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生き延びよ!

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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:菊子(ライティング・ゼミ3月コース)
 
 
※この記事はフィクションです。
 
「達者でな!」
 
 この家に越してきて遭遇した何匹目かのナメクジを、歯ブラシですくい取り、窓の外に放り投げながら言った。
 
 この2月、もう誰も住まなくなった実家に一人舞い戻ってきた。築50年を超える一軒家はいたるところが隙間だらけ。ナメクジに限らずダンゴムシ、ヤスデ、謎の貝みたいなイキモノが家の中に入ってくる。そんな中、侵入率ナンバーワンがナメクジだ。家の裏側に王国があるに違いない。
 
 どうして快適な都会のマンションから、郊外にある虫たちとの共同住宅に移ってきたかといえば、「老後」に片足突っ込んでいる今現在において、私は絶賛「おひとりさま」。賃貸の出費も、もう貯蓄に回したかった。
 
「ナメクジの解放も日課になりそうだねえ」
 
 独り言を漏らしながら、残り一つになった引っ越しの段ボールを開けにかかる。
 
「あ……」
 
 一枚の葉書が床に落ちた。高校時代の友人が、娘の成人式の写真を年賀状にして送ってきた。それももう10年前のこと。
 
「よそんちの子って、どうしてこんなに大きくなるのが早いんだろ」
 
「よそんちの子」といっても、「自分ちの子」はいない。そもそも私は子供が欲しいと思ったことがない。もっというと子供は苦手。どう接していいかわからないし、ワガママも許せる気がしない。仮に子ができたとして、DVやネグレクト一直線になりそうで不安だった。こんな気持ちの母にこの世に召喚されたら、子供だって迷惑だろう。私みたいに。
 
 世の中では「少子化」が叫ばれていて、私もそのムーブメントに貢献してしまっている。子を成さない理由はきっと、人によって違いがあり、お金がないとか、出会いがないとか、そもそも他人と付き合うことが面倒だとか、様々なんだと思う。
 
 しかし、地球上の生命には命題がある。
「命を繋いで、子孫を残せ」と。
 
 よその人の事情はともかく、子を成していない自分は生物としては失格だなと、なんとなく負い目に思う。
 
「地球に生まれたのに、なんで基本ミッションもクリアできないんでしょうねえ……」
 
 片付けの疲れと生命のお題を思い出したことで、少し気が滅入ってしまった。もう夜中だけど、コーヒーでも淹れよう。台所へ降りると、冷え切った空気の中、シンクの脇を丸々と太ったナメクジが這っていた。
 
「ほんと次から次へと。どこから入ってくんのよ、あんたたち」
 
 台所は家の北側にあり、勝手口がある。ナメクジはたぶんこの扉の隙間から入ってくるのだろう。家屋のすぐ外は人一人通れるくらいの狭い通路になっていて、一階の軒位まで伸びた椿が窮屈そうにおさまっていた。
 一年中日があたらずじめじめとしたその場所に、ナメクジの王国が広がっていたとしたら。ナメクジは夜行性だという。隣の奥さんなら卒倒間違いなしであろう光景を、ふと見てみたくなった。
 
 2月の外気は凍てつく刃のように冷たい。懐中電灯を持つ手に息を吐きかけながら外へ出る。通路の地面はドクダミで埋め尽くされており、冬で枯れてはいるものの、王国への侵入者を拒む。この草むらを分け入ったら最後、こんな寒さでも様々な謎生物に迎撃されそうだ。
 
「真冬の夜中に来るとこじゃないな」
 
 なにをやっているんだか。白い息を大きく吐き出して、早々に退散しようと回れ右したとき、懐中電灯の光が、椿からぶら下がる異様な影を一瞬照らした。
 
 なんか、うごいてた。
 
 おそるおそる懐中電灯をあてると、細い糸のようなものの先に、人のこぶし位の黒いものが、受けた光をキラッと反射させながらうごめき、揺れている。
 近寄って見ると、それは大きなナメクジだった。しかも1匹じゃない。2匹のナメクジが、まるで神社のしめ縄みたいに絡まり合っている。直感的に、「これは、お邪魔しちゃアカンやつだ」と気づく。
 
 ナメクジは、尾を上にして粘液でぶら下がり、お互いの体があることを丁寧に確かめながら、決してほどけないように巻き付き合っていく。そして頭の先まで巻き付くと、今度は頭部の側面から白い管がゆるゆると出てきた。管は液体が流れるように滑らかに垂れていく。そして白い管同士もまた、ねじれた体の下でゆっくりと絡まり合い、塊になった。
 
「なによそれ……」
 
 切れそうな寒さの中、生命活動の究極の美みたいなものを見せられて、手や顔の痛みも気にならないくらい、戦慄をおぼえた。
 
 私は、生物としてこのナメクジに負けている。
 
 命も繋いでいなければ、誰かとこんな、自分のすべてを委ねるような付き合い方もしたことがない。私は心にいくつものシールドを張って生きている。こんな無防備に自分をさらけ出し、相手の侵入を許し、自分も侵入していって、もしも相手の心に刃が隠されていたら、ひとたまりもないじゃない。本心を見せて、踏みにじられたら? こんな揺るがない信頼関係、どうやって築くの。
 
 人間関係の難しさで増えた心の傷は、心を守る盾を強化し、今はもう壁に近い。そして、「やっぱ一人で生きていくしかなさそうね」と、諦めもあってこの家に越してきた。
 なのに、こんな神の所業を見せられてしまうなんて。
 
「羨ましいな……」
 
 台所に戻り、ストーブで体を温めながら思った。自然界の生物は、みんな子孫を残すのに命がけで取り組んでいる。とすると、子孫を残さない人間の私は、何のために生きているんだろう。生きる意味ってあるのかな。
 
 実際は、生きる意味なんて「人間」の解釈次第で、星の数ほどもある。と同時に、広い宇宙からすれば、すべては「ただの偶然」で、何の意味もないのかもしれない。
 
 そんな中、大体の「人間」は他者が存在する世界で生きている。どんなに関わりを避けようとしても、まったく関わらずに生きることはほぼ不可能だ。たぶん、生物としても単体で生きるように出来ていないと思う。
 だとすれば、子を成すだけでなく、他者と心を通わせて生きることも、「人間としては」生きる意味のあることかもしれない。
 
 自分のクローンを残すだけでは、変わりゆく環境に適合していけないのと同様に、心もまた、自分一人だけでは劇的に変えられない。だから、「違う個」としての他者と融合することで、「新しい個」に、お互いを生まれ変わらせようとする。それが心の進化につながる。
 あのナメクジたちを見て、そんな風に思えた。
 
 そして、進化のためには、返り討ちに遭う覚悟と「それでも」と一歩を踏み出す勇気が、きっと必要なんだろう。
 
「そんなお相手に出逢えたら、私も変われたりしてね」
 
 口をついて出た言葉にハッとする。
 おおよそのことに諦めがついたと思っていたのに、私にはまだ、僅かながら希望が残っていたらしい。
 
「……まずは、仕事にちゃんと戻らないとね。社会活動だって、立派な生きる意味のひとつだよ」
 
 引っ越しで会社を休んだ分、しばらく忙しさに追われる日々が待っている。
 希望のかけらを胸に、この先を生きてみるのも悪くないなと思いながら、新たなナメクジを窓の外へ放り投げた。
 
「生き延びよ!」
 
 
 
 
***

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2025-06-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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