歯並びが整えば人生も整う? 笑顔と青春のかわりに手に入れた大切なもの
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:777(ライティング特講)
「はーい、笑って! もっと口をひらいて、歯を見せて!」
カメラマンがファインダーをのぞきながら何度も言う。僕は覚悟を決めて大きく前歯を見せた。
「ああ、こりゃダメだ」
カメラマンの言葉が耳に刺さった。
僕の歯には銀色の器具がぎっしりとついていた。歯列矯正の装置だ。
その歯を隠すように、僕はすごすごと唇をすぼめる。カメラマンがなにも言わずにシャッターを切った。みじめな気分だった。
こうして撮られた写真が、小学校の卒業アルバムにのることになった。中途半端に口をひらいた僕の顔が。
僕はうまく笑顔をつくれない。大人になったいまもそれは変わらない。
写真に撮られるのも苦手で、きれいに歯を見せて笑顔をつくる人を見ると、自分とはちがう世界の人のように感じてしまう。
もともと恥ずかしがり屋な子どもではあったけれど、それに拍車をかけたのが歯列矯正だったのはまちがいない。
小学五年生から中学校を卒業するまで矯正をした。上顎が小さくて歯並びが悪く、心配した両親が治療を決めたのだ。
いまから四十年近く前の田舎に歯列矯正はまだまだ珍しかった。まわりで矯正をしていたのは女の子で二人、男は僕だけだった。だからよく奇異の目で見られたし、笑われた。
デレデレしたときに「鼻の下をのばして」とよく言うけれど、僕は笑うときはいつも鼻の下をのばして歯を隠した。
鏡で見なくても奇妙な顔になっているのはわかっていたし、友達に「変な顔」とからかわれることもあったが、ほかにどうすることもできなかった。自分の口がギラギラと光っているのを想像すると、少しでも唇を閉じずにはいられなかった。
異性の目を気にする中学生になると、ますます人前で歯を見せられなくなった。
とはいえ多感な時期だ。なにかの拍子に口があいてしまうこともたくさんあった。
授業中に先生のおもしろい小話に思わず口をあけて笑ってしまったときがあった。隣の女の子が文字通り吹き出して笑いはじめた。その目が僕の口に向いていた。以来、僕はその子の顔を見られなくなった。
男に笑われても気にすることはなくなっていたけれど、女の子にあからさまに笑われるのは、思春期の少年にはかなりこたえた。
当時の僕にとって、歯列矯正は、ガラスのように脆くそれでいて鋭く尖った自意識を縛りつける重たい鎖のようなものだった。
もちろん四六時中思い悩んでいたわけではないけれど、それでもいつも心の奥底にその鎖は横たわっていて、ふとした拍子に大きな音を立ててギラギラと光りだすのだ。
反抗期と重なっていたこともあって、頼みもしない歯列矯正を勝手に決めた親を恨めしくも思った。
こんなものを歯に巻きつけられたせいで、不必要に人から笑われて嫌な思いをさせられている。
口には出さなかったが、そのぶん余計に不満は溜まって、家の中でも鬱々としたものだった。
ようやく矯正を外せたのは、中学校を卒業する直前だった。
実は、歯を締めつける針金を歯科助手の方が強く締めすぎたせいで、僕の下の前歯は一本だ前に飛び出たままになっていた。
それは歯科の先生もわかっていたはずだが、これを元通り奥に引っ込めるのはまた時間がかかる作業だったのだと思う。先生は、矯正を外すかどうか、僕に選ぶように言ってきた。
「外します」
僕は飛びつくように答えた。
銀色の針金から解放され、完璧とは言えないものの、五年にわたって整えた僕の歯並びと口元は、鏡で見たらとてもきれいだった。
さあこれで、きらりと前歯を見せて笑えるぞ。
そう意気込んだのも束の間、鼻の下をのばす長年の癖はしっかり口に染みついていて、ことあるごとにうまく笑えない自分を思い知らされ、落ち込まされた。
そんなだったから十代後半も、明るく思い出せることはあまりない。
歯列矯正をしなかったら自分の人生もまたちがったものになっていただろうなと、くよくよしていたことはよく覚えているけれど。
十代の僕を悩ませつづけた歯列矯正。苦しみのほうが大きくて、若いころはその効果に目を向けることはほとんどなかった。
しかし、年齢を重ねるにつれて、じわじわとありがたみが身に沁みるようになってきた。
口のなかの衛生状態が、体全体の健康に密接に関係していることを知ったからだ。
歯と歯茎を衛生的にしておくことが、健康寿命をのばすことにつながるといい、そこで大切になるのが、歯並びと噛み合わせだというのだ。
歯並びが悪ければ、歯垢が溜まりやすくなる。歯垢が溜まれば虫歯、歯石、歯槽膿漏、歯周病などのリスクが高くなる。なかでも歯周病は認知症を引き起こす一因になることが、さまざまな研究でわかっている。
口腔内を健康に保つには毎日の歯磨きが重要だが、歯並びが整っているほうが断然きれいに磨ける。
数年前から歯の定期検診を受けているが、歯と歯茎の状態がとても良いと褒めていただけている。それもこれも、両親が歯列矯正をしてくれたおかげだ。
噛み合わせも健康寿命に欠かせない要素だ。
食事をしっかりと噛めることがどれほど大切かは言うまでもない。また、噛み合わせが悪いと骨格のバランスが崩れて、肩こりや頭痛、顎関節症を引き起こす原因にもなるという。
子どもだった僕は目先のことだけを見て毎日憂鬱な気分になっていた。けれど、両親はとても長い目で僕の人生と健康を考えてくれていた。当時の両親の年齢を超えたいま、その愛情に深く感謝するばかりだ。おかげで毎日、元気に笑うことができている。
そう、僕はうまく笑顔をつくれない。大人になったいまもそれは変わらない。でも、昔から面白いものが大好きで、笑うことも大好きだ。
だからこそ、いつまでも健康でいたいと思う。
両親が整えてくれた歯並びで、つくった笑顔ではなく、心のままに笑っていられるように。
***
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00