辛さに理由はいらない
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:和田 千尋(ライティング・ゼミ3月コース)
「とんでもない電話をとってしまった」
通話をしながら自分の運の悪さを呪う。仕事でとった電話の内容は顧客からのクレームだった。自分は被害者だという思いからか毒素を含んだ言葉が絶え間なく電話口からあふれ出てくる。定期的に繰り出されるキメ台詞は「俺は間違ったことを言ってるか?」だ。これに心が削られる。
よくありがちなミスの1つだとしても、受け手としては赦しがたき重大な過失であろう。そこはほんとうに申し訳なかったと思う。会社側として謝罪するのが筋だ。たがその無理矢理なこじつけからくる罵詈雑言はあきらかに度を越しているという思いもある。口元までその言葉が出かかっている。しかしサービスセンター側の自分は平身低頭、ひたすら謝るしかない。思いが口調に出たのか、謝っているつもりの言い方がお客様を激高させる火種となっていると、上司からフィードバック時に指摘された。顧客からのクレーム対応で心が疲弊していた上に上司の何気ないひと言がぐさっと刺さって、いつもなら受け流せるようなことに過剰に反応してしまった。「私、ダメだな」と心の中で何度もつぶやいた。そんな日だった。
就業後くすぶった気持ちで、重い身体をひきずるよう会社を出た。いつものように表情なく電車に乗り込み、いつもの駅で電車から吐き出されるように無言で降りた。
駅の改札を出たところでふと思いだした。脳内によみがえるのは、赤く濁ったスープと、ほんのり甘い香辛料、唐辛子の刺激。しびれるほどの辛い麻辣湯が食べられる店。そこは薬膳スープの専門店だ。「薬膳」という文字にすがる思いを込め、気が付けば自宅とは反対方向に足が向いていた。
遠くからでも店が確認できる距離にまで近づいた。入口付近で人が列をなしている。その店は常に人が並んでおり、側を通る際にはいつも横目で見ながら通り過ぎていた。でも今日は違う。意を決して列の一番後ろに並ぶ。冷たい夜風が頬を撫でた。並んでいるのは女性が多い。不思議なことに半分以上が女性のおひとり様だった。学生さんもいる。1人なのは私だけではない。
最近女性が1人で外食するというのは珍しいことではなくなっている。人気のレストランで女性が1人で並んでいるのをよく見かけるようになった。出された料理の写真を熱心に撮っていることから、その後SNSに投稿するのだろうと推測する。SNSに関して自分はそこまで積極的ではないので、1人で並んでまで目当ての店に行くということはない。だが今日はこの1人の孤独が心地良かった。この店は10人も入れば満杯になるようなこじんまりした店舗だ。すべての席が窓を向いて、横一列にしつらえてある。前だけを向いて食べればよい。言葉を交わしたわけではないが、おひとり様で並んでいる1人1人にいろんな背景があり、何かを抱えて意志を持ってここに並んでいる、そんな気がした。
いよいよ自分の番がくると最初に具材を選ばなくてはならない。壁一面具のショーケースに様々な具材が並べられ、好きなだけ取れるようになっている。葉物が数種類、その他もやしやタケノコなどの野菜やキノコ類と豆腐やソーセージ、団子類などの蛋白質系や韓国餅などの具材がある。何も考えず、欲張って好きなものを好きなだけ取っていく。今日は自分を甘やかすと決めた。
次にレジで辛さを決める。何をやっても報われない日には、優しい味じゃ物足りない。慰められるより、燃やされたい。そんな気持ちに寄り添ってくれる辛さだ。思い切っていつもの辛さより数段辛くする。
注文後、指示された席に着く。ガラスの反射で自分の姿が目の前の窓ガラスにほんのり映る。まっすぐ見つめると向こうからもまっすぐ見つめ返す。髪の毛が少し乱れ、疲れた顔をしている。あなたも大変だったねと自分の姿につぶやく。ほどなく店員さんが出来上がったものを目の前に置いてくれた。私好みの具材にいつもより赤味の増したスープ。届いた麻辣湯から立ち上る湯気と香気につばを飲み込んだ。いざ実食だ。
1口目で、舌がピリつく。
2口目で、汗がにじむ。
3口目には、もう思考がふわっと飛んでいる。
痛いのに、止まらない。辛いのに、笑ってしまう。涙がにじみ泣いているみたいだけど、それはただのカプサイシンのせい。この涙には言い訳がいらない。不思議な多幸感が、じんわりと広がっていった。
誰かと一緒だと、こうはいかない。誰にも気を遣わず、自分のペースでじっくり辛さを味わえるのは1人ご飯ならではの贅沢だ。「辛すぎない?」と気を遣われるのも、食べるペースを合わせるのも、今日はしたくない。この一杯を、黙って、自分だけのペースで完食する。それが最高のリセットになった。
外に出ると、風がさっきより優しく感じた。体がぽかぽかと温まっているからだろうか。何も解決していないはずなのに心が軽くなっていた。悪くない。辛さに理由はいらない。誰かに話すでもなく、何かを変えるでもなく、ただ一人で辛さと向き合う時間。それは心の奥を整理整頓してくれる時間なのだ。「また来よう」と心の中でつぶやいて、私は人混みに紛れる。強くなったわけじゃない。ただ、ちょっと自分を取り戻しただけ。たった一杯の麻辣湯で。
***
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