベテランになりたい。
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