お豆腐の迷いは人生の迷い
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記事:吉田実香(ライティング・ゼミ9月コース)
母は「お豆腐は絹」という人だった。
だから、母の手料理に入っているお豆腐は、きまって絹豆腐だ。
お味噌汁のお豆腐は絹、冷奴も絹、麻婆豆腐も絹、たまに出てくる豆腐ステーキ、というほどでもないけれど焼いたお豆腐も絹、お鍋のお豆腐も絹。
しかし、母の母、つまり祖母は「お豆腐は木綿」だった。
子どもの頃から、夏休みと冬休みは秩父の山奥の祖母の所へ遊びに行くのが恒例行事で、祖母の家で出てくるお豆腐はきまって木綿豆腐だった。
年に数回しか食べられない木綿豆腐は、とてもおいしく感じられた。
母に「おばあちゃんは木綿豆腐が好きだけど、ママは絹豆腐が好きなの?」と聞いたら、「うん、絹豆腐のほうがおいしいもの」と言われたため、私は木綿豆腐のほうが好きだと主張はしなかった。絹豆腐ももちろんおいしいけれど、木綿豆腐はしっかりした触感と弾力があり、大豆そのものの味がして、どのお料理にも負けない存在感があると思っていたけれど。
その後も母の好みは変わらず、木綿豆腐が食卓に登場することはなかった。
社会に出て一人暮らしをするようになって、私は「お豆腐は木綿」になった。
20代は不規則な勤務体系と残業三昧の毎日だったから、それほど自炊はしなかったけれど、でもお料理をするとき、お豆腐を食べるときは必ず木綿豆腐になった。
ところが、「お豆腐は絹」に戻ることとなった。
それは、10年ほど一緒に暮らした人が、「お豆腐は絹」という人だったからだ。
久しぶりに絹豆腐のもとへ帰ると、子どもの頃からずっと慣れ親しんでいたため、「あれ、やっぱり、お豆腐は絹豆腐のほうがおいしいかもしれない」と思った。そして、そのまま彼に合わせて絹豆腐しか食べなくなった。
が、しかし、またまた、「お豆腐は木綿」に戻る日がやって来てしまう。
その人とは別々の道を歩むこととなり、また一人暮らしが始まった。
再び「お豆腐は木綿」となったのだが、食の好みを彼に合わせすぎていたため、自分の好きなものがわからなくなっていた。
彼は、お豆腐は絹、お肉は鶏肉、お刺身はマグロ、お漬物よりキムチが好きで、そしてテレビで体にいいと特集された食材を食べたがる人だった。
私は、長いこと忘れていたけれど、お豆腐は木綿、お肉は豚肉、お刺身はサーモン、キムチよりお漬物が好きで、そしてテレビの情報を気にするタイプではなかった。
しかし、ぼーっとスーパーで買い物をしていると、ついつい絹豆腐を買ってしまうし、鶏肉やキムチが安いと「ラッキー!」とカゴに入れてしまう自分にハッとした。
それは、彼への未練にハッとしたわけではなくて、自分の軸のなさにハッとしたのだ。
子どもの頃は、母の「お豆腐は絹」に従い、木綿豆腐のおいしさに気づいてからもそれを主張することはなく、自分でお料理をしてまで食べようとは思わず、一人暮らしを機に「お豆腐は木綿」になったわけだけれど、しかしそれも彼の「お豆腐は絹」にあっさり覆されて、何も考えずに従ってしまった。
なんだか、私の人生みたいだ。
親や先生の言いつけを守るいい子で、人の意見が優先で左右されまくり、自信がないから自分の意見は主張せず、嫌だと思っても嫌だとは言えず、なんでも笑顔で対応すればなんとかなると思っている……。
たんにお豆腐のことなのに、私の人生を体現しているかのようだった。
自分で食べたいものも決められない、選べない私は、自分の軸よりも他人の軸で生きてきたのだ。
この日から、お豆腐の迷宮に迷い込む。
私が好きなのは、絹豆腐なのか、木綿豆腐なのか?
絹豆腐は子どもの頃から食べなれている。なめらかな舌触り、つるんとした触感、上品な大豆の味わい。でも、子どもの頃に思っていた木綿豆腐の魅力も健在だ。
しばらく絹豆腐を食べ続けて、でもやっぱり木綿豆腐かも、とまた木綿豆腐に戻って、またやっぱり絹豆腐かしら……、という日々を送っていた。
そして、また、最近ハッとしたのだ。
そもそも、どうして、お豆腐は絹なのか木綿なのか、どちらかを選ばなければならないのだろう。その日の気分やお料理によって使い分ければいいだけなのに。
こんな当たり前のことに40年以上も気づかず、これもまた、私の人生みたいだと思った。
白黒はっきりつけたかったり、0か100かと極端だったり、極端だからこそ物事を決められず先延ばししてしまったり、臨機応変さや柔軟性が欠けていたり……。
ということは、祖母も母も、そういう要素があるのだろうか。私もそれを受け継いでしまったのだろうか。
それからは、絹か木綿かの二者択一ではなくて、お料理によって、気分によって選ぶことができるようになった。邪道なのかもしれないけれど、麻婆豆腐や湯豆腐をするときなどに、絹も木綿も両方入れて同時に楽しむこともある。
物事も極端な選択ではなくて、自分軸や自分の気持ちに合った選択を心がけられるようになった。
これも、お豆腐のおかげだ。もちろん、それだけではないけれど。
でも、お豆腐のおかげだからこそ、冷蔵庫をあけてお豆腐と対面するたびに、スーパーでお豆腐に出会うたびに、そしてお豆腐を食べるたびに、お豆腐がこのことを思い出させてくれるのだ。
今でも、お豆腐に迷うことはある。
でもそれは、選択肢の中から自分に合ったものを選ぶ、自由で楽しい迷いだ。
そして、人生の迷いも多いけれど、お豆腐を選ぶときのように自由に楽しく迷っていきたい。
人生の後半はしなやかに、自分の軸をしっかりもって、自分の基準で生きていくことが目標だ。
これからもずっと、お豆腐に、絹と木綿の両方のお豆腐に導いていってもらおうと思う。
***
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