メディアグランプリ

ドーナツの物語


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:西尾たかし(ライティング・ゼミ11月コース)
 
 
※この話はフィクションです。
 
彼が最初に奪われたのは「立ち読み」だった。
学生の頃、駅前のコンビニには漫画雑誌や週刊誌がずらりと並んでいた。彼は、学校帰りに立ち寄り、雑誌コーナーの前でページをめくる。その時間は、社会人になってからも、彼にとってささやかな癒しだった。
 
けれど、いつの頃からか雑誌コーナーは少しずつ縮小され、今では完全にその姿を消してしまった。かつての彼の癒しのスペースは、栄養ドリンクや風邪薬、サプリメントが並ぶ薬品コーナーに変わっている。コーナーの端っこに立てられたPOPには、彼より少し若い人気女優が、にこやかな笑顔を浮かべ「元気を出して」と言うように、こちらに栄養ドリンクを差し出している。
 
「漫画読まずに、栄養ドリンクなんて、まだ早過ぎる……」
そう心の中で呟きながら、彼は足早にそのコーナーを素通りする。
彼にとって、そのコンビニは朝のコーヒーと時々サンドイッチを買うだけの場所になる。
 
しばらくして、レジの横に新しいケースが置かれるようになる。その中にはシナモン、チョコレート、そしてクリーム入りの見た目はシンプルな3種類のドーナツが整然と並ぶ。それを見て、彼はつぶやく。
「ん? 悪くないラインナップだな」
始業開始まで少し余裕のある日、彼はシナモンドーナツを注文することになる。
 
右手にドーナツ、左手にコーヒーカップを持ち、彼はその日、初めてそのコンビニのイートインスペースを利用した。
店内の隅に設けられた簡素なテーブルと椅子。壁際にはコンセントがついていて、学生やビジネスマンがスマホやパソコンを充電しながら利用している光景は知っていたが、自分が使うのは初めてだった。
少し気が引けたが、ドーナツとカップに入ったコーヒーをテーブルに置くと、不思議と安心感が生まれた。ドーナツの素朴な甘さと、コーヒーのほろ苦さ。その組み合わせは、思いのほか心地よかった。
 
それ以来、彼は少しずつイートインスペースを利用するようになる。朝の始業前だけでなく、仕事帰りや、ちょっとした空き時間。雑誌コーナーを失った後の寂しさを、この場所が少しだけ埋めてくれた気がした。
 
そんな日々が続いたある日、彼はイートインスペースの壁に貼られた小さな告知を見つける。
「イートインスペースは、今月末をもちまして終了いたします」
その文字を読んだ瞬間、胸の奥に小さな痛みが走った。
「やれやれ、時代の流れは俺からどんどん癒しの時間を奪ってしまうのか……」
つぶやく声は自分でも驚くほど掠れていた。
残された時間はちょうど3週間。
 
それから数日後、彼は彼女と出会う。
その日の朝、彼がいつものようにドーナツとコーヒーを手にして席に座っていると、向かいに見知らぬ女性が腰を下ろした。彼より少し年上に見える女性だった。柔らかな表情を浮かべた彼女も、同じようにドーナツとコーヒーを持っていた。
ふと目が合った瞬間、彼女が軽く会釈した。慌てて頷き返すと、彼女がぽつりと言った。
「このイートイン、なくなっちゃうんですよね」
その声は不思議と柔らかく、彼を包み込むようだった。
「……ああ、そうみたいですね」
それが、彼と彼女の最初の会話。
 
それから彼らは、何度か顔を合わせる。彼女は決まって同じ時間に現れ、同じようにドーナツとコーヒーを手にしていた。話す内容は他愛のないものばかりだったが、彼は彼女との会話がどこか心地よかった。
「雑誌があった頃は、ここってなんか入りづらい場所だったんですよね」
彼がそう言うと、彼女は微笑んだ。
「わかります。私も、立ち読みする方が好きでした。でも、ドーナツがあると座っちゃえるんですよね」
 
イートインスペースの最終日の朝、彼らは会話を交わした。
「これからコンビニって、もっと変わっていくんでしょうね」
彼女は、いつもより少し遠くを見つめるように言った。
「まあ、そうでしょうね。でも変わりすぎるのも困る」
少し考え込むようにしてから、彼女は静かに口を開いた。
「変わるのは仕方ないけど、ちゃんと残すべきものもあると思うんです」
「残すべきもの?」
「誰かと共有する時間とか、そういう場所とか」
彼女の言葉は、彼の中に静かに染み込んでいった。けれど、それ以上何も言えなかった。ただ、彼女が丁寧にドーナツの袋を折りたたむ姿が目に焼きついた。
 
数か月後、彼は久しぶりに駅前のコンビニを訪れる。
イートインスペースがなくなってからは、自然と足が遠のき、朝のコーヒーも自販機を利用することが多くなっていたが、その日は急に文房具を買う必要があった。
目的のものをレジに持参し会計を使用としたとき、「イートインスペースがリニューアルして復活します!」と書かれたポップが目に入る。
驚きながらポップを読み進める。
「そこで交わされた会話や、ふと浮かんだアイデアが未来のヒントになることがあります」
 
数日後、彼はまたそのコンビニに立ち寄る。装い新たに復活したイートインスペースに設置された立ち飲みカウンターに触れる。それは、彼がかつて彼女に話したアイデアそのものだった。
ふと、あの時の彼女の言葉がよみがえる。
「誰かと共有する時間、か……」
彼は目を閉じ、微かに微笑む。
「また来なければならないな」
 
場面が切り替わる。ここは明るい会議室。
彼女もまた、かつてのイートインスペースでの彼との会話を思い出していた。
「復活したイートインスペースの成果」を報告する中、胸の中によみがえるのは、あの短い会話だった。
「イートインスペースの復活は、多くの利用者に喜ばれています。中でも立ち飲みカウンターの設置は非常に斬新なアイデアとして評価されています」
上司の言葉を聞きながら、彼女はどこか遠くを見つめるような表情を浮かべた。 ほんの短い時間だったけれど、あの会話が自分にとって大切なヒントになったのだと感じる。確かに未来を少しだけ変えた。
「きっと、あの人は気づいていないだろうけど……」
そう思いながら、彼女は静かに微笑む。
「明日の朝、あの店舗にもう一度行ってみよう」
 
ドーナツの輪は真ん中が空いている。それでも、誰かと共有することで満たされる。
 
 
 
 
***

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

お問い合わせ


■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム

■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。


■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6-20-10 RAYARD MIYASHITA PARK South 3F
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「名古屋天狼院」

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先 レイヤードヒサヤオオドオリパーク(ZONE1)
TEL:052-211-9791/FAX:052-211-9792
営業時間:10:00〜20:00

■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2-18-17 ENOTOKI 2F
TEL:0466-52-7387
営業時間:
平日(木曜定休日) 10:00〜18:00/土日祝 10:00~19:00



2025-01-30 | Posted in メディアグランプリ, 記事

関連記事