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積読って外国にはないらしいよ事件

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記事:ほり こずえ(ライティング・ゼミ3月コース)
 
 
「積読って外国にはないらしいよ」
最近久しぶりに帰省した妹の発言である。
 
「どゆこと?」
 
私はとっさに意味が呑み込めなかった。
「積読」は書籍が存在する場所であれば、普遍的に発生する事象だと思っていたからだ。
積読が存在しない? そんな世界が存在し得るのだろうか?
これは事件だ。自分的に大事件かもしれない。
 
大型連休中で心にゆとりがあった私は、さっそく調査に取り掛かった。まずは、「積読」の意味をネット検索してみた。
 
「積読」
積読、積ん読(つんどく)は、入手した本を読むことなく自宅に積んだままにしている状態を指す言葉である。(出典:Wikipedia)
 
さらにウィキペディアには、外国語には同様の概念、習性を表す言葉がないとも書いてある。
 
なるほど、そうだったのか。
新しい発見である。
 
さらに発見だったのは、多くの人々が積読に悩んでいるらしく、積読を解消する方法や、逆に積読のメリットを記載した記事がインターネット上に結構あることだ。
 
私だけではなかった。
私は決して孤独ではなかったのだ。
日本には積読に悩む多くの仲間がいる。
本屋に行くたびに、何か本を買ってしまい、いつか読もうと思いながら読んでいない本を大量に抱えてしまうのは、私だけの罪ではないのだ。
 
そう、罪。
罪の意識である。
積読には罪悪感が伴う。
本を買ったが、読まずに放置している、という罪悪感。本棚に入り切らず、机の上、机の脇、床の上とだんだん本に空間が占拠されていく。しかしなぜか本屋に行くと本を買ってしまう自己コントロール不能感。
 
これらのなんとなくもやもやした気持ちが、「積読」という概念を作ったのかもしれない、と思う。名前をつけて概念化すれば、得体の知れないもやもや感から多少は解放される、という真理が働いたのかもしれない。
 
おそらく日本以外の地域の読書家宅にも、積んであって読んでいない本は存在するかもしれない。しかし、もしかしたら彼らは読んでいない本を所有していることに、何ら罪悪感めいたものは感じないのかもしれない。
だから、「積読」という言葉が必要ないのかもしれない。
 
すべては私の頭の中の想像に過ぎないが、積読について考えてみることは、存外面白かった。
 
今回の「積読って外国にはないらしいよ事件」(あくまでも私の中での事件である)は、積読の認識を変えるきっかけになった。
 
積んであるだけの本たち。
積んであっていつか読むはずの本たち。
読まれるのをじっと待っていてくれる本たち。
 
私は、ここ数年は、それらの本を、既読の本と合わせて一部処分することもある。軽めの内容のビジネス本などは、半年以上積読してあったのであれば、今自分に必要な本ではないと判断し、思い切って売ることにした。そのほかの小説や岩波文庫、新書類なども、読まなくても自分の人生に大きな影響はないと判断できるものは、処分している。
本に囲まれて生活するのは好きなのだが、定期的に処分しないと、囲まれるを通り越して、本に埋もれる状態になってしまうからである。
 
しかし、時々捨てようと思うがどうしても捨てられない本が存在する。
理由ははっきりしないが、何か自分の奥深いところでストップがかかる感じである。ちょっと待てと。
 
例えば、最近の例だが、ヴィクトール・フランクルという心理学者(精神神経科医)に関する文庫本がそうだった。
ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』という、自身の第二次世界大戦下における強制収容所体験を綴った本で有名である。
私は心理学の専門家ではないが、フランクルの考え方が好きで、何冊かすでに本を読んでいた。問題の本は、日本の研究者が、フランクルの心理学について書いた本で、購入したものの確か1年以上積読した挙句、おそらくもはや読まないので処分しようと、床に置いたままさらに1年くらい経過していた。
 
その間、処分の機会は何回かあった。古本屋に出張買取に来てもらったこともある。しかし、なぜかその本を私は処分しなかった。他の本と一緒に、出張買取用の段ボールに入れようと思ったのだが、なぜか入れられなかった。
 
そして、数ヶ月前のことだったと記憶しているが、ふと床に放置されていたその本を開いて、冒頭部分を少し読んでみた。なぜその時その本を手に取ろうと思ったのか、分からない。だが、私はその時その本を手に取った。そして、次の一節が目に飛び込んできた。
 
どんな時も人生には意味がある。
なすべきこと、充たすべき役割が与えられている。
 
その言葉は、確か過去にもフランクルの書籍で読んだことがあったはずだ。好きな言葉だった。
しかし、その時私は再びその言葉に出会い、そして再び影響を受けた。
最初の時よりももっと深く。
方角を見失って漂流する暗い夜の海原で、再び目指すべき星の輝きを見出したような気がした。
 
本が好きだから、ついあと先考えずに買ってしまい、結果読まないまま溜まっていく。積読の本がたくさんあるんだよね、と本好き同士で語り合う。
ありふれた日常の事象だ。
しかし、その事象の奥に、未来の自分からのメッセージも隠されているのではないだろうか、と私は思う。なぜか手放せない本というのは、単なる執着ではなく、未来に自分にとって必要になる本なのかもしれない。
そして、積読とは未来からの贈り物を内蔵した豊かな土壌なのかもしれない。
 
どんな時も人生には意味がある。
であれば、どんな積読にも意味がある。
たぶんだけどね。
 
 
 
 
***

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2025-05-08 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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