メディアグランプリ

近所の小さな店がなくなるのは、思いのほか胸が痛いよね


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記事:及川佳織(ライティング・ゼミ 3月コース)
 
 
「ハトヤのおばさん、亡くなったんだって」
 
久しぶりに実家に帰ると、何気なく母が言った。
 
「そう、そうなんだ……」
 
いきなり重く湿ったものを飲み込んだような気がした。お店はどうなるんだろう。
 
「ハトヤ」というのは、実家の近所にあるパン屋さん。たぶん、家から一番近くにあるお店だ。
 
昨今のベーカリーなどではなく、昔のパン屋さん。あんパンやサンドイッチ、チョコレートやキャラメル、それに量り売りのお菓子も売っていた。
 
私が幼稚園の年長か小学校低学年の頃、2日に1度、母にもらった10円玉をいくつか握りしめ、おもちゃの買い物かごを下げ、3つ下の妹と手をつないで、ハトヤへ行った。そこで量ってもらったビスケットが、2人の2日分のおやつになったのである。
 
もう少し大きくなって月ぎめでおこづかいをもらうようになると、自分の好きなパンやお菓子を買いにいった。おこづかいの大半をハトヤで使ったと思う。
 
お店はおじさんとおばさんでやっていて、2人のお嬢さんもたまにお店番をしていた。無口なおじさんと、優しいおばさん、明るくてよく笑うお姉さんたち、絵に描いたような昭和のお店だった。
 
しかし、高校生、大学生になると行動範囲が広がる。家から離れたところにおしゃれな店を見つけ、友だちとカフェに入ることを覚え、だんだんハトヤからは足が遠のいた。そして結婚して家を出ると、もう私の意識の中からその小さなパン屋さんは消えてしまったのである。
 
そんな時に聞かされたおばさんの訃報。聞けば、お嬢さんたちは結婚して家を出て、おじさんも数年前に亡くなり、おばさん1人で店を続けていたという。
 
ハトヤがなくなっちゃった。
 
忘れていたけど、気づいていなかったけど、私はハトヤが大好きだったんだ。私のそばにずっとあったお店が、なくなっちゃった。
 
近所のお店がなくなるということが、こんなにも、泣きじゃくりたいほど痛いことだとは思わなかった。
 
町の小さなお店はどんどんなくなっていく。それは資本主義の勝利かもしれないし、人々の価値観の変化かもしれない。時代なのだと言われれば、きっとそうだろう。でもその説明は、どこかの誰かが、別のどこかの誰かに向かってしているのであって、私にとっては、小さな頃大好きだったお店がなくなったということでしかない。
 
翌日、ハトヤの前へ行った。シャッターなどついていない店は、閉じられたカーテンの隙間から残ったチョコレートが見えた。ただ明かりがついていないだけなのに、そこだけが特別に暗かった。
 
感傷的になったらとことん感傷的になりそうだったので、ただの通りすがりの人になりきろうと思い、唇をかんで店の前を離れた。
 
***
 
それから数年。
 
この時も私は実家へ帰る途中で、特に意識したわけではなかったが、偶然、ハトヤの前を通る道を歩いていた。このまま行けばハトヤの前を通ることにも気づいていなかった。
 
ところが、道の途中、私の目に飛び込んできたのは、明るく改装して営業しているハトヤだったのである。
 
びっくりして立ち尽くした。ハトヤ、なくなってない。まだやってる。でも……誰がやっているの?
 
のぞくと、中ではストライプのエプロンをつけ、同じストライプのキャスケットをかぶった男性が働いていた。
 
店の前で見上げて看板を確かめた。昔のものとは違っていたけど、そこには間違いなく「ハトヤ」と書かれた看板があった。
 
おそるおそる中に入ると、明るい声で「いらっしゃい!」と声をかけられた。あの日カーテンの隙間から見えたチョコレートのあった場所には、花が飾られていた。
 
パンを少し買って、男性に話しかけてみた。
 
「子供の頃、近くに住んでいて、よく買いにきていたんです」
 
お店を閉めたかと思った、という言葉は飲み込んだ。
 
「そうですか。心機一転でまたやっているんですよ。ぜひこれからもごひいきに」
 
新しいお店によく似合う、大きな笑顔だった。
 
実家に帰り、さっそく母に「ハトヤ、お店やってるのね」と声をかけると、「そうそう、このあいだからね」と言う。
 
なんでも上のお嬢さんのご主人が、「お父さんお母さんのお店、一緒にやろうよ」と言って会社を辞め、修行してパン屋さんになってくれたのだそうだ。
 
そんなこともあるんだ。また胸が締めつけられた。今度は違う意味で。
 
大資本に飲まれて、後継者がいなくて、なくなっていく店もある。でも続いていくお店だってある。経済の弱肉強食や時代の新陳代謝にあらがうといった、壮大なヒロイックな物語ではなく、自分の身近な人の思いをつなごうとして、続いていくお店。
 
そして、ただの客にすぎなかった私の思いもつないでくれた。ハトヤはまだそこにある。
 
よかった、よかった。本当によかった。買ってきたパンをかじりながら、そう思った。
 
 
 
 
***

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2025-05-22 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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