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太極拳は私的秘境温泉(前編)

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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:奥 陽子(ライティング特講) 
 
 
太極拳を始めてもう13年になる。
 
2012年夏、40代半ばに差し掛かる頃、いわゆる「大きな病気」を経験した。世間はちょうどロンドンオリンピックで連日盛り上がっている時だった。ぼんやりと病室でテレビを観ながら、私は頭の中で「次のリオオリンピックは見られるのか?」という切実な問いと、「とにかく何とかして自分の身体を変えていかなければ」という決意を繰り返していた。
 
病気をきっかけに何かしらの運動を始める人は多い。ジョギング、ヨガ、水泳などなど。私にとってはそれが「太極拳」だったのだが、周囲からは、え?太極拳?と驚かれる(引かれる)声がしばしばあった。確かに流行りのヨガなどに比べるとマイナー感は否めないが、私にはまったく迷いがなく、太極拳一択であった。
 
 
 
太極拳との出会いはかなり古い。もう30年以上も前、大学の卒業旅行で、友人と1か月ほどかけて中国各地を巡るという旅の、記念すべき最初の訪問地、上海でのことだった。
 
着いた翌日、早朝にホテルの近くを散策していると、道沿いにちょっとした公園があった。何気なく目をやると、朝靄の中でなにやら蠢いている……。「ん!?」じっと目を凝らして見てみるとその正体は「太極拳を楽しむ無数の人々」だった。無数の、というのは大げさだが、とにかく、そこでも、ここでも、あそこでも、老若男女がゆったりと動いている。日本で言うところの、早朝ラジオ体操のようなものかもしれない。しかし、皆で揃ってやっているわけではなく、それぞれが思い思いに(勝手に)手を上げたり下げたり、前に進んだり後ろに下がったりしている。
 
そんなバラバラな動きの中で1つだけ共通していたのは、とにかくみんなが気持ち良さそうに見えることだった。1990年台初めの中国、すでに公園の周囲には高層ビルや派手な商業施設が立ち並び、都会的な空気が流れていたが、そんなことにはまったくお構いなしに、朝のぼんやりとした光の中で、気持ち良さそうに、ただゆったりと動く人々はどこか幻想的で、そこだけが異世界のような雰囲気さえあった。
 
その時すぐに、「よし日本に戻ったら私も太極拳を始めよう!」とはならなかったのだが、頭のどこかに「いつかやってみたい」と引っかかっていた。
 
 
 
結局その後20年以上、たまに思い出すことはあっても実際に始めることはなかった。そして、先に述べた病気をきっかけに、「何か身体に良いことを」と考えた時、真っ先に思い浮かんだのが太極拳だった。
 
今振り返ってみると、我ながらやや唐突だったな、とも思うが、早朝の上海の公園で見たあの光景は、自身の感覚を超えるくらいに脳裏に深く刻まれていたのだろう。そして、健康の有難さ、もっと言えば命の大切さを身をもって知ることになった時「さ、いよいよ始める時が来ましたよ!」と、まるで切り札を切るように、身体の奥の方からサッと登場してきたのだ。
 
 
 
さて実際に始めてみると、あの老若男女誰もが“簡単そうに”やっていた動きが、実は無茶苦茶難しいことなのだと分かった。先生と同じようにやっているつもりなのに、右と左が逆になっていたり、足がついていかなかったりで、なかなかうまくいかない。1時間ほどの体験レッスンの後、学べたことは「太極拳の動きはとても複雑である」ということだけだった。
 
正直に言えば、始める前は「簡単そう、すぐに出来そう、で、身体に効果ありそう」と、どの分野の初心者にもありがちなムシのいいことを考えていたのだが、そんな薄っぺらな期待は初回にあっさりと消え去ることとなった。一見、誰もがただ気持ち良さそうに、そして適当に手足をひらひらさせているように見えた動きは、今にして思えば当たり前だが、しっかりとした理論や順序に基づいていたのだ。
 
それでも、不思議とやめる気持ちにはまったくならなかったのは、レッスンを終えたとき、それまでには感じたことのない、気の巡りの心地良さを感じていたからだ。汗はかいたが熱くなく、ほどよく身体がホカホカしている。初めての講座でかなり疲れているはずなのに帰り道はむしろ身体の軽さを感じながら歩ける。この初日に感じた「あら~なんだか気持ちいいな~」という感覚は、今に至るまでずっと続いている。レッスンの前には疲労感があって身体が重く感じるときでさえ、帰りには元気が出ているのだ。
 
この身体のふんわりとした心地よさ、身体の芯から元気が出る感覚は何かに似ている……、そうだ、お風呂に入った後のあの気持ち良さだ。
 
もうどうしようもなく疲れていて、それは身体だけではなく、心が疲れているときもあって、「もう今日はレッスン休もう」と思う時がある。それでも、なんとか辿りついて、ひとたび始めてしまえば、だんだんと血も気も巡ってきて、疲れが取れていく。身体の疲れは感じなくなり、心の疲れは忘れてしまう。帰るころにはすっかり気分が変わっているのだ。まさにリフレッシュ、リカバリーとはこういうことなのだろう。そういう意味では、単なるお風呂というよりは、温泉といった方がいいかもしれない。温泉に行くと、身体が気持ち良くなるのはもちろん、日頃のストレスが軽くなって“命の洗濯”も出来てしまったりする。件の上海の公園の光景が、なんともいえず気持ち良さそうに見えたのは、まるで温泉に入ったときのようなやわらかな気が、そこここに漂っていたからかもしれない。
 
 
 
始めてから数年経つ頃には動きの複雑さにも徐々に慣れ、やっぱり太極拳を始めて良かったな~と思いながらレッスンに通い続けていた。しかし、その後、私が毎度毎度感じているこの温泉気分は、あくまでも“近場の”あるいは“人気の”温泉的なものだった、と気づくことになる。 
 
 
(後編につづく) 
 
 
 
 
***

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2025-06-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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