能面をつけたら宇宙の塵になりかけた
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:永堀ちあき(ライティング・ゼミ1月コース)
世界が真っ暗になった。光の点だけが残った。
自分はどこに立っているのか。自分の身体はどこにあるのか。
まるでわからない。怖い。
「は~いじゃあ終わりね、次の人どうぞ~」
目の前の暗闇がふわっと取れて、蛍光灯の光が目に刺さる。うっ、まぶしい。稽古場の外から、蝉の声が戻ってくる——
****
大学2年生の夏休みのことだった。夏休みには、普段とはちょっと違う特別授業が開かれる。アプリを開発したり、映像作品を作ったり。アウトドア活動をして過ごす授業もある。
その中で、私がなんとなく選んだのは「集中講義・能」。そう、日本の伝統芸能の、あの「能」だ。
大きな松の絵が描かれた舞台で、お面をつけた人が、扇を持って、ゆっくりゆっくり舞っている、あれ。「イヨーッ(掛け声)」「ポン(鼓の音)」の、あれ。そうそう、能面って、なんともいえない表情で、ちょっと怖いかも。能のイメージといったらそれくらいで、あとは「たった三日で終わる授業なら、まあ」くらいの軽い気持ちだった。
授業が始まった。プロの能役者さんが先生となり、稽古場で、能のあれこれを教えてくれる。能は、いわば室町時代のミュージカルだ。役者は、せりふ・歌・踊り(能では「舞」という)、全部やる。この授業では、歌と舞の、基礎の基礎をほんの少し、教えてもらえるらしい。
さっそく、能の代表的な動作を習う。まずは、基本姿勢の「カマエ」から。
「ひざを少しだけ曲げて、重心は低く」
「つま先はそろえてね」
「で、頭は天井から引っ張られてる感じで。背筋はまっすぐ」
あれ? 難しい。身体がぐらぐらする。
「身体の真ん中に芯があると思って、それを全方向からグッとおさえて、支えるイメージでね」
えっ、なんてなんて!?
わからないなりに、やってみるしかない。
まず、お寺の五重塔を思い浮かべる。次に、五重塔を支える、真ん中の太い柱を想像する。私は五重塔で、体内に、柱がある。柱が倒れないように、全方向から支えるつもりで、腰と腹にグッと力を入れる。
あ、ちょっとわかったかもしれない。今まさに、身体の中で、いろんな方向の力が、ものすごいバトルを繰り広げている。
「で、そこから、すり足で歩きます」
そうでした。舞うどころか、まだ歩いてもいなかった。
すり足で、前に歩く。後ろに歩く。右手の動きと、両腕の動きが追加される。腕、すり足、体幹、背筋、体幹! 脳みその回路がプシューと焼き切れる寸前で、休憩時間がきた。汗びっしょりになっていた。
休憩が終わって、次は、能面と衣装について学ぶ時間だ。
順番に並んで、実際の能面をつけさせてもらう。能面を裏側から見たのは、初めてだ。目の部分に、鉛筆の太さくらいの穴が、ぽつぽつと2つ開いている。あれ、思ったより、視界が狭そうな……
面を顔にあてながら、こめかみのあたりで紐をギュッと締められる。
ここで、世界が真っ暗になり、光の点だけが残ったのだった。
「はいどうぞ。立って、すり足で歩いてみて」
「えっ」
周囲が暗闇になった。それどころか、自分の身体が消えてしまった。地面も見えなくなった。いよいよ、自分がどこにいるのか、見失っている。わずかに光は見えるが、小さすぎる。まるで、宇宙にただよう塵になった気分だ。
「あの、なんもみえませんでした」
そのまんまの感想を言いながら、面を外してもらった。
その後も、面をつけたときの、あのふわふわした感覚を何度も思い出した。必死で五重塔になって、あんなに強く地面に立っていたのに、面をつけたらすべてが吹き飛んでしまった。それに対して、プロの能役者は、あんな狭い視界で、歩いたり、舞ったりしているんだ。しかも、役を演じながら?
いやいやいや、ちょっと信じられない。
だって、舞台で役を演じるなら、「自分の身体がいま、どこにあって、どんなふうになっているか」を、たえず確かめながら演じるのが普通なんじゃないか。
それなのに、能面をつけたら、自分の腕がどのくらいの高さまで上がっているかすら、見えないのだ。というかそもそも、あの視界の狭さで舞台から落っこちないのが不思議すぎる。
ところが、役者は、地面に吸いつくようなすり足で舞い、歌う。私のような宇宙の塵状態なんて、かれらはとっくの昔に乗り越えたんだ。それどころか、自分の身体の中に流れ、ぶつかりあうエネルギーを完璧にコントロールして、役を演じている。
しかも、演じるのは人間とは限らない。白いおひげの神様とか、成仏できない武士の霊とか、巨大なクモの化物とか。そう思うと、気が遠くなる。ありふれた言葉だけど、「鍛錬のたまもの」というべきだろう。
一日目の授業が終わって、いつもの電車で家に帰る。美容外科の広告のモデルと目が合う。その隣は、トレーニングジムのポスターだ。
ふと、「意識させられすぎている」んだよな、と思った。
例えば、友だちに誘われて自撮りをする。自分なりに、顔が“盛れる”角度を探す。インスタグラムにアップされた写真を見て、あんまり思ったような写りじゃなくて、ちょっとへこむ。
あるいは、いろいろなメディアから、「自分の姿をよく見ろ」というメッセージを受け取っている。
「その体型、なんとかしたいよね?」「それはムダ毛だよ、脱毛してきれいになろう」「あなたの骨格だと、こういう服は似合わないよ」。
ええっ、そうかな。あせってまた、自分の顔や体を見つめだす。だんだん、自分が欠点だらけなものに思えてくる。
こうして、自分の姿を意識させられすぎて、正直しんどくなるときが、私にはある。
もちろん、「あなたの姿はこうだ」「こうしたほうがよくなる」という声は、自分を導いて、新しい可能性を開いてくれることもあるだろう。誰も何も言ってくれなければ、このままでいいのかと怖くもなる。しかし、外からの声がどうにも窮屈に感じることも、同じくらいあるはずだ。
そんな中で、能面をつけてみて、私は宇宙の塵になりかけた。初めての体験だった。周りの世界がなくなって、怖かった。でも、それこそが、自分を作りなおす第一歩だったのだ。地面を踏みしめ、自分の身体や心にじっくり向き合って、新しく立ち上がりなおす感覚。今の私に必要なものは、これだったのかもしれない。
家に着いたら、昔よく聴いていた音楽を配信で探してみよう。とっくに読み終えて、なんとなく売りに出せない本が、どうして手放せないのか考えてみよう。どうせお風呂に入るんだし、捨てる予定だったアイシャドウを発掘して、自分の顔を魔改造しちゃおうかな。
三日間の授業の後、泣きたいくらいの筋肉痛がやってきたのは、言うまでもない。でもたぶん、次に宇宙の塵になりかけたときは、うろたえずにすむだろう。
***
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